今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成21年1月4日(日)昨日:偽メール事件で辞職の永田元議員が飛び降り自殺。

 3日午後6時25分頃、北九州市八幡西区里中3のマンションの駐車場で、偽メール問題で2006年に議員辞職した永田寿康(ひさやす)・元民主党衆院議員(39)が倒れているのを住民が見つけた。病院に搬送されたが、死亡が確認された。 福岡県警八幡西署によると、10階と11階の間の階段の踊り場でノートに書いた遺書が見つかった。同署は飛び降り自殺したとみて調べている。踊り場には焼酎1.8リットルの空の紙パックもあったという。永田元議員は昨年11月から、マンション近くの病院に精神疾患で入院していた。

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 永田元議員は2006年2月、衆院予算委員会で、当時のライブドア社長(堀江貴文)が、自民党幹部(武部勤・自民党幹事長)の家族への送金を指示したとする電子メールを取り上げたが、後にメールが偽造と判明し、衆院懲罰委員会で「メールは偽物」と認め、武部氏らに謝罪、同年4月に議員辞職した。永田元議員は2000年6月の衆院選で、千葉2区から初当選。以後、2回当選し、民主党調査局次長などを務めた。


 ◇ イスラエル軍、ガザへの地上侵攻開始

 イスラエル軍当局は、同国南部のパレスチナ自治区ガザとの境界に展開していた国軍の地上部隊が3日夜(日本時間4日未明)、ガザへの侵攻を開始したことを明らかにした。 戦闘ヘリによる援護射撃を受けながら、戦車などでガザに入った。

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 死傷者や部隊規模は、同夜現在、明らかになっていないが、イスラエルが地上侵攻に踏み切ったことで、先月27日の空爆で始まった軍事衝突は、新たな段階に入った。 イスラエル軍当局は3日夜、今回の軍事作戦が「長期間に及ぶ」との見通しを示した。



 1月4日は、アルベール・カミュの命日です。

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アルベール・カミュ(1913年〜1960年、自動車事故死)


 ◇ 『シーシュポスの神話』

「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する。これが哲学上の根本問題に答えることなのである」

「それ以外のこと、つまりこの世界は三次元よりなるかとか、精神には九つの範疇があるのか、十二の範疇があるのかなどというのは、それ以後の問題だ。そんなものは遊戯であり、まずこの根本問題に答えなければならぬ。そして、ニーチェの望んでいることだが、哲学者たるもの身をもって範をたれてこそはじめて尊敬に値する、というのが真実であるとすれば、その時、この根本問題に答えることがどれほど重要なことであるか──この答えにつづいて決定的動作が起るかもしれないのである──それが納得できよう。」

「ある問題のほうが別のある問題より差迫っているということを、いったい何で判断するのかと考えてみると、ぼくの答えはこうだ。その問題の惹き起こす行動を手がかりにしてだと、いまだかつてぼくは、存在論的論証の結果を理由として人が死ぬのに出会ったことがない。ガリレオは重要な科学的真理を強く主張していたが、その真理ゆえに自分の生命が危険に瀕するや、いともやすやすとそれを捨ててしまった。ある意味ではこれは当を得た振舞いだった。その真理は真理だからといってそのために火あぶりの刑に処せられるだけの値打ちはなかったのだ」

「これに反して、多くの人びとが人生は生きるに値しないと考えて死んでゆくのを、ぼくは知っている。他方また、自分に生きるための理由をあたえてくれるからといってさまざまな観念のために、というか幻想のために殺しあいするという自己矛盾を犯している多くの人びとを、ぼくは知っている。(生きるための理由と称するものが、同時に、死ぬためのみごとな理由でもあるわけだ)」

「これまで自殺は社会現象のひとつとしてしか扱われなかった。しかし、今ここでまず問題にしようとしているのは、それとは反対に、個人の思考と自殺との関係である。自殺というこの動作は、偉大な作品と同じく、心情の沈黙のなかで準備される。当人自身もそれを知らない。ある夜、かれはピストルの引き金を引く。あるいは身を投げる」

「自殺した不動産管理人があったが、ある日ぼくは、その男が五年前に娘をなくし、それ以来というものすっかりひとが変ったようになってしまった。そうした事情が「かれの内部にすこしずづ穴を穿っていたのだ」という言葉を聞いた。これ以上正確な表現はのぞめまい。思考をはじめる。これは内部に穴があきはじめるということだ。こういう発端に社会はあまり関係していない。蝕み食いあらしてゆく虫は、外側の社会にではなく、人の心の内部にいる。ひとの心の内部にこそ、原凶たる虫を捜さなければならぬ」

「おのれを殺す、これはある意味で、そしてメロドラマでよくあることだが、告白するということだ。 --- そう、おのれを殺すとは、[苦労するまでもない] と告白すること、ただそれだけのことにすぎない」

「とすれば、精神が生きてゆくのに必要な眠りを精神から奪ってしまうこの見定めがたい感覚とは、いったい、どのようなものなのか。たとえ理由づけがまちがっていようと、とにかく説明できる世界は、親しみやすい世界だ。だが反対に、幻と光を突然奪われた宇宙のなかで、人間は自分を異邦人と感じる」

「ひとはおのれを殺すか、殺さないかのどちらかであるのと同じように、哲学的解決としてはふたつしかない。しかりという解決と否という解決のふたつしかないように思える」「とすれば何とも明快すぎるほど明快な話になるだろう。だが、結論を出さずにたえず問いかける人びとのことを考えに入れなければいけない。ぼくはいま皮肉をいっているつもりはほとんどない。大多数の人びとがそうなのだ」

