今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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9月9日、相米慎二忌

 平成20年9月9日(火)昨日:北の湖理事長、弟子の自白知り即辞任。

 昨日の理事会では、前理事長から「弟子の白露山の新たな検査結果が出るまで、理事長職を休養したい」と申し出ていたという。複数の理事がすぐさま反論。「病気でもないのに、それは通らない」「黒という事実と数値が全てじゃないですか」と詰め寄られた。

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 退陣要求があれば受け入れる覚悟はあったが、冒頭に白露山による吸引告白の事実を突き付けられたショックも加わり「分かった。私は退きます」と降参。その上で自ら理事退任も口にしたが、これは温情で引き留められ、後任の武蔵川新理事長から大阪担当部長に指名された。前理事長にとっては協会トップの座を追われたことよりも、信じてかばってきた弟子にだまされ続けていたことがショックだった。

 再発防止検討委員会メンバーによると、露鵬、白露山は2日の抜き打ち簡易尿検査の際、陽性反応を示したことで受けた事情聴取に、それぞれが「ロスでは吸った。黒人の歌手からもらった。でも、師匠には絶対に言わないで。日本では吸っていないから」と告白していたという。一方で2人は、検査場の両国国技館内相撲教習所を出ると「絶対に吸っていない」と強く訴え始めた。露鵬は「大麻は見たことも触ったこともない」とまで主張していた。

 しかし、本人たちの承諾を得て行った精密検査でも結果は黒だった。処分を決めるこの日、理事会前に同委員会に呼び出された2人は、吸引歴を再度問われると「忘れた。日本語が80%分からない。頭が真っ白」などととぼけた。これに心証を悪くした同委員会側は「反省がない」と判断。理事会では「1年の出場停止」という案も出たが、大半が解雇にすべきと主張し、前理事長も反論しなかったという。

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 理事会後、史上初めて任期途中で理事長職を引責辞任した北の湖理事は、約200人の報道陣を前に厳しい表情のまま頭を下げた。「白露山を子供のように思ってきました。しかし、こういうことになり、師匠として深く反省しています。責任を取るのは当然です」。会場を出ると、フラッシュを浴びながらポツリと言った。「あれだけ、普段から『ウソをついちゃいけない』と言ってきたのにね」。相次ぐ不祥事でも理事長に居座った55歳は、苦笑いをした。

 ※ その昔、子どもらの好きなものとして「巨人、大鵬、玉子焼き」と言うのがあった。そして、子どもらの嫌いなものとして「江川、ピーマン、北の湖」と言うのもあった。勝って傲然と胸を張る姿が顰蹙を買ったものだ。子どもならば「嫌い!」って、はっきり言えるものも、大人では中々言えずにズルズルと今日に到った。昨日の理事会では、よくぞ引導を渡した。技能賞かな?


 ◇ こんどは玉ノ井部屋の東心山、泥酔しタクシーで暴行

 大麻事件で揺れている角界で、また新たなトラブル発生。玉ノ井部屋の三段目・東心山(34)がタクシーの車内で暴れ、一部を破損させた。

 東心山は7日未明に1人で部屋近くの知人宅に出向き、ちゃんこ鍋を振る舞った際に泥酔。そのままタクシーに乗り込み、大声を出したり、つばを吐き散らすなどして暴れていたという。タクシーを降りる際には約2000円の料金に対し1万円を支払い、運転手に自分の財布にお釣りを入れるよう指示した。

 たまりかねた運転手が東心山を降ろした後に、近くの交番に相談。警察官が出向き、部屋側が対応した。被害に遭った40代の運転手は被害届こそ出していないが、いすを揺すられた際に首を痛め、現在体調が優れない状態であるという。

 玉ノ井部屋の玉ノ井親方(元関脇栃東)と栃東親方(元大関栃東)は8日の評議員会の際に、伊勢ノ海生活指導部長に報告。伊勢ノ海親方は「細かい対応をするように指示した」と話した。栃東親方は「こんな大事なときに、やってはいけないことをしてしまった。本当に申し訳ない気持ちです」と沈痛な面持ちで話した。部屋側は破損した部分の補修費などをすべて請け負うなどの対応を行う。栃東親方は「2度とこういうことが起こらないようにしていきたい」と話したが、大麻事件同様、部屋の管理の甘さが露呈された形となった。



 9月9日は、相米慎二忌です。(2001年の忌日)

 ◇ 相米慎二(1948年生まれ、岩手県盛岡市出身)

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 中央大学で学園紛争を経験。日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)の活動家として、三里塚現闘団員を務めた。大学を中退し、日活に助監督として入社。

