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平成20年10月21日(火)本日:阪神岡田監督、退任の記者会見。 辞任が決まった阪神岡田彰布監督(50)が21日午前、大阪市内の電鉄本社でシーズン終了のオーナー報告を行い、そのまま退団会見に臨んだ。前日20日の試合後の涙について、「悔し涙です。1ヶ月近く葛藤があった。周りが勝てるものと思って見て、ファンも勝てると。そういう中で絶対に勝たないといけない。そんな葛藤が、みんな詰まった悔し涙でした」と話した。また坂井信也オーナー(60=電鉄本社社長)もV逸の責任をとり、自らの報酬3ヶ月分20%カットを明らかにした。 10月21日は、「長崎オランダ村閉園」の日です。 ◇ 長崎オランダ村 長崎オランダ村はかつて、長崎県西彼杵郡西彼町(現西海市)にあったテーマパーク。佐世保市のテーマーパーク、ハウステンボスのルーツとなった施設です。1983年に開園、2001年10月21日に閉園されました。 長崎オランダ村は、西彼町(現西海市の一部)の役場職員であった創業者の神近義邦が、1983年7月22日に開園。神近の「長崎県にゆかりの深いオランダの街並みを、路面に敷かれたレンガひとつにいたるまで忠実にそっくりそのまま大村湾の入江に再現する」と言う大胆なコンセプトは、バブル景気と湾岸戦争による国内旅行需要増加も手伝い、長崎観光の新しい目玉に成長した。 村上龍の小説「長崎オランダ村」の題材にも取り上げられ、ますます知名度が高まった。ドラマなどのロケ地にも多く使われ、かなりの活況を呈していたのだが…。 1992年、佐世保市に、オランダ村と同じコンセプトで、より大規模なハウステンボスをオープンさせたことで、長崎オランダ村は行き詰まってゆく。 長崎オランダ村は、ハウステンボスのサテライトパークとして営業を続けたが、ハウステンボスの経営不振などによって、2001年10月21日に閉園した。その後、地元の西彼町が1億8000万円で買収した。2004年に「料理学校」「商業観光」「無農薬果菜の里」「福祉文化村」の4事業を展開する再生計画がまとまり、西彼町は進出事業者と基本協定を結んだ。 ◇ 村上 龍 「長崎オランダ村」 講談社 高校時代の後輩・ナカムラへの義理で、長崎での講演を引きうけた小説家・ケン。ナカラムがまかされた長崎オランダ村ワールド・ミュージック・フェスティバルの騒動顛末を聞いて、ケンの想像力が刺激される。長崎弁丸出しの二人の会話によって構成される、世界とは何か、文明とは何かを問う作品。テーマは重いが文体は軽く、ユーモアに富む。 小説の冒頭、ナカムラがケンを迎えに長崎空港へ行く。長崎空港は、大村湾に浮かぶ世界初の海上空港。 「私は世界のさまざまな海を見たが、これほど波の静かな、おだやかな海面は珍しい。カモメが舞い、雲の切れ目から太陽が光の束を落とし、海面には金色の細かな粒子がざわついて帯をつくっている。点在する島も、段々畑がえんえんと続く山々も、すべてが丸みを帯びてのどかだ」。 村上 龍は、長崎県佐世保市出身。 講演の後、ケンとナカムラは食事をする。共に見事なる健啖家だ。食事をしながら、ナカムラは自ら手がけた「長崎オランダ村、ワールド・ミュージック・フェスティバル」の話をする。フェスティバルに集められた世界中の大道芸人やダンサーたちの騒動顛末、愚痴話であった。そして、それらの騒動により炙り出されるように、日本にいては気付くことのできない世界観やら文明観を、ケンがナカムラに語ってゆくと言う設定。 村上龍は本書のあとがきにこう記す。 「この本は、神近、高田両氏、そして高校の後輩の中村という、私と同じ長崎県人の協力と支援を受けて書いた。長崎県人なんて言葉を使う時が来るとは夢にも思わなかったが、さまざまな問題を起こして追われるように故郷を出た私にとっては不思議な感慨がある。長崎オランダ村は、ただの観光地としての地名ではなく『場所』になった。言うまでもないことだが、そのような『場所』だけがドラマを生む力を持つのである」。 |

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