「ひとりの人間が生に執着する。ここにはこの世のあらゆる悲惨よりもさらに強いなにかがある。身体の下す判断は精神の下す判断と等価のものであり、身体は滅亡を前にすると後じさりをする。ぼくらは思考の習慣よりまえに生きる習慣を身につけているのだ」

「とりたててこともない人生の来る日も来る日も、時間がぼくらをいつも同じようにささえている。だが、ぼくらのほうで時間をささえなければならぬときが、いつかかならずやってくる。ぼくらは未来を当てにして生きている、『明日』とか、『あとで』とか、『あんたに地位ができたら』とか、『歳をとればお前にも解るさ』とか言いながら。ともかくいつかは死ぬのに、こういう筋の通らぬ考え方をするとは、なんともご立派なものだ」

「時間こそ最悪の敵だと気がつくのだ。明日になれば、──それまでのかれは、明日になればというふうに、明日を願っていた、──現実には彼の全存在が明日になるということを拒んでいたはずなのに。こういう肉体の反抗、それが不条理だ」

「まるで、[死を知らぬ] ようにして生きていることには、いくら驚いても驚きたらぬだろう。これはじつは、死の経験というものがないからだ。本来、現実に生き、意識したものしか経験でありえないのだが、この死という場合、せいぜいのところ、他人の死についての経験を語ることしかできない。そんなものは代用品、精神の一見解にすぎず、ぼくらはそれを固く信じているというわけでは決してないのである」

「まったく教訓的だと思える一つの明々白々たる事実がある。人間は常に自分が真実と認めたもののとりこになってしまうということだ。何かをひとたび真実と認めてしまうと、人間はなかなかそれから自由になれない」

(『シーシュポスの神話』カミュ、清水徹訳、新潮文庫)

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 ◇ きょう、ママンが死んだ。(『異邦人』)

 ムルソーは、酷暑のなかでアラブ人たちの喧嘩に巻きこまれ、殺人を犯す。ナイフをふりかざして襲ってきたアラブ人に、銃弾を4発撃ちこんだ。太陽がギラギラ照りつける海岸であった。

 ムルソーは仲間と遊んでいただけだった。友人のレエモンが「やるか」とけしかけた時も、ムルソーは「よせ」と言っていた。だが、殺人がおこる。そして、「すべてが始まったのは、このときだった。私は汗と太陽とをふり払った。昼間の均衡と、私がそこに幸福を感じていた、その浜辺の異常な沈黙とを、打ち壊したことを悟った」

 捕らえられたムルソー。ムルソーにとって、自分の味方のはずの弁護士をふくめ、裁判のすべては自分抜きですすんでゆく。そして、検事の言葉がムルソーの全存在を否定する。 「陪審員の方々、その母の死の翌日、この男は、海水浴にゆき、女と情事をはじめ、喜劇映画を見に行って笑いころげたのです。もうこれ以上あなたがたに申すことはありません」。

 法廷に立ったムルソーは、自分の心を正直に述べている事が、人々には異常に見える事に初めて気がつく。母が死んでも涙を流さず、コーヒーを飲み、タバコを吸っていたという事が咎められる。検事は母の葬式の翌日、喜劇映画を見に行き、女と戯れていた事実を冷酷な変質者と非難する。

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 判決は絞首刑だった。ムルソーは死を受け入れる事により自由になる。

 ※ ムルソー(Mersault、mer [海] + sol [太陽])は、社会や集団から異分子として葬り去られる。公序良俗に反するアウトサイダー、理解を拒むストレンジャー、見知らぬエトランジェとして排斥される。社会は、母親の葬儀に際して涙を流す人を求めているのだ。思えば私は、十二分に社会の要請にお応えしたことになりそうだ。

 日本文壇では、1951年に広津和郎氏と中村光夫氏のあいだで『異邦人』論争が交わされた。それは、日本文化論でもあった。1968年、ルキノ・ヴィスコンティが『異邦人』を映画化した。ムルソー役は、マルチェロ・マストロヤンニだった。


「不滅とは未来のない観念である」 - - - - - 「カミュの手帖」

「幸福とは、それ自体が永い忍耐である」 - - - 「カミュの手帖」


 ◇ 『シーシュポスの神話』( Sisyphus)

 ギリシア神話に登場する人物。シジフォス、シシュポス、シシュフォスとも。コリントスの創建者。徒労を意味する「シーシュポスの岩」で知られる。彼は言葉巧みに神々を誑かし、終に永遠の苦役を科される。

 「シーシュポスの岩」(the stone of Sisyphus)

 シーシュポスは罰として、巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられる。シーシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで下まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。「果てしない徒労」を意味する「シーシュポスの岩」、我々の人生も、またかくの如しか。

 ※ キリスト教を徹底批判し、「神は死んだ」と宣言したニーチェは虚無に陥り、狂気の淵に沈んだ。既成の価値観を否定するだけで自身の価値観を創出できなければ、誰しも大きな不安を抱えたまま生きねばならない。それは、「シーシュポスの岩」のような人生でもある。

 幼い頃、自分が死んでも世界は何ら困ることなく回ってゆくに違いないと気づいた時、もの凄く不安な思いがした。自分は決して世界の中心ではなかった。では、自分と世界との関係はどうなっているのだろうか? さっぱり分からなかった。なぜ毎朝、小学校にゆくのだろう? なぜ、子どもたちだけが集まっているのだろう。私の周りは、不安に満ちた世界でしかなかった。


 【参照】1月4日、大坂住吉大社・踏歌神事(福の餅まき)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/26439254.html

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