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平成20年8月26日(火)昨夜:北京帰りの荒木、早速の3点タイムリー。 中日は2点のリードを守れずサヨナラ負け。北京五輪代表で24日夜に帰国したばかりの荒木を「2番・二塁」で起用し、その荒木が五回に先制の3点適時二塁打。荒木は1安打4打点と結果を出したんだけど…。 8回から登板の浅尾が最後に打たれてしまった。同じく北京帰りの岩瀬が登録されていれば…、 or 登録されていても…。 前夜、43歳の山本昌が今季2度目の完投勝利で、巨人を1点に抑えチームトップの10勝目を挙げ、史上最年長の2けた勝利を達成したんだけど…。 ※ 波に乗れない落合ドラゴンズ。まるで星野ジャパンみたいな…。今でも貯金ひとつあるのが、摩訶不思議ってゆうか、真っ赤な節木っちゅうか。 昭和6年8月26日は、リンドバーグ夫妻が霞ヶ浦に着水した日です。 リンドバーグ夫妻は1931年に、北太平洋航路調査のためニューヨークからカナダ、アラスカを経て中華民国までロッキードの水上機・シリウス号で飛行しました。途中、8月23日には国後島、8月24日には根室市、26日に霞ヶ浦、その後大阪・福岡を経て、中華民国の南京・漢口まで飛行しました。妻のアン・モローの著書『翼よ、北に』にその詳細な記録が残る。 1931年8月26日午後2時過ぎ、霞ヶ浦の海軍飛行場にリンドバーグ大佐夫妻の乗った水上機が着水した。26日午前8時過ぎに根室を出発していた。リンドバーグ夫妻は、7月29日にワシントンを出発、1万2300キロを18回着水し、28日間かけて飛行時間80時間33分を要しての飛来。 飛行場には、フォーブス駐日米大使、安保清種海相(海軍大臣)、小泉又次郎逓相(郵政大臣)はじめ、官民の大群衆が二人を出迎えました。 ◇ 小泉又次郎逓相は、あの小泉さんの祖父 霞ヶ浦で出迎えた中の一人、小泉又次郎逓相は全身に「昇り龍のいれずみ」を彫っていたことで有名で、1929(昭和4)年から浜口雄幸、第二次若槻礼次郎の各内閣で逓信大臣をつとめ、「刺青大臣」の異名をとっていた。刺青は、鳶職の父親に鳶の道に生きることを示した行為といわれている。ある時、民権派の旗手・板垣退助の演説を聞いて、政治家を志し、新聞記者や神奈川県議を経て政治家になった。その養嗣・小泉純也(元国務大臣)の息子が小泉純一郎であり、又次郎の孫にあたる。向こう意気の強さは、鳶職の血を受け継いでいるのかな? ◇ 昭和6年8月24日の朝、根室に着水(根室市HPより) 快晴の根室港は、人、人、屋根の上までも人がいっぱいでした。前日の夕方に着くはずだったリンドバーグ夫妻の乗った飛行機シリウス号を迎える人たちです。前日の濃霧のため爆音は聞こえたのですが、降りることができずに飛行機は国後島の東沸湖のアンノロ川の川口近くに着水し、近くの外崎さんの草小屋に泊まり、翌朝、かけつけた清水虎亀輿さん差入れのビールで乾杯して出発しました。泊まるとき、シリウス号を岸の柳につなぎました。その木は、それから「リンドバーグの柳」とよばれたそうです。 8月24日、朝8時10分ごろ国後島の方向に黒い点が見え、それがあっというまに鳥の影の大きさになり、すぐ飛行機とわかるようになりました。朝日新聞の二機と北海タイムスの一機の飛行機が導いて、シリウス号は弁天島の北のはずれとベニケムイ岬の間の港の入り口から港へ入り、二十間坂(花咲小学校の前の通り)の下に水煙をあげて着水しました。 1926年、ニューヨークとパリ間の大西洋横断無着陸飛行を33時間29分かかって成功し世界的に有名になりなした。この時のようすは「翼よあれがパリの灯だ」という映画にもなりなした。1931年、航空路調査のため、リンドバーグは結婚まもないアン夫人と北太平洋をよこぎって日本をおとずれます。千島を飛んで、まず根室へきたのです。 ◇ リンドバーグ隠密説 1931年当時の情勢は、3月事件(軍部のクーデターによる軍事内閣樹立未遂事件)が発生しているなど、物情騒然とし始めた時期。9月には、満州事変が勃発している。このような時期に、千島の計吐夷(けとい)島、択捉島、国後島などあちこちに不時着したことになっているが、後年、この不時着は地形調査のための軍事上の目的があった偽装着陸ではないかとも取沙汰もされたという。リンドバーグが、元々、空路調査のためにやってきたものであれば疑われても当然の事だろう。彼は後に軍顧問として戦線に赴き、空中戦にも参加している。 |

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リンドバーグの宿、二美喜に宿泊しましたよ。場所を変え根室市郊外で営業中です。電話0153-23-2101です。
2013/2/27(水) 午後 10:02 [ 道東放浪子 ]