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平成20年9月10日(水)昨日:金正日総書記、脳卒中? 北朝鮮は9日、60回目の建国記念日を迎えた。北朝鮮メディアによれば、平壌市内で民兵が参加する閲兵式が実施されたが、正規軍による軍事パレードはなく、金正日総書記(66)も姿を見せなかった。金総書記の動静は1ヶ月近く途絶えており、健康状態に注目が集まっている。 金総書記は、1991年12月に朝鮮人民軍最高司令官に就任以来、軍事パレードには必ず出席。98年の建国50周年、2003年の同55周年の記念行事にも出席していた。 金総書記は8月14日付の朝鮮中央通信で、朝鮮人民軍部隊を視察したことが確認されて以来、動静が伝えられていない。韓国の朝鮮日報は9日付朝刊で、金総書記が先月22日に健康悪化で倒れたとの情報を在中国韓国大使館関係者が入手したと報道。 ※ 独裁者殺すに刃物はいらぬ、美女と美食があればよい。 ◇ 自民党総裁選告示、22日に新総裁選出(9月10日) 退陣表明した福田康夫首相(自民党総裁)の後継を選ぶ総裁選が10日午前に告示され、石原伸晃元政調会長(51)、石破茂前防衛相(51)、小池百合子元防衛相(56)、麻生太郎幹事長(67)、与謝野馨経済財政担当相(70)の5氏が立候補を届け出た。経済財政政策や小泉構造改革の是非、安全保障政策などが主要な争点になる。22日の両院議員総会で新総裁を選出する。 2代続いた「政権投げ出し」による不信回復を担う党の顔を選ぶ総裁選。11月にも衆院選が行われるとの見方が強く、新総裁は民主党の小沢一郎代表と政権をかけて対決する。5人が立候補するのは、一定の推薦人集めを義務付けた1971年以降の総裁選で最多。女性の出馬は初。 5氏は10日午前、出陣式などで決意表明し選挙戦で優位に立つ麻生氏は「ここ何年かの日本は閉塞状況にあるのは間違いない。われわれの持っている底力を訴えていかなければならない」と訴えた。 与謝野氏は「自分の信念を訴えたい」と論戦に意欲を示した。石破氏は「改革の痛みを総点検し、痛みを感じているところに緊急に対策を打つ」と強調。 石原氏は「都会と地方がいがみあっていては国の発展はない」と格差問題に言及。小池氏は「現在18位の1人当たり国内総生産を10年後に5位にする」との公約を掲げた。 山本一太参院議員と棚橋泰文元科学技術担当相(45)は、立候補に必要な推薦人20人を集められず出馬を断念。 総裁選は党所属国会議員(387人)各1票、47都道府県連各3票の計528票で争い、過半数を得た候補がいない場合、上位2人で決選投票を行う。 9月10日は、去来忌です。(向井去来、1704年の命日) ◇ 向井去来(慶安4年〜宝永元年9月10日)(1651年〜1704年10月8日) 江戸前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。肥前国(今の長崎市興善町)生まれ。父は儒医・向井玄升で当代切っての医学者であり、後に京に上って宮中儒医として名声を博した。去来は本名・向井平次郎。堂上家に仕えた後、京都嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住む。松尾芭蕉がここで『嵯峨日記』を執筆。野沢凡兆と共に、蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂した。「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」とあだ名され、京都のみならず西日本の蕉門を束ねた。『去来抄』は、芭蕉研究の最高の書とされる。 ◇ 落柿舎 京都嵯峨野にあった去来の別荘。渡月橋脇の臨川寺に接していたという説と、天竜寺の北一丁ばかりにあったとする説とがある。 現在の落柿舎は江戸時代中期に移築・再興されたもので、場所も規模もまったく異なる。元来、京都の富豪が所持する千坪をこえる広大な屋敷であったが、これを去来が貞享3年(1686年)頃、購入して手を加えたとされる。庭に数十本の柿の木があり、元禄2年(1689年)の秋、柿の実を木になったまま銭1貫文で売ったが、その晩に嵐が来て全て落果してしまった。しかたなく去来は、商人から受け取った金を全て返還したという。「落柿舎」の名は、これに由来するとか。 ◇ 『去来抄』 上方蕉門の第一人者・向井去来による俳論。この書が尾張暁臺によって板行されたのは安永4年(1775年)3月。去来は1704年9月に没しているので、没後70年を経過していた。『去来抄』が去来の自筆本であるか否か、そもそも去来の思想であるか否かなど問題視されてきた。しかし、本書での主張は日頃去来の主張してきた考え方であり、現在ではその点での疑念はほとんど無いと言って差し支えない。 行春を近江の人とおしみけり 芭蕉 此木戸や錠のさゝれて冬の月 其角 振舞や下座になをる去年の雛 去來 下京や雪つむ上のよるの雨 凡兆 |

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