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平成20年9月19日(金)首位攻防:今夜から東京ドームで阪神巨人3連戦。 9月19日は、沢田美喜の誕生日です。 ◇ 沢田美喜(1901〜1980)混血児2000人の母、エリザベスサンダーホーム創設者 三菱財閥の創立者岩崎弥太郎の孫娘として生まれる。聖書に出会ったことで、彼女の一生は一変した。クリスチャンで外交官であるという理由で沢田廉三と結婚。赴任先のイギリスにいた1931年、ドクター・バーナードス・ホーム(孤児院)を訪れた。それは日本で見たものとは全く異なり、子どもたちはみな生き生きと輝いた目をしていました。そして教育も信仰も、温かい愛のうちにしっかり受け継がれているのでした。 院長の「捨てられた子を、引っ張りだこになるような人間に変えるのは、素晴らしい魔法だ」という言葉に感銘を受ける。 彼女はその日、心に誓いました。「もし、許されるならば日本にこのような孤児院を作ろう」。彼女はそこで毎週奉仕をする機会が与えられます。1933年、次に転勤したパリで、貧民窟の救世主といわれていたジョセフィン・ベーカーに出会って、無私の奉仕のあり方を体験します。 やがて帰国した彼女には、3人の息子の徴兵と、自らも鳥取に疎開し配給と畑作りの厳しい自給自足の生活が待っていました。戦後の混乱期に、彼女は多くの混血児の死体を目撃する。ある時、汽車の網棚から包みに入った生後間もない混血児の赤ちゃんの死体が落ちてきます。その時、彼女は「日本全国の私を必要としている子供たちのために親になってやりたい」と決心する。 困難な道のりが始まった。私財の全てをなげうち、ホーム建設に精魂を傾ける夫妻。でも、世間はそれを歓迎しなかった。不幸な子供たちの存在を、政治家や官僚らは米軍による日本占領の暗部と捉え、アメリカ政府も日本政府も、この問題にはふれたがらなかった。世間の人たちからは援助どころか、「財閥娘のお道楽」と嘲笑され、生涯苦しむのが分かってながら、生かしておくのは無慈悲だ、とも言われた。 夫妻は、戦後の財閥解体で政府に接収されていた岩崎家の別荘地を苦労の末に買い戻し、そこに混血遺児の養育施設であるエリザベスサンダースホームを設立する(1948年)。彼女はそれ以後、子どもたちと寝起きを共にし、母親がわりに面倒をみた。心ない人々の中傷や人種差別と戦い続けました。心細く、情けない思いをすることは毎夜の事だったと言います。 1949年、ホームの寄付金を募る為にアメリカで講演会を行う。1950年、ホームに基金を作る為、再びアメリカで講演会を行う。1953年、学校法人・聖ステパノ学園を創立。ホームの小学校と中学校です。1962年、ブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、1965年、聖ステパノ農場を設立。孤児院の卒園生が数多く移住する。多くの孤児たちの養子縁組を成し遂げました。 子供たちは、親に捨てられた事と、肌の色が違うという事で、世間から二重の差別を受けました。彼らはホームのある大磯の海岸で海水浴を楽しむことすら許されなかった。沢田廉三氏の故郷・鳥取県岩美町の海岸でようやく受け入れてもらえた。地元の人たちも、温かく迎えました。ここはホームの第二の故里となり、澤田夫妻の墓もここにあります。 1960年、女性人権貢献賞「エリザベス・ブラックウェル賞」を受賞。1972年には勲二等瑞宝章を受章。1980年、旅先のスペイン・マヨルカ島で心臓発作のため急死、78歳でした。 ◇ 網棚から落ちてきた「運命」 終戦翌年のこと、通路に人がうずくまるほどごったがえした列車の網棚から落ちてきた紫の風呂敷き包み。 彼女が何気なく網棚に戻そうとすると、包みを不審に思った警察が寄ってきて開いて見せるよう要求した。そして、開いた風呂敷き包みの中身の異様さに、警官も周りの乗客も、包みを開いた女性自身も、息を呑みました。 新聞紙にくるまれたそれは、黒い肌の赤ん坊、生まれたばかりの黒人嬰児の遺体だった。「きさまっ、敵国の混血児を生みちらかして、捨てようとしたか!」。この女性を母親だと思い込んでの警官の怒声に、彼女はきっぱりと言い切ります。「この列車にお医者さんが乗っていらしたら、すぐここに呼んで私をお調べください。今すぐにでも、私は裸になりましょう。私が生後数日の子を産んだ体か、さあ、ここで診察してください」。あらぬ疑いをかけられて、見事な啖呵を切った女性こそ、三菱財閥を興した岩崎弥太郎の直系の孫娘、男勝りの活躍で、後に「女弥太郎」の異名を取る、澤田美喜その人だったのです。 この出来事が、偶然とはどうしても彼女には思えませんでした。混血児の存在に心を痛めていた彼女の上に落ちてきたことも、警官から咎められ開けさせられたことも、彼女には必然と思えたのです。そして彼女をして、ついに決定的な決断をさせたのでした。 「いつも上を向いて歩け、顔を上に向けて歩け」 |

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(2002年)

