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平成20年12月26日(金)昨日:派遣切り、届いた0円の給料明細。 男性に送られてきた給料明細。「派遣切り」の後に送られてきたのは手取り0円の給料明細だった。手取り0円どころか、未収金481円を請求する内容だった。関東地方の半導体基板製造工場で派遣社員として働いていた30代後半の男性。11月上旬に契約打ち切りを言い渡された。だが、11月分の給料は、寮の清掃費などを差し引かれて1円も振り込まれなかった。「平気で使い捨てておいて、ここまでするのか」。男性は怒りにふるえている。 ※ 米国市場の長期低迷が見込まれる中、内需拡大は必須のテーマであるはず。だが、これほどまでに人件費をカットし続ければ、国内の購買層など絶えて無くなってしまうだろう。年末年始を家で過ごす人が多いに違いない。 うずくまる 頭を垂れて 冬籠もり。 12月26日は、見瀬丸山古墳の石室内部写真を公表した日です。 1991年12月26、見瀬丸山古墳の石室内部を撮影した写真がテレビ朝日の 報道番組「ニュースステーション」で発表されました。 見瀬丸山古墳は奈良県橿原市見瀬町、五条町、大軽町にまたがる地区に存在する前方後円墳。6世紀後半に築造されたと推定されており、研究者の間においては欽明天皇と堅塩媛の陵墓であるとの説が有力視されている。 橿原市在住の子どもが友だちと遊んでいる際中に、同古墳の柵外において横穴式石室羨道への入り口を発見。この話を聞いた父親が、5月30日早朝の出勤前に、子どもと共に羨道を通って内部に入り、カメラで石室内部を撮影した。その父親から連絡を受けた大阪朝日放送は、撮影写真の解析を東海大学情報技術センターとコニカの共同作業によって行なった。(※ 羨道(せんどう):横穴式石室で、入口から玄室または前室へつながる通路の部分) 寸法については、撮影者の子供が写っている写真を基に解析し決定された。石棺は江戸時代の記録通りに配置されていた。家形石棺はどちらも蓋近くまで泥で埋まっており、蓋に付く縄掛け突起の特長から、手前の石棺は刳抜式で6世紀の第3四半世紀に、奥の石棺は7世紀の第1四半世紀にそれぞれ造られたと推定された。 石室正面を構成する花崗岩の巨石は重量が百トンを越えると推定されており、石舞台古墳の75トンの石を凌ぐ大きさ。石室はその石積様式から6世紀末から7世紀初めに構築されたと考えられた。その後、森浩一・同志社大学教授(当時)が12月10日の大阪講演でこの話を取り上げたところ、12月26日、テレビ朝日のニュースステーションの番組内において、撮影された30枚の写真を公開した。 天皇陵内部を垣間見る機会を得た多くの国民から強い関心が寄せられた。古墳研究の専門家の間においても、これらの写真の持つ学術的価値は極めて高いと評価された。 その後、1992年8月10日〜9月15日まで宮内庁書陵部による開口部の閉塞工事に併せて簡単な実測調査が行われ、後日報告書が作成公表された。 ※ 束の間、庶民の目に触れた天皇陵内部。宮内庁の陵墓に関する秘密主義は、依然として厳格なもののようだ。現場を封印することを最重要として、多くの貴重な文化財が損傷してきた。 皇室のルーツとは、そも如何なるものなのか? 任那姓は何を意味するのか? 皇族は何故、日本国籍をもたないのか? |

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