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平成21年1月16日(金)昨日:上原がオリオールズ入団で記者会見。 米大リーグのオリオールズと2年契約した上原浩治投手(33)は14日、メリーランド州ボルティモアの本拠地球場で入団記者会見した。契約は13日に発表されたが、この日は報道陣の前で契約書にサイン。巨人時代と同じ背番号「19」のユニホームに袖を通した上原は「挑戦したいという気持ちが強かったので、目標が叶いうれしい。そして、やらなければいけないという気持ちにもなっている」と語った。 AP通信などによると、2年総額1000万ドル(約8億9000万円)、出来高を含めると最高1600万ドル。ヤンキース、レッドソックスなどと同じア・リーグ東地区で昨季最下位のオリオールズは投手陣の補強が急務で、上原は先発として期待される。 異例とも言える会見当日の投球開始は、上原の意気込みの表れでもある。 スーツからトレーニングウエアに着替えた。華やかな会見から一転、上原の表情がぐっと引き締まった。関係者はマクフェイル球団社長と会食に出掛けたが、右腕は球場に残り、室内練習場に向かった。オ軍関係者は「投球練習を行った」と証言。大リーガー・上原が、いきなりブルペンで初投げまで行った。その後もウエートトレーニングなど約2時間、たっぷりと汗を流した。 新人とはいえ、日本通算112勝を挙げた上原にはエースとしての期待がかかる。マクフェイル球団社長は「うちにこれだけの成功を収めた投手はいない。戦う姿勢や野球への取り組みが若い選手に伝わってくれれば」と名門再建のリーダーに指名した。先発ローテーション投手の柱は昨季10勝12敗のガスリーくらい。巨人で7年連続開幕投手を務めた実績がある上原が春季キャンプを順調にこなせば4月6日、ヤンキース戦で日本人投手1年目として初の開幕投手に抜擢される可能性も高い。いきなり巨人時代の先輩、松井とのガチンコ対決にも上原は「初めて真剣勝負ができる。そういう楽しみがある」と自信たっぷり。体に再び沸き起こる“雑草魂”。1年目から重い役割を担う覚悟はできている。 1月16日は、葛西善蔵の誕生日です。 ◇ 葛西善蔵(1887〜1928) 青森県弘前市に生まれる。生家は広く商売をしていたが、善蔵が2歳のときに没落、一家は北海道や津軽地方を転々とした。善蔵は母の生家の碇ヶ関村に住み、そこで小学校の課程を修了、商家の小僧をはじめさまざまな職業に就く。文学を志して上京、東洋大学や早稲田大学の聴講生となるなかで、舟木重雄や広津和郎たちと知り合い、同人雑誌『奇蹟』のメンバーとして迎えられる。1912年、『奇蹟』創刊号に「哀しき父」を発表して、作家としての力量を発揮。 しばらく故郷と東京とを往復しながら作品を書くも、生活は困難を極めた。1919年に創作集『子をつれて』を新潮社から刊行し、作家としての地位を確立。だが家族を養うことは難しく、それがその後の葛西の生活に大きな影響をもたらす。 葛西の作品は、ほとんどが私小説といってよいもので、そこに描かれた貧困や家庭の問題は、その率直さで読者に感銘を与えた。一方では、妻を故郷において東京で別の女性と同棲して、子もなしたことへの批判は当時から根強く、それへの反発が葛西の作品の底流にあった。40歳に近づくと生活も荒れ、執筆もほとんどが口述筆記となり、嘉村礒多がその任にあたった。肺病が重くなり、1928年、41歳で死去した。故郷の弘前では、石坂洋次郎や戦後代議士となった津川武一が、葛西文学の顕彰のために力を尽くした。 『哀しき父』(抜粋) 葛西善藏 一 彼はまたいつとなくだんだんと場末へ追ひ込まれてゐた。四月の末であつた。空にはもやもやと靄のやうな雲がつまつて、日光がチカチカ桜の青葉に降りそゝいで、雀の子がヂユクヂユク啼きくさつてゐた。どこかで朝から晩まで地形ならしのヤートコセが始まつてゐた……。 彼は疲れて、青い顔をして、眼色は病んだ獣のやうに鈍く光つてゐる。不眠の夜が続く。ぢつとしてゐても動悸がひどく感じられて鎮めようとすると、尚ほ襲はれたやうに激しくなつて行くのであつた。 