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平成20年12月27日(土)昨日:「被告に結核の恐れ」傍聴人にマスク配布。 大阪地裁が、26日に判決があった窃盗事件の公判で、「被告に結核の恐れがある」と知らせる張り紙を法廷前に掲示し、傍聴人にマスクを配布、裁判官をのぞき、在廷した全員が着用した。 初公判があった今月中旬にも同様の措置を取っていた。地裁は「感染の可能性は極めて低く、念のための措置」と説明しているが、被告の同意なく掲示しており、裁判とは無関係な病歴を公表したことになる。来年5月からは裁判員制度が始まり、多くの市民が裁判所を訪れる。感染防止か、被告のプライバシー保護か。裁判所は難しい対応を迫られそうだ。 この日の法廷には、飛沫感染を防ぐため、証言台の前に透明のアクリル板を設置。被告がマスク姿だったほか、検事と弁護人、地裁職員2人、看守2人、傍聴人1人がマスクを着用した。裁判官だけは2回の公判を通じてマスクはしていなかった。その理由について、裁判官は「被告が着けていたし、自分の発言が聞き取りにくくなると思った」と説明している。 ※ 結核:結核菌による感染症。くしゃみや咳で空気感染するが、患者が服薬すると他人に感染する危険性は少なくなる。菌が体内に入っても必ず感染するわけではなく、発病の確率は5〜10%とされる。2006年に新たに結核患者とされたのは全国で約2万6000人。 12月27日は、加藤登紀子の誕生日です。 ◇ 加藤登紀子( 1943年生まれ ) 旧満州・ハルピン生まれの京都育ち。シンガーソングライター。「おときさん」の愛称で親しまれる。東京都立駒場高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒。現在は城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科の客員教授。 1965年、東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝 1966年、「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞受賞(当時、聞いたことがなかった) 1969年、「ひとり寝の子守唄」で日本レコード大賞歌唱賞受賞(ヒット) 1971年、「知床旅情」で、2度目の日本レコード大賞歌唱賞受賞(大ヒット) 1972年、藤本敏夫と獄中結婚 1983年、東宝『居酒屋兆治』に高倉健の妻役で、映画初出演 1987年、「百万本のバラ」大ヒット。「難破船(中森明菜)」 「わが人生に悔いなし(石原裕次郎)」などの提供曲も好セールス 1988年、カーネギーで日本人女性として初めてのコンサートを行う 1997年、WWFジャパン(世界自然保護基金日本委員会)評議員に就任 2000年、UNEP(国連環境計画)親善大使に任命される 2008年、九条世界会議に参加、全体会のフィナーレを飾る 学生運動が盛んだった高校生の頃、東大生・樺美智子の訃報にふれ、心を動かされる。同大入学後、アイドル歌手的存在となりつつも学生運動に積極的に参加。その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫に、コンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌った加藤はそれを断る。 この件をきっかけに二人は交際を始める。1972年5月、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本と獄中結婚。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた、加藤登紀子を代表する曲のひとつである。勾留と釈放を挟みあわせて30年間を連れ添った夫は、2002年に死去(享年58)。夫との間には1972年、1975年、1980年生まれの三人の娘がおり、Yae(藤本八恵)が歌手活動中。 ◇ Yae(やえ ) 1975年、藤本敏夫・加藤登紀子の次女として生まれる。高校時代、身体表現に興味を抱き、モダンダンスを始める。1995年、ポーランドのホロコーストを描いた音楽劇「コルチャック先生」の歌手役に抜擢され、1999年より本格的に“歌うたい”を目指し始める。 2001年、アルバム「new Aeon」でポニーキャニオンよりデビュー。全国各地でのコンサートをこなし、CMソング(パイオニア、旭化成)やTV番組のテーマ曲(テレビ朝日系「素敵な宇宙船地球号」、NHK BS-hi「美しき日本 百の風景」)、映画(「13階段」)、ゲーム(ファイナルファンタジークリスタルクロニクル)の主題歌、NHKみんなの歌「名もなき君へ」(2003年10〜11月放送)、声優など様々な分野において活躍中。 2004年7月、4thアルバム「aloha nui」を発表。 オフィシャルHP http://www.yaenet.com/ 【参照】12月27日、ワープロ専用機の生産停止(2002年)
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/26035763.html ※ 今年も吾がワープロ専用機・書院は、宛名書きに活躍。 |

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