|
平成20年8月4日(月)昨日:北朝鮮、「金剛山から不必要な韓国人を追放」。 北朝鮮の朝鮮人民軍金剛山(クムガンサン)地区軍部隊報道官は3日、北朝鮮兵による韓国人の女性観光客射殺事件に関し、「同地区に滞在する韓国側の不必要な人間をすべて追放する」との談話を発表。朝鮮中央通信の報道を朝鮮通信(東京)が伝えた。 談話は「金剛山地区の観光地と軍事統制区域内で起きるささいな敵対行為に対しても、強力な軍事的対応措置をとる」と警告。射殺事件を巡り韓国との対決姿勢を明確にした。南北関係が一段と悪化するのは確実。談話を受け韓国統一省は3日、「納得できない措置で遺憾」との声明を出した。7月11日に起きた射殺事件後、韓国政府は金剛山観光を中断したが、韓国側の観光事業関係者は現地に残っている。 8月4日は、「風天忌」です。(渥美清の命日、1996年) ◇ 渥美清さん13回忌献花式(8月2日) 映画「男はつらいよ」シリーズの“寅さん”で国民的な人気のあった俳優、渥美清さんの13回忌の献花式が2日、東京・葛飾区の「葛飾柴又寅さん記念館」で行われた。式の冒頭、地元中学校の吹奏楽部の生徒らが、おなじみとなった「男はつらいよ」のテーマ曲を演奏。続いて山田洋次監督(76)、初代マドンナの女優、光本幸子(64)が挨拶、ほほ笑む渥美さんの遺影の前に献花を行った。 山田監督は「寅さんの方が実在で、渥美さんの方が架空の人なのでは…という気がすることがある。渥美さんはセミの抜け殻のように寅さんを残して、どこかに消えてしまったのかな」としみじみ。 光本は「そんなに月日がたってしまったのかな、とつくづく思う。いまだに愛されている寅ちゃん。きっと皆さんの中でも消えないんだと思う。私たちに夢をありがとう」と渥美さんに呼びかけた。 式典後、献花台は一般入場者に開放され、各地から詰めかけたファンが列を作った。献花台は渥美さんの命日である4日まで設置される。 1969年に第1作が公開されてから40年。これを記念し、9日から東京・東銀座の東劇でシリーズ特集上映が行われる(9月5日まで)ほか、27日には柴又帝釈天の境内で、第1作の記念上映会も予定されています。 1996年(平成8年)8月4日、肺癌のため東京都文京区の順天堂医院にて逝去。享年68。「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」と言う、渥美の遺言により家族だけで密葬を行った。訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表された。 そして8月13日には、松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」が開かれ、山田洋次が「5年前に渥美さんの病気を知り、予断を許さないのは知っていました。体の衰えが目立ち始めて、小島の急な坂を登るときは、とてもつらそうだった。この時、この陽気な男が、映画から手を引く日も近いと思っていました。そろそろ解放してあげたい、と思いながら、もう一作だけ、もう一作だけ、もう一作何とかと思って48作も撮ってきました。医師から正月遺作となった映画に、出演できたのは奇跡といわれました。ああ、悪いことをしました。後悔しています。つらい思いをさせてすいませんでした。7月に入院して、肺の手術をした後、経過が思わしくなくて、ベッドに起き上がることも出来ず、うつむいたままと聞きました。何故そんなに苦しめたのか。27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとう。スタッフも幸せでした。心からお礼を申し上げます」という弔辞を読み上げた。 妻は熱心なカトリック信徒で、彼自身も、亡くなる直前に病床でカトリックの洗礼を受けていた事が明らかになっている。渥美は死ぬまで、芸能活動の仕事をプライベートに持ち込まなかった。そのため、渥美の自宅住所は芸能・映画関係者や芸能界の友人にも知らされていなかった。 ◇ 渥美清は、俳号を風天とした 一っ杯めのために飲んでるビールかな 蚊がプーン遠くに飛行機ブゥーンひとり寝ている ゆうべの台風どこに居たちょうちょ 蓋あけたような天で九月かな ※ 渥美清は種田山頭火、尾崎放哉に傾倒、演じてみたいと念願するも果せず。 【参照】8月4日、従軍慰安婦問題で謝罪(1993年) http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/15448554.html http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/15448916.html |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