 曽根中生や長谷川和彦、寺山修司の下で主にロマンポルノの助監督を務めた後、『翔んだカップル』(1980年)で監督デビュー。長回しと若者の自由奔放な演技で注目される。続く『セーラー服と機関銃』(1981年)が大ヒット、マシンガンを撃った後の独白「カ・イ・カ・ン」が流行語となる。『ションベン・ライダー』(1983年)や『台風クラブ』(1985年)など、少年少女を主役とする路線の作品を撮るかたわら、吉村昭・原作『魚影の群れ』(1983年)、にっかつロマンポルノの秀作『ラブホテル』(1985年)など人間味あふれる作品を発表。1998年の『あ、春』では、佐藤浩市、斉藤由貴を久々に主演に迎えて異色のホームドラマに仕上げ、キネマ旬報ベストワンなど各賞を受賞。

 2001年公開の『風花』では、本来の造形的なセンスを十分に開花させる円熟した作品に仕上げたが、これが遺作となる。浅田次郎の小説『壬生義士伝』が次回作に内定していた。病室に資料を持ち込んで準備を進めていたが、2001年9月9日、肺癌のため53歳の若さで逝去。生涯、独身であった。

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 ◇ 『魚影の群れ』 (1983年) 松竹

 原作:吉村昭、脚本:田中陽造、撮影:長沼六男、音楽:三枝成章

 緒形拳(小浜房次郎)、夏目雅子(小浜トキ子)
 佐藤浩市(依田俊一)、矢崎滋(新一)
 レオナルド熊(熊谷課長)、石倉三郎(水産業者・岸本)
 下川辰平 (浅見)、三遊亭円楽(エイスケ)、十朱幸代(アヤ)

 小浜房次郎は、娘トキ子が結婚したいという、町で喫茶店をやっている青年・依田俊一に会う。彼は養子に来て漁師になっても良いと言う。だが、マグロ漁に命賭けで取り組んできた房次郎は、簡単に漁師になると言われて無性に腹だたしく感じる。

 店をたたみ大間に引越してきた俊一は、毎朝、房次郎の持ち船・第三登喜丸の前で待ち受け、マグロ漁を教えて欲しいと頼む。十日以上も俊一を無視し続けた房次郎が、一緒に船に乗り込むのを許したのはエイスケの忠告による。エイスケに指摘されたとおり、房次郎はトキ子が、家出した妻・アヤのように自分を捨てて出て行くのではないかとおびえていたのだ。

 数日間不漁の日が続き、連日船酔いと戦っていた俊一がようやくそれに打ち勝ったある日、遂にマグロの群れにぶつかった。そして、餌がほうりこまれた瞬間、絶叫が…。マグロが食いつき凄い勢いで引張られる釣糸が俊一の頭に巻きついたのだ。またたく間に血だらけになる俊一は助けを求めるが、房次郎はマグロとの死闘に夢中だった。

 一時間後、マグロをようやく仕留めた房次郎が見たのは俊一の激しい憎悪の目だった。数ヵ月後に退院した俊一はトキ子と一緒に町を出ていった。一年後、北海道の伊布港に上陸した房次郎は二十年振りにアヤに再会する。壊しさと二十年の歳月が二人のわだかまりを忘れさせるが、アヤを迎えに来たヒモの新一にからまれた房次郎は、新一を痛めつけ、止めに入ったアヤまで殴りつけてしまう。

 翌日、伊布沖でマグロと格闘していた房次郎は、生まれて初めて釣糸を切られ、ショックを受ける。 大間港にすっかり逞しくなった俊一が、トキ子と帰って来た。ある日、俊一の第一登喜丸の無線が途絶えた。一晩経っても消息はつかめず、トキ子は房次郎に頭を下げて捜索を依頼する。房次郎は、長年培った勘を頼りに第一登喜丸を発見する。

 俊一は房次郎の読み通り、三百キロ近い大物と格闘中だった。重傷を負っている俊一を見て、房次郎は釣糸を切ろうとするが、「切らねでけろ。俺も大間の漁師だから」という俊一の言葉に、マグロとの闘いを再開する。二日間にわたる死闘の末、大物は仕留められた。しかし、帰港の途中、来年の春にトキ子が母親になる、生まれた子が男の子だったら漁師にしたいと告げ、俊一は房次郎の腕の中で息を引き取る。

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 無線で父親から、夫の言葉を伝え聞いたトキ子は、
 「分からねじゃ、分からねじゃ」と繰り返すばかりだった。


 【参照】9月9日、重陽の節句
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/36393024.html

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 【参照】9月9日、烏相撲
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/19147249.html

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