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平成21年2月27日(金)昨日:ノルディック選手権、日本が複合団体で14年ぶり金。 ノルディックスキーの世界選手権が26日、チェコのリベレツで行われ、複合団体で日本(湊祐介=東京美装、加藤大平=サッポロノルディックク、渡部暁斗=早大、小林範仁=東京美装)が優勝。荻原健司らを擁した1995年のサンダーベイ(カナダ)大会以来、14年ぶりの金メダルを獲得。複合でのメダルも1999年ラムソー(オーストリア)大会スプリント銅の荻原健司以来だった。 2月27日は、「抱石忌」です。(久松真一の命日) ◇ 久松真一(1889年〜1980年) 岐阜県岐阜市出身の哲学者、仏教学者。旧姓は大野、抱石庵と号す。 1912年、京都帝国大学哲学科入学。西田幾多郎の哲学、鈴木大拙の禅学に影響を受け、東洋哲学、仏教、日本思想を研究。1919年に臨済宗大学(現・花園大学)教授、1929年、龍谷大学教授を兼ねる。1946年、京都帝国大学教授、京都大学教授を務め、1953年の大学定年後、京都市立美術大学教授を務めた。1974年に岐阜市長良福光に移居。1980年に同地にて没。FAS協会代表を務める。 ◇ 久松真一記念館(岐阜市長良福光228-2) 2007年5月、岐阜市長良福光の旧宅を利用して久松真一記念館を開館。記念館には茶室・抱石庵を始め、自筆の書や原稿、著作などが一般公開されている。館長には姪孫の久松定昭が就任。(姪孫=てっそん、兄弟姉妹の孫) 公開日:毎月第2、第4日曜日(要予約) ◇ 遺詠
形無き自己に覚めて不死で死し
◇ 「覚」の宗教としての「禅の第一義」不生で生れ三界を遊戯 今更に死すとや誰か云ふやらむ もと不生なる我と知らずや 我死すも引導追薦葬無用 むくろは荼毘で骨なひろひそ わが墓碑は碧落に建て碑銘をば F A Sと深く彫まむ 大死せばくるにや及ぶ今其処で そのまま真の臨終あはなむ 久松真一は、西田幾多郎や鈴木大拙、西谷啓治らと並ぶ近代日本の代表的な禅思想家の一人だが、久松の思想には、他の禅思想家と比較して生活感が無いとも言われた。久松の思想は、常に禅の第一義の立場(「覚」の立場)から語られているという点がある。久松は、禅思想家と言うよりも、寧ろ端的に「禅者」の風貌をもっていた。 久松は、「覚」の立場における絶対者と自己との同一を説く。久松によれば、自己と絶対者との間に間隙のあるキリスト教や浄土真宗は、なお真の自覚の立場に立つものではないとする。このような久松の姿勢は、他の禅思想家がそれらの宗教の中にも積極的なものを見ていたのとは対照的であった。 だが久松の立場は、現実の世界とのかかわりを断ち、個人的な宗教体験に閉じこもる立場では決してなかった。それは、久松が主催した学道道場の標語「FAS」に端的に現れている。「FAS」とは、形なき自己(Formless self)に目覚め、全人類(All mankind)の立場に立ち、歴史を越えて歴史を創ろう(Superhistorical history)という主張。久松の「覚」の立場は、近代的な人間観がもたらす問題点を超克すべき「ポストモダン」の人間像の提唱にもつながるものだった。 主著に、『東洋的無』(昭和14年)、『起信の課題』(昭和22年) 『茶の精神』(昭和23年)、『絶対主体道』(昭和23年)、『禅と美術』(昭和33年) ※ 無相の自己に相見ゆるためには、従前の自己を捨てなければならない。 全てを捨てきった処に、本来の自己の風貌が眼前に展開されてくる。 廬山烟雨浙江潮 未到千般恨不消 到得帰来無別事 廬山烟雨浙江潮 (蘇東坡) <了悟同未悟 未悟背了悟> |

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ご無沙汰いたしております。
久松先生の記事が載っていたのでお邪魔しました。
盛況でがんばっておられるご様子、何よりです。
では、また。
2009/2/27(金) 午後 5:38 [ 龍の髭 ]