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平成20年12月3日(水)見上げれば夜空に:月・金星・木星が揃っています。 日没後の空に輝く三日月と明るい星二つ。南西の空に1日夜、月と金星、木星が近くに並んで浮かぶ姿が各地で見られた。 日没後、まだ明るい空にまず月が浮かび、暗くなるとともに、その上に「宵の明星」と呼ばれる金星が、さらにその近くに木星がくっきりと浮かんだ。国立天文台(東京)によると、金星と木星は今月上旬は並んで見え、その後は見かけ上、離れていくという。 12月3日は、「カレンダーの日」です。 明治政府の太陽暦採用に伴い、明治5年12月3日(旧暦)を明治6年(1873年) 1月1日とした事に由来、全国団扇扇子カレンダー協議会が1988年に制定した。 12月3日は「カレンダーの日」(HPより) 日本で現在使用している太陽暦が採用されたのは1872年(明治5年)のこと。当時、政府は「来る12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日とする」と発表しました。それまで太陰太陽暦ですべてが動いて いたのに、わずか23日後から暦が変わることになり、その混乱ぶりは想像以上のものだったようです。 この改暦は、太陽暦を採用している諸外国と外交上で足並みを揃えるため、そして日本が文明国家に仲間入りしたことを海外に広くアピールするための施行でもありました。その後の日本が文明国家として大きく成長したのは言うまでもありません。 ところが、社会は太陽暦にのっとって動いてはいましたが、大正、昭和に入るまで庶民の暮らしはまだまだ旧暦によるところが大きかったのです。たとえば、農村の種まきや祭礼日、親の命日などは 旧暦通りに行われていました。1947年(昭和22年)の調査では「新旧暦を併用して使っている」と答えた人は、全国で実に44パーセントにものぼったとか。庶民の暮らしの中にいかに太陰太陽暦が浸透していたかを考えると、改暦当時の大混乱ぶりが想像できるでしょう。 ともあれ、日本国民に大きな衝撃を与えた1872年の改暦、この史実に基づき1988年(昭和63年)に 12月3日を「カレンダーの日」と定めました。 ◇ 産科・産婦人科の減少、歯止めかからず(12月3日) 全国の産科・産婦人科のある病院数は2007年、前年よりも37か所少ない1539ヶ所で、産科・産婦人科の減少傾向に歯止めがかからない実態が2日、厚労省がまとめた「医療施設調査」でわかった。1990年(2459か所)と比較すると6割に近い水準にまで減っており、同省は「過酷勤務や訴訟リスクを回避したい医師の産科離れは深刻。産科施設の集約化も進んでいる」と分析している。 調査は毎年実施されているが、実際に分娩を扱った病院数の調査は3年に1回。直近の2005年では、産科・産婦人科のある病院の2割弱が分娩を実施していなかったため、2007年調査の病院数にも未実施施設が相当数含まれているとみられる。 |

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