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平成21年2月2日(月)未明:浅間山、噴煙300メートル、周辺で降灰。 気象庁は2日午前1時51分ごろ、長野・群馬県境の浅間山(2568メートル)で噴火が発生したと発表。噴煙の高さは火口から高さ約300メートルに上がり、南東に流れているという。長野県軽井沢町には、住民から「地響きのような音がしたが噴火か」との問い合わせがあった。同町対策本部や軽井沢警察署の調べによると、同町周辺で火山灰が降ったという。午前3時半現在、家屋や怪我人などの被害は確認されていないという。 2月2日は、横井庄一氏、帰還の日です。(1972年) ◇ 横井庄一(1915年〜1997年) 愛知県海部郡富田村(現・名古屋市)出身。太平洋戦争終結から28年目、グアム島で地元の猟師に発見される。 1915年、愛知県佐織村(現・愛西市)にて、山田庄七と大鹿つるとの間に長男として生まれるが、両親は3年後に離婚する。生後3ヶ月から小学校5年生まで母親の里(神守村・現・津島市)で育てられる。1926年、つる再婚、横井姓となる。 1935年に第一補充兵役に編入される。4年間の兵役の後、洋服の仕立て屋を開く。1941年、太平洋戦争のため再召集され、満州を経て1944年からはグアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属される。 戦争が激化し、1944年8月にグアム玉砕、戦死公報が届けられた。1965年10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。 横井はジャングルや自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年1月24日に食料調達の為、川でエビを採っていたところを現地の猟師に発見される。同年2月2日に日本に帰還する。 横井の帰国第一声は、「帰って参りました…、恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」と言うものだった。 「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語となった。 ※ 1972年という“時代”:ぴんからトリオの「女の道」、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が大ヒット。札幌冬季五輪が開催され、赤軍派のあさま山荘事件に日本中が衝撃を受けた年。 戦後の日本の変化に対して果たして適応できるか心配されたが、驚くほど素早く戦後の日本に馴染んでいった。この点は、同様に残留日本兵である小野田寛郎氏が1974年の帰国後、マスコミによる批判や父親との不仲などから、戦後の日本に馴染めずブラジルに渡航したことと対照的であった。その年に美保子さんと結婚した彼は、自身のグアムでのサバイバル生活について全国各地で講演し、耐乏生活評論家、生活評論家として生きてゆく。 1997年9月、心臓発作で逝去、享年82。 2006年6月24日、自宅を改装する形で記念館(名古屋市中川区)を開館。入館無料。展示の目玉は、横井が地中に掘って住んでいた穴を、横井夫妻の知人の美術教諭が紙や竹などで再現した模型。その他、横井が帰国後に復元した、パゴ(ハイビスカス)の木の繊維を織る機織り機や、魚を捕るかご、ココナッツの実で作ったおわんなども展示される。毎週日曜日に無料開放されています。 所在地:名古屋市中川区冨田町千音寺稲屋4175 電 話:(052) 431−3600 開館日:毎週日曜日のみ開館 開館時間:午前10時―午後4時30分 入館料:無 料 ※ 団体や日曜日以外の訪問希望は、記念館までご連絡ください。 ※ 横井庄一記念館の看板は、日曜日のみの掲示となるため 認知度が低く、道に迷いやすいようだ。事前のチェックが不可欠。 ◇ 横井美保子夫人 「自宅を記念館にして残して欲しい、というのは亡くなった主人の遺志でした」、美保子夫人はこう言う。横井さんが帰国した1972年11月に結婚。25年間、苦楽を共にした。「記念館には主人がグアム島で土を掘って造った隠れ家を原寸大(縦約2メートル、横約4メートル)で再現し、室内にあったカマドや主人手作りの竹製のカゴ、ヤシの実を利用した食器、魚を取る漁具などを展示しています。器用だった主人は、植物の茎から得た繊維を織るための機織り機まで自力で作ったんですよ」 記念館は小規模ながら、臨場感タップリ。創意工夫の精神が28年間ものサバイバル生活を可能にした。「主人には人一倍忍耐力があったんです。帰国後、精神修行にと始めた陶芸でも、作っては壊し壊しては作りの繰り返しで、気に入った作品ができるまで決してあきらめませんでした。釉薬も、市販のものは色が安っぽいと、自分で灰から調合したくらいですから」。「無心庵」と名付けた自宅裏の工房で制作された、それら陶芸作品も記念館に並ぶ。 1972年2月2日に故国の土を再び踏みしめた。「帰国早々、主人は栄養失調で病院の個室に入れられました。その時、殺到するマスコミ対策として、警察の関係者の方がガードして下さいましてね。主人は、それを自分を見張っている監視員だと思い、回復して大部屋に移された時、初めて心から安心し、生還を実感したそうです」 「記念館には、身内が戦死された戦災ご遺族がよく見えます。皆さん、主人のグアム島での暮らしぶりに接して、自分たちの父や兄、あるいは夫の苦労がしのばれ、来てよかったとおっしゃって下さる。それを聞いて主人も草葉の陰で喜んでいると思います」。 ※ 彼の著書『無事がいちばん 不景気なんかこわくない』(中央公論社) ※ はくしょん! → お百姓さん! ※ よっこいしょ → よっこい庄一 |

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まず横井氏のご冥福を祈ります。さて、浅間山が噴火したとのこと。天明の大噴火のとき流れ出た溶岩が固まって出来た’鬼押し出し’を若い頃に見ましたが、それはそれは驚く風景でした。褄恋村は家も人も灼熱の砕流のために埋没したといいます。あのポンヘイと似てますね。再び大噴火のないように!
2009/2/3(火) 午前 3:16 [ kaz*_51** ]