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平成20年9月1日(月)昨夜:家貧しくして孝子顕わる。 <中日7−3広島>(31日、ナゴヤドーム) 中日が3本塁打を含む14安打で打ち勝ち、Aクラス堅持。 四番が久々の仕事。2本塁打5打点の主砲・ウッズは「勝利に貢献することを考えていた」。プロ初先発の清水昭は初勝利。落合監督「よくほうった。よくあそこまで行ってくれた」。 清水昭が七回途中まで力投。「立ち上がりは緊張した。最初のアウトを取って、少し気持ちが楽になった」。落ち着いた投球で、広島打線に四回まで安打を許さなかった。五回1死一、二塁のピンチも連続三振で切り抜けた。七回に3失点したが、打線の援護も受けて先発の役割を果たした。「一人一人、丁寧に投げるように心がけました」。ひたむきな気持ちが球に乗り移った。 9月1日は、国吉康雄の誕生日です。 ◇ 国吉康雄 (1889年9月1日〜1953年5月14日) 岡山県岡山市出石町出身の洋画家。 20世紀前半にアメリカを拠点に活躍。 1906年、日本に見切りをつけ渡米。シアトル、ロサンゼルスで肉体労働に従事したが、1910年、画家になることを決意、ニューヨークに出る。1916年、アート・ステューデンツ・リーグに入り、ミラーらに学びながら、1917年、第一回独立美術協会展に出品。 初期には夢幻的な作品を描いていたが、1925年、1928年の二度の渡欧後は、国吉特有のメランコリックな女性像が制作の中心となる。1929年、ニューヨーク近代美術館主催の「19人の現存アメリカ作家展」に選ばれる。1931年、一時帰国。1933年には、母校アート・ステューデンツ・リーグの教師に迎えられる。1948年、ホイットニー美術館で回顧展。1952年には、ヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ代表に選ばれる。2004年、東京国立近代美術館、富山県立近代美術館、愛知県美術館で個展。 日米開戦後は、友人らの尽力により強制収容所入りは免れたものの、敵国人としての苦境は変わらず、日本向け短波放送で反戦を訴えたり、反日ポスターの製作などを行ったりしている。戦時中に製作された「誰かが私のポスターを破った」、「飛び上がろうとする頭のない馬」などは、戦争の悲劇や人間存在への虚無感を強く感じさせる。微妙な立場に置かれた彼の苦悩と、リベラリストとしての抵抗を物語っている作品とも言えよう。 1953年、移民帰化法の改正を受け、アメリカ市民権取得申請の準備を始めるが、果たさぬままに5月14日、胃癌のため、ニューヨークで逝去。 レジ袋マニアのネコちゃんは、ちょっと淋しくなるね。 ※ 岐阜市内の主要スーパーで、今日からレジ袋の有料化が始まります。 |

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