今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成20年11月1日(土)昨日:空自トップを解任、論文で日中戦争正当化。

 航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長(60)が「わが国が侵略国家だったなどというのはまさに濡れ衣」と主張する論文を民間の懸賞論文で発表したことが31日、判明。日中戦争を正当化するなど政府見解に反する内容で、浜田靖一防衛相は同日夜に緊急記者会見し、「政府見解と明らかに異なる意見で、極めて不適切。空幕長という職にとどまることは望ましくない」と述べ、空幕長の更迭を表明。

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 田母神空幕長は、全国でホテルなどを展開する「アパグループ」(東京都港区)の第1回「真の近現代史観」懸賞論文に応募し、最優秀賞(懸賞金300万円)を受賞。 論文は「日本は侵略国家であったのか」という題で、日本が中国大陸や朝鮮半島に軍を駐留させたのは、すべて条約に基づくものだったと指摘。日本は「蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」「東京裁判はあの戦争の責任をすべて日本に押しつけようとしたもの」などと持論を展開した。

 また「日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上した」「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している」と主張。 自衛隊の現状については「領域の警備もできない、集団的自衛権も行使できない」「アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば、日本のアメリカ化が加速する」などとの見方を示した。

 アパグループは論文をホームページで公開、英訳して世界に向け発信する予定という。 空幕長は今年4月、航空自衛隊のイラク空輸活動を違憲とした名古屋高裁判決について、「そんなの関係ねえ」と発言し、批判を浴びた。

 <侵略に関する政府見解> 1995年8月15日、当時の村山富市首相が「戦後50周年の終戦記念日に当たって」と題する談話を発表。過去の戦争などについて「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と「侵略」を明確に認め、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した。その後も日本政府の基本的見解として踏襲されている。

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 ※ 村山富市首相の政府見解も、田母神航空幕僚長の私的見解も、何れも事実に反するものではない。欧米列強(白人帝国)は、明らかにアジア・アフリカを好餌として強大な国家を建設した。アジアにおいて独立国家を保つことは、まことに稀有なことだった。ただ日本の軍部は、余りに管見に過ぎ暴走した。 田母神氏は、退官を前に自ら花道を飾ったか、はたまた華々しく祝砲を打ち上げたか。何れにせよ、麻生首相にとっては甚だしく迷惑なタイミングだった。

 ※ 翻って自民党議員は、地元有権者に対して、先の戦争は侵略戦争であり、戦死者らは侵略者であったとでも言っているのだろうか。衰えたとはいえ、未だに靖国は票田となっている。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」などと言う、「赤信号、皆で渡れば恐くない」的な姑息な寄り合いもあるほどだ。政治家が官僚的言辞に終始する時、政治は機能しない。



 11月1日は、萩原朔太郎の誕生日です。

 ◇ 萩原朔太郎(1888〜1942)

 群馬県前橋市の医師の子に生まれる。長男で朔日(ついたち)生まれと言うことで、朔太郎と名づけられる。少年時代から文学に興味を持ち、前橋中学校では文学に熱中する余り落第。 北原白秋主宰の「朱欒(ザンボア)」に詩を投稿し白秋に認められ、白秋門下の新進気鋭として作詩活動を始める。室生犀星の「小景異情」に感動して以後、彼との交際も始まる。

 大正5年、室生犀星らと同人誌「感情」を創刊。翌年、官能的な神経の戦慄と近代的な孤独を、音楽性に富む口語表現でうたった処女詩集「月に吠える」により、日本近代詩に不滅の金字塔をうちたてる。彼の詩は、病的な鋭い感覚と虚無的な悲哀感を美しいリズムある口調で綴り、近代詩に新風を吹き込む。

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 萩原朔太郎と室生犀星とは終生の友であったが、その生まれも育ちも全く対照的だった。両者の初対面は室生犀星が25才の時、犀星は早春のまだ寒い前橋駅頭でマントも着ず、原稿用紙とタオルと石鹸を風呂敷きに包み、犬殺しのようなステッキを携えていた。一方朔太郎は、トルコ帽をかぶり半コ−トを着用し、愛煙のシガーをくゆらしていた。互いの第一印象は酷いもので、犀星は、「なんて気障な虫酸のはしる男なんだ」。朔太郎は、「なんと貧乏くさい痩犬だろう」と絶望的感慨を持ったそうだ。朔太郎は犀星の詩情から、青白い美少年を想像していた。

 昭和16年頃から体調が思わしくなくなり、翌17年5月11日、世田谷区代田の自宅で肺炎の為に逝去、享年55。


 竹
 光る地面に竹が生え、
 青竹が生え、
 地下には竹の根が生え、
 根がしだいにほそらみ、
 根の先より繊毛が生え、
 かすかにけぶる繊毛が生え、
 かすかにふるえ。

 かたき地面に竹が生え、
 地上にするどく竹が生え、
 まっしぐらに竹が生え、
 凍れる節節りんりんと、
 青空のもとに竹が生え、
 竹、竹、竹が生え。

 萩原朔太郎「月に吠える」 より


 恋愛は忍耐である。未だかつて、
 性急者(せっかち)の成功した恋を見たことがない。

 ほんとに死んだ友を弔う礼儀は、
 黙って酒を飲みながら、しずかに涙をながすのである。
 さらば涙は友のみのためでなく、自分の身の上のためにも流れるだろう。

 怠惰ということは、かつて昔に於て、
 一つの典雅な貴族的の趣味であった。

 家に一人残されてるのは、彼の孤独な父ばかりである。
 今の時代に於いては、すべての中で父が一番悲しいのである。

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 長女の葉子は、作家・萩原葉子。朔太郎夫妻は大森時代、ダンスに打ち興じていたのが災いし、妻・稲子は浮気の誘惑から家を捨て出奔。父は世間的には変わり者で、子供たちに声一つ掛けない。祖母は妹ばかりかわいがる。葉子は祖母から「淫乱な母の血をひく醜女」と罵られ、虐待に近い環境で少女時代を過ごす。これが文学者としての資質を磨き(?)、これらを題材にして『蕁麻(いらくさ)の家』(昭和51年)を著す。

 ◇ 萩原葉子(1920年〜2005年)

 1920年、朔太郎の長女として東京に生まれた。離婚した30代半ばから文章を書きはじめ、1959年に著した「父・萩原朔太郎」で翌年日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。1966年、朔太郎に師事した詩人・三好達治を描いた「天上の花」で新潮文学賞と田村俊子賞。

 「蕁麻(いらくさ)の家」(女流文学賞)に始まり、「閉ざされた庭」「輪廻の暦」で完結した自伝3部作で複雑な家庭環境、不幸な結婚生活を描き、1999年、毎日芸術賞を受けた。「ダンスで越えた私の人生」などのエッセーもある。 2005年7月1日午前3時39分、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群のため亡くなった。84歳。自宅は東京都世田谷区梅丘2の15の11。喪主は長男、朔美さんが務めた。


 【参照】11月1日、灯台記念日&犬の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/22815457.html

 【参照】11月1日、「カーペットの日」
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37845971.html

 【参照】11月1日、獅童に“梨園”状(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/22852334.html

 【参照】日本シリーズ第5戦、中日が先制、夢舞台へGO(2007年11月1日)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37860937.html

 【参照】山井&岩瀬のパーフェクト・リレーで4連勝、中日日本一
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37863392.html

 【参照】日本シリーズ、山井投手交代の是非(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37872340.html

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