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平成20年10月13日(月)昨日:真相に迫るつもりだった、とロス郡検事。 1981年11月のロス疑惑「一美さん銃撃事件」を巡り、元輸入雑貨会社社長・三浦和義容疑者(61)(日本で無罪確定)が移送先のロサンゼルス市警の拘置施設で自殺したことについて、ロス郡検事局検事のルイス・伊藤さん(77)は11日(日本時間12日)、「我々は真相に迫るつもりだった。こういう幕切れは一美さんの家族にとっても本当に残念だったと思う」と話した。 ※ かなり強引な無理筋を押し通した結果が、この不始末。ロス市警の責任は極めて重大だ。ロス市警の大失態が、真相を永遠の藪の中に葬り去った。日本で無罪確定した日本人を、アメリカの警察が死に追いやった。三浦遺族の訴訟が始まるか? ロス市警の完敗。 10月13日は、太地喜和子忌です。(1992年の忌日) ◇ 太地喜和子(1943年〜1992年) 和歌山県東牟婁郡太地町出身。 俳優座養成所をへて文学座に入団。1967年、日活映画の『花を喰う蟲』に主演、物怖じせずヌードやベッドシーンを大胆にこなし注目される。 舞台では、『欲望という名の電車』『近松心中物語』『唐人お吉』などで活躍。文学座の大女優・杉村春子の後継者との評判も高まっていた。 1992年10月13日、『唐人お吉』公演中の時期、乗っていた車が海に転落する事故により死亡、享年48だった。同乗の三人は助かっている。太地は乗車前に深酒をしていたことが祟ったと言われる。 ※ 不幸な太地の事故の直後、集まった取材記者らが「大事な後継者を失ってしまい…」と口にしたことに対して、杉村春子は激しく反応した。 「誰が後継者って言ったのよっ。後継者なんて、そんな簡単にできるもんじゃないわよっ!」。 その時の杉村春子は、化粧も落とし髪はざんばらの有様だったのに。 ◇ 太地喜和子の事故に関わる疑念 1992年10月13日午前2時過ぎ、静岡県伊東市の観光桟橋。太地さんら4人が乗った車は桟橋をバックする途中、誤って後部から海に転落。桟橋から海面までは約3メートル。ダイブした車は、水深3.2メートルの底に沈んだ。 同乗者3人が助かりながら、なぜか太地さんだけが車内に取り残され、帰らぬ人となった。助かった1人は、「瞬間、勢いよく水が車内に入ってきた。寒くて暗くて心臓がドキドキし始めた。このまま死んでしまうのかと思った」と青ざめていたと言う。 太地さんは、伊東市観光会館で上演された「唐人お吉ものがたり」の舞台後、文学座の劇団員2人を引き連れ、市内の盛り場をハシゴした。豪快な飲みっぷりで知られていた太地喜和子。まず割烹料理店で午後10時から2時間ほど盛り上がった。3人でビール2本に4合瓶の焼酎1本を開けた。2軒目は、割烹料理店のオーナーの兄が経営するスナックに向かう。スコッチの「オールドバー」をダブルで1杯ずつ飲んだ。ここは30分程度で切り上げ、向かった先はランジェリースナックだった。事情を知る関係者が振り返る。 「一行は、1軒目から2軒目に移動する途中、たまたま客を送り出すランジェリースナックのママと出会っています。43歳のママは和服姿がよく似合い、劇団員2人が見惚れて、太地さんも盛り上がった」。 地方公演先の思いがけぬ出会いだが、これが事故へとつながる。ランジェリースナックで盛り上がる中、太地さんは突然「海が見たい!」と言い出したと言う。その言葉に応じたのがママだった。盛り上がった4人は、ママの運転で桟橋に向かった。だが、乗ろうとした係留中の船には、ママの知る船長がいなかった。車をバックさせたのは、このためだったと言う。 伊東警察署への第一報は午前2時23分。たまたま現場近くにいた看護師(45)が転落を目撃、110番通報している。すぐにレスキュー隊の出動を要請、消防署からは17人が動員された。発生からわずか5分後の事だった。レスキュー隊は、すぐに飛び込み、素潜りで海底を捜索した。 「車は天井を上にして沈んでいました。車内をライトで照らすと、太地さんは後部座席にうつ伏せで浮かんでいる状態。窓は運転席側と後部の左側が開いていましたが、ドアは全てロックされ開きませんでした」と証言する署員。 隊員は、運転席の窓から手を突っ込み、後部右側のロックを解除しドアを開け、太地さんを引き上げた。「海面に上がって、人工呼吸しましたが、グッタリして、すでに脈拍もなく呼吸も停止していました」。 顔は血の気が失せ、真っ白になっていたという。腕時計は2時18分を指し止まっていた。すぐに病院に運ばれたが、午前3時4分、死亡が確認された。事故当時は4人とも酩酊状態だった可能性が強い。太地さんは和歌山県出身だが、泳げなかったことも災いした。 ※ 太地喜和子は、方々の占い師に52歳で死ぬと言われていたようだ。飲むと、寂しくなり人恋しくなり、浮名を流した。そして、また飲むという繰り返し。浴びるように酒を飲んだが、喜和子の肝臓はアルコール分解に優れていた。だが、緑内障になった。医師の診断では、50歳には失明するとの見方もあった。緑内障であること、失明が時間の問題であることを誰にも告げることはなかった。太地喜和子は破滅型の女優とも言われるが、半端な自己抑制はせず、常に自分を解放して生きた。目の前に「死」をぶら下げて、見事なる人生を生き切って見せた。 |

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すばらしい記事。
見入ってしまいました。
そして…すばらしい女優さんでした。
2011/3/14(月) 午後 5:54 [ success ]