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平成21年2月11日(水)昨日:NY株大幅続落、金融安定化策に失望。 10日の米株式相場は大幅に続落。ダウ工業株30種平均は、前日比381ドル99セント安の7888ドル88セントで終えた。ガイトナー米財務長官が新たな金融安定化策を発表、官民共同の投資ファンドを新設し、最大1兆ドルの不良資産を購入することなどが示された。ただ買い取り価格の決定方法など不透明な部分が多いと受け止められ、失望売りが膨らんだ。バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長の議会証言で、新たな資金供給策に関し詳細が示されなかったことも売りを誘ったようだ。ダウ平均の下げ幅は一時400ドルを超えた。 ※ 世界恐慌の様相を思わせる金融危機。政府の対策だけで切り抜けられるとも思えなくなってきた。企業は自己保身に走るばかりで雇用削減を矢継ぎ早に繰り出して、消費の抑制に拍車をかけている。企業が抱えている内部留保を吐き出す覚悟は毛頭ない。大企業がデフレスパイラルにアクセルを踏み込んでいる。 悪夢なり、雇用者破れて、株主あり。 2月11日は、ネルソン・マンデラ解放の日です。(1990年) ◇ ネルソン・マンデラ( Nelson Rolihlahla Mandela ) 1918年生まれ。南アフリカ共和国の政治家、弁護士。ネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、ノーベル平和賞、国際検察官協会名誉章などを受賞。南アフリカ共和国の第11代大統領。 反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され、28年もの長きに渡り刑務所に収容された。釈放後、アフリカ民族会議(ANC)の副議長に就任。その後、議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイトを撤廃する方向へと南アフリカを導き、1994年に大統領に就任する。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に、政治家を引退する。 ◇ フレデリック・デクラーク( Frederik Willem de Klerk ) 1936年生まれ。南アフリカ共和国の第10代大統領。アパルトヘイト体制の解体、アパルトヘイト関係法の全廃に大きな役割を果たす。 1989年12月、デクラーク大統領はマンデラ氏と会談する。1990年2月11日、マンデラ氏が釈放される。1991年、ANC議長に就任。デクラーク氏と協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を二度開き、さらに多党交渉フォーラムを開く。 暫定政府、暫定憲法を作成する。 1993年12月、デクラーク氏と共にノーベル平和賞受賞。 1994年4月、南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、ANCは勝利し、ネルソン氏は大統領に就任する。暫定憲法の権力分与条項に基づき国民党、インカタ自由党と連立政権をたて、国民統合政府を樹立。ネルソン氏は民族和解・協調を呼びかけアパルトヘイト体制下での白人・黒人との対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済不況からの回復として復興開発計画(RDP)を公表。 1999年2月5日、国会で最後の演説をする。同年行われた総選挙を機に政界から引退。ユネスコ親善大使に就任。 ※ ミャンマーのアウン・サン・スー・チー女史は、1989年の自宅軟禁以来、何度か軟禁解除されたものの未だに自由の身ではない。1991年にノーベル平和賞を受賞したが、これが軍政当局を刺激したのか自宅軟禁の日々が続くことになる。非暴力民主化運動指導者は、いずれの国でも迫害される。 |

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