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◇ 『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞 第81回アカデミー賞は22日(日本時間23日)、ロサンゼルスで授賞式が行われ、滝田洋二郎監督の『おくりびと』が外国語映画賞に輝いた。短編アニメーションでは加藤久仁生監督の『つみきのいえ』が受賞し、実写でもアニメでも日本映画の底力を見せつけました。 『おくりびと』は主演の本木雅弘さんが、青木新門氏の「納棺夫日記」に触発され、企画を持ち込んだもの。2008映画「おくりびと」製作委員会による製作。 <shinmon の窓より> 私が、主演俳優の本木雅弘君と交信するようになったきっかけは、十五年前『納棺夫日記』を上梓して間もなくのことであった。突然電話があり、彼がインドを旅した本に『納棺夫日記』の中の一文を引用させてくれという申し出であった。快諾してしばらくしたら、『HILL HEAVEN』と題された本が送られてきた。インド・ベナレスのガンジス川の岸辺で送り火を手にした上半身裸の彼の写真に「蛆も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」という一文が添えられてあった。それは一人暮らしの老人が真夏に亡くなって一ヶ月も放置されていた遺体を私が納棺に行った時の文章の一部であった。 ※ 青木新門氏は、本木が「蛆が光って見えた」と言う表現に着目したことに、深い感銘を受けたと言う。その後、本木は雑誌「ダ・ヴィンチ」でのインタビューで、『納棺夫日記』を映画化したいと述べている。 平気で盗用する人が多い中で、本木雅弘は立派です。 <shinmon の窓より> 「何も蛆の掃除までしなくてもいいのだが、ここで葬式を出すことになるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆たちが鮮明に見えてきた。そして蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱によじ登っているのまでいる。蛆も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」 ※ 私は、映画『おくりびと』を見ているけれど、蛆が出てくる場面は予想できたもので、終始顔を伏せて目にしなかった。その場面こそ、本木を感動させた源泉だと知ると、些か後悔の念が起ってしまうけれど … 。 その時に、後ろの座席の御婦人方は笑っておられた。しみじみ、女は強いと思ったものだった。 『おくりびと』は、遺体を清めて棺におさめる納棺師の職業に、ふとしたきっかけで就くことになった男性の目を通して、生と死のあり方、家族愛などをを描いたもの。第32回 日本アカデミー賞で同作品は他に、助演男優賞(山崎努)、助演女優賞(余貴美子)、監督賞、脚本賞(小山薫堂)、撮影賞、照明賞、録音賞、編集賞で最優秀賞に選ばれた。他に広末涼子さんも出演しています。現在も55館で上映中で、観客動員255万人、興行収入30億円を記録するヒットとなっており、世界29カ国で上映が決まっています。 ※ 広末涼子さん、いろいろあって、女性陣からの評判も芳しくないようですが、作品には恵まれております。この映画でも、広末涼子ならではのテイストが生かされておりました。 ◇ 『おくりびと』ロケの銭湯に取材殺到(2月23日) 庄内地方を舞台にした映画『おくりびと』が23日、米アカデミー賞外国語映画賞を受賞。庄内の美しい自然や街並みだけでなく、山形交響楽団の飯森範親・音楽監督が出演し、東北芸工大の企画構想学科長に今春就任する予定の小山薫堂氏が脚本を担当するなど、山形にゆかりの深い作品で、県内各地で喜びの声が上がった。 鶴岡市本町2丁目の銭湯「鶴乃湯」には、受賞の知らせで新聞やテレビの取材が続々と。三谷享子さん(67)は午後3時からの営業を遅らせて撮影や取材に応じ、常連客などの電話の対応に追われた。 「受賞すると思っていました。おめでとうと言いたい。映画は主人と一緒に試写会で見て三川町でも2回見ています。もう一回見たい。感激で泣きました。本当に心のこもった素晴らしい映画ですよ」 『おくりびと』に感激して月光川の河原で石に思いを託す「石文」を拾って届けた人もいる。酒田市の会社員・斎藤恒久さん(40)は石文を届けて以来、鶴之湯の「常連」となった。 ※ 石文:河原にころがっている石を手に取る。それを何度も繰り返す。時に、自分の心にピタリとくる石に出会う。自分のこころに叶った石をある人に託す。受取った人は、その人の石の“意思”を慮る。 限りなき 時を経巡りて まるい石。 撮影では、スタッフが数十人押しかけた。三谷さんはロケを見守った。『おくりびと』のポスターと滝田監督、主演の本木雅弘さん、笹野高史さん、故・峰岸徹さんの色紙が飾ってある。映画を見て立ち寄る観光客も多く、記念写真を撮ってゆくと言う。アカデミー賞の影響で、これから銭湯の人気も出そうだが、「どうだろう。もう、年ですから … 」。 メーンロケ地の酒田市では、米アカデミー賞と20日の日本アカデミー賞の受賞を伝える看板を市役所に掲げた。撮影に協力したNPO法人「酒田ロケーションボックス」(萩原吉郎理事長)のメンバーは、看板を前に「万歳」で祝った。副理事長のすし店主・佐藤英俊さん(44)は「涙が出てきた。酒田を世界に発信してくれた。ありがたい。滝田監督やスタッフ、出演者に感謝したい」と話していた。 ◇ 滝田洋二郎(1955年12月4日生まれ、富山県高岡市出身) 1981年、『痴漢女教師』で監督デビュー。脚本家・高木功とのコンビでピンク映画の監督として話題作を連発、注目された。1985年、一般映画『コミック雑誌なんかいらない!』を監督する。以降、コンスタントに話題作を発表しています。1990年、病院へ行こう。2001年、陰陽師 etc 。 ※ ピンク映画を20作以上撮り、その内、「痴漢電車」シリーズが10作あまり。所謂ピンク映画が、日本映画の俊英を育てて来たと言うのは、既に定説になっています(猥褻なシーンが一定時間ありさえすれば、あとはどんな実験的な事でも会社は文句を言わなかった。)。彼がロスの授賞式で挨拶した時の「これは私の New Departure です」の言葉には、映画作家としての、したたかな野心が感じられます。(『おくりびと』:米国でのタイトルは『 Departures 』) 新しき旅立ちに幸多かれと 草葉に祈るおくられびとら (依草附木) |

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