今度の下宿は、小官吏の後家さんでもあらうと思はれる四十五六の上さんが、ゐなか者の女中相手につましくやつてゐるのであつた。樹木の多い場末の、軒の低い平家建の薄暗くじめじめした小さな家であつた。彼の所有物と云つては、夜具と、机と、何にもはひつてない桐の小箪笥だけである。桐の小箪笥だけが、彼の永い貧乏な生活の間に売残された、たつたひとつの哀しい思ひ出の物なのであつた。 彼は剥げた一閑張の小机を、竹垣ごしに狭い通りに向いた窓際に据ゑた。その低い、朽つて白く黴の生えた窓庇とすれすれに、育ちのわるい梧桐(あをぎり)がひよろひよろと植つてゐる。そして黒い毛虫がひとつ、毎日その幹をはひ下りたり、まだ延び切らない葉裏を歩いたりしてゐるのであつたが、孤独な引込み勝な彼はいつかその毛虫に注意させられるやうになつてゐた。そして常にこまかい物事に対しても、ある宿命的な暗示をおもふことに慣らされて居る彼には、その毛虫の動静で自然と天候の変化が予想されるやうにも思はれて行くのであつた。 孤独な彼の生活はどこへ行つても変りなく、淋しく、なやましくあつた。そしてまた彼はひとりの哀しき父なのであつた。哀しき父 … 彼は斯う自分を呼んでゐる。 彼にはこれから入梅へかけての間が、一年中での一番堪へ難い季節になつてゐた。彼は此頃の気候の圧迫を軽くしよう為めに、例年のやうに、午後からそこらを出歩くことにしようと思つた。けれども、それを続ける事はつらいことでもある。カーキ色の兵隊を載せた板橋火薬庫の汚ない自動車がガタガタと乱暴な音を立てて続いて来るのに会ふこともあつた。吊台の中の病人の延びた頭髪が眼に入ることもあつた。欅の若葉をそよがす軟い風、輝く空気の波、ほしいまゝな小鳥の啼声 … … しかし彼は、それらのものに慄へあがり、めまひを感じ、身うちをうづかせられる苦しさよりも、尚堪へ難く思はれることは町で金魚を見ねばならぬことであつた。 金魚と子供とは、いつか彼には離して考へることの出来ないものになつてゐた。 二 彼はまだ若いのであつた。けれども彼の子供は四つになつてゐるのである。そして遠い彼の郷里に、彼の年よつたひとりの母に護られて成長して居るのであつた。 彼等は … 彼と、子と、子の母との三人で … 昨年の夏前までは郊外に小さな家を持つていつしよに棲んでゐたのである。世の中からまつたく隠遁したやうな、貧しい、しかし静かな生活であつた。子供は丁度ラシャの靴をはいてチヨコチヨコと駈け歩くやうになつてゐたが、孤独な詩人のためには唯一の友であり兄弟であつた。 彼等は縁日で買つて来た粗末な胡弓をひいたり、鉛筆で絵を描いたり、鬼ごつこなぞして遊んだ。棄てられた小犬と、数匹の金魚と亀の子も飼つてゐた。そして彼等の楽しい日課のひとつとして、晴れた日の午後には子供の手をひいて、小犬をつれて、そこらの田圃の溝に餌をとりに行くことになつてゐた。けれども丁度彼等のさうした生活も、迫りに迫つて来てゐたのであつた。従順な細君の溜息がだんだんと力無く、深くなつて行つた。ながく掃除を怠つてゐた庭には草が延び放題に延びてゐた。 金魚は亀の子といつしよに、白い洗面器に入れられて縁側に出されてあつた。彼等の運命は一日々々と追つて来てゐるのであつたが、子供の為めの日課はやはり続けられてゐた。それが偶ま訪ねて来たいたづらな酒飲みの友達が、彼等の知らぬ間に亀の子を庭の草なかに放してなくなしてしまつた。彼は云ひやうのない憂鬱な溜息を感じた。「はア、カメない、カメノコない……」子供も幾日もそれを忘れなかつた。それからして彼等の日課も自然と廃せられることになり、間もなく、彼等の哀しき離散の日が来てゐたのであつた。 … 「仏正月」年が明けて初めて墓参りやお寺参りをする日 「藪入り」住み込みで働く人達が実家へ帰ること(藪入りや今は昔の死語となり) 「初閻魔」地獄の釜の蓋も開き鬼も亡者もお休みの日、諸難除けを祈願 十王図や地獄相変図を拝み、閻魔堂に参詣する習わし。 |

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