|
平成20年8月18日(月)昨日:ハンマー投げ、室伏5位、連覇ならず。 アテネから4年、国内では無敵の日本選手権14連覇の一方、世界選手権は2005年欠場、2007年は6位。腰痛にも苦しんだ。「メダル後の大変さは想像を超えていた。順風満帆で過ごしたとは言えない」、同じハンマー投げ選手でもある妹由佳さん(31)は言う。3度の五輪出場とアジア大会を5連覇した父重信さんも「よほど注意をしないといけない年齢。油断すると腰をやられる」と話す。 ◇ 女子マラソン、日本はメダル逃す… 北京五輪は第10日の17日、女子マラソンが行われたが、日本選手による五輪5大会連続メダルはならなかった。 優勝は、20キロ過ぎから集団を飛び出して独走した38歳のコンスタンティナ・トメスク(ルーマニア)で、タイムは2時間26分44秒。キャサリン・ヌデレバ(ケニア)が前回アテネ五輪に続き2大会連続で銀メダルを獲得し、地元期待の周春秀(中国)が3位に食い込んだ。 日本勢では、中村友梨香(天満屋)が2時間30分19秒で13位。大会前に外反母趾の痛みを訴えていた土佐礼子(三井住友海上)は、25キロ過ぎで途中棄権。世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ(英国)は23位だった。 2000年シドニー五輪の高橋尚子、2004年アテネ五輪の野口みずきに続く優勝はならなかった。五輪連覇を目指していた野口みずき(シスメックス)は故障で欠場。 中村友梨香「最後は思うように足が動かなかった。これが私の力で、世界トップレベルとの力の差を感じた。ずっと続いていた日本の入賞を途切れさせた。もうちょっと頑張りたかった」。 天満屋・武冨監督「力を出し切っていたら、最後はもっとへばっている。まだ余力がある感じ。レースに対応する勇気がなかった」と、あえて厳しく指摘した。22歳の新鋭にとって特権であるべき「勇気」。 8月18日は、夏目房之介の誕生日です。 ◇ 夏目房之介(1950年8月18日生まれ)漫画コラムニスト 東京都港区高輪に生まれる。漱石の長男である夏目純一(ヴァイオリニスト)の長男。本人は、若い頃に「漱石の孫」というレッテルを重荷に感じていた。漱石の本名「金之助」と似た「房之介」という名前も嫌っていた。 高輪台小時代から漫画を描くのが大好きで、「マンガのなっちゃん」と呼ばれた。中学から青山学院に入学。祖父が夏目漱石ということで、同級生の女の子から顔をまじまじと観察され「おじいさんはハンサムだったのにね」と言われ、傷ついたとも。国語の時間には、教師から「このクラスに漱石の孫がいるぞ」と言われるのが不愉快だったという。 大学時代に作品集『漫画』を自費出版、尊敬する手塚治虫に見てもらった。同時期に赤塚不二夫にも作品を見てもらったが、このときは酷評を受けた。また在学中に実家を出て中野で恋人と同棲し、新宿や渋谷のジャズ喫茶に入り浸る青春を送った。吉本隆明、大江健三郎、ドストエフスキーなどを愛読。 「漱石の孫が漫画を描いている」という話を聞きつけた週刊朝日の取材を受けた縁から、1978年に同誌の新コーナー「デキゴトロジー」のイラストを担当するようになり、これが1982年に『學問』として夏目をメインとした漫画コラムへと発展する。この連載が夏目を有名にし、漫画コラムニストとしての評価を固めた。 作品模写による引用・分析を得意とする。この手法は書家の石川九楊から高く評されており、石川は書という芸術の分析評価方法との類似点を指摘している。漫画業界では、絵の引用は著作権者の許諾がいるという風潮が強いが、夏目は絵の引用は著作権法上、著作者の許諾は必要ないと主張した。夏目も当初は業界の慣例に従い許諾を得ていたが、1997年の『マンガと「戦争」』で無許諾の引用に踏み切った。クレームをつけてきたところはあったが、夏目を訴えることはできなかった。なお1992年発表の『手塚治虫はどこにいる』以降では、作品自体の絵を直接引用することが増えている。 NHK-BS2で、不定期放送中の『BSマンガ夜話』のレギュラーメンバーであり、番組中の作品を独自の切り口で解説する「夏目の目」のコーナーも担当する。 年齢を重ねるにつれ、「漱石の孫」とレッテルづけされることを嫌っていた漱石に向き合うことに興味を抱く。1996年の『不肖の孫』では、漱石と平凡寺(祖父)のことを書いた。また、NHKの番組「世界わが心の旅」の企画でロンドンの漱石の下宿等を訪問したことから、その時に感じた内容をもとに2003年に『漱石の孫』を執筆。2006年には『孫が読む漱石』を刊行。「自分の中にある漱石と似た資質」を発見している。極度の上がり症であり、祖父漱石と同じく胃弱で下戸。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



