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平成21年3月10日(火)昨日:WBC・侍ジャパン、A組1位ならず。 <WBC・第1R:日本0−1韓国>A組1、2位決定戦(東京D) 第2回WBCは9日、東京ドームで1次ラウンドA組の1位決定戦があり、日本は敗者復活戦から勝ち上がった韓国に0―1で敗れ、2位通過が決まった。日本が大勝した2回戦とは対照的に投手戦となり、岩隈(楽)が4回に許した1点が最後まで響いた。米サンディエゴでの2次ラウンド1組は15日から始まり、日本は15日午後1時(日本時間16日午前5時)開始の1回戦で、B組(オーストラリア、キューバ、メキシコ、南アフリカ)1位と対戦する。 「自分に腹が立ちます」と言ったイチロー。3打席凡退後の第4打席で左腕エース柳賢振から中前打を放ったのが唯一の見せ場だった。7日の韓国戦では3安打と復調を印象づけたが、全開モードとはいかなかったようだ。これに影響されたかのように打線も散発6安打と、力負け。第2ラウンドでは打線の奮起が不可欠だ。 敗戦の現実を受け止めたイチローは、鋭い視線をグラウンドに投げつけた。終了から1時間。通路でテレビカメラの前に立っても、悔しさは拭えなかった。怒りに震えた感情が、思わず口をついたものだった。「1点差でも負けは負け。負けたという事実に腹が立ちます。日本では僕にとって最後のゲーム。ただの韓国とのゲームだけじゃなかったので。自分にも腹が立っています」。 7日の試合でコールド負けした韓国投手陣は血相を変えてきた。その気迫に負けた。2006年の前回大会では初代王者になったが、韓国には1勝2敗だった。 ※ 前試合で、韓国にコールド勝ちした日本と、中国にコールド勝ちした韓国と、何れがその後遺症を引きずっていたかは明白だった。日本は勝てるゲームを落とした。原采配のミスと言ってもいいかも知れない。日本の守備面に瑕疵はなかった。一点を取りにゆく手堅い試合運びを忘れては、米国からの帰国が早まるかも知れません。 それにつけても「日本では僕にとって最後のゲーム」と言ったイチロー。第3回WBCは想定していないようだ。 3月10日は、月の子忌です。(時実新子の忌日) ◇ 時実新子(本名:大野恵美子)(1929年〜2007年) 「君は日の子われは月の子顔上げよ」 川柳作家、随筆家。岡山県上道郡九蟠村(現・岡山市)出身。 1955年、「川柳ふあうすとひめじ」の会に参加、川上三太郎に師事。1963年、第一句集「新子」刊行。1975年、個人誌「川柳展望」を創刊。 1987年、句集『有夫恋』がベストセラーとなる。1995年、神戸新聞平和文化賞受賞。1996年、「月刊川柳大学」を創刊。その作風から川柳界の与謝野晶子とも呼ばれた。2007年3月10日午前5時15分、肺癌のため逝去、享年78。 ※ 晩年、中日新聞で川柳の選者をしていた。自由な作風に共感した。 ◇ 『有夫恋』 心奪われ阿呆のような日が流れ どうぞあなたも孤独であってほしい雨 何でも二つ並べてしまう淋しがり 泣いた泣いた泣いた沢山泣いたたくあんかじる 覚めている人を想うて覚めている 嫌い嫌い嫌い二の腕まで洗い 強がりを言う瞳を唇でふさがれる 困らせて泣かせてみたいそれも愛 慕われているしあわせの髪を梳き 爪を切る時にも思う人のあり 孤独ではない恋人を見た孤独 妻をころしてゆらりゆらりと訪ね来よ ののしりの果ての身重ね 百合みだら五つひらいてみなみだら 伏す畳匂うて野性戻りくる 愛咬やはるかはるかにさくら散る 死ぬほどの思いも逢えばあっけなし 闇の中わたしの芯が哭いている 川柳大学について:「川柳大学」という名称は故・時実新子が、平成8年に創刊した「時実新子の月刊川柳大学」が新子他界により平成19年8月号をもって終刊したのを機に、「川柳大学」という名前だけを残し、時実新子が築いてきた現代川柳を継承すべき活動の場として新子の娘、望月こりん(雅号)を責任者として事務所を設けました。 ◇ 東京大空襲、64年法要に320人、都慰霊堂(2009年3月10日) 10万人の市民が犠牲になった東京大空襲から64年を迎えた10日、大空襲と関東大震災の「春季慰霊大法要」(東京都慰霊協会主催)が、東京都墨田区横網の都慰霊堂で開かれた。遺族ら関係者約320人が参列。 石原慎太郎都知事は「平和な世界を次世代への財産として引き継ぎ、安心して暮らせる首都・東京を創造していくことを改めてお誓いする」と追悼の辞を述べた。その後、寛仁親王殿下に続き、遺族代表らが次々に焼香をしました。 大空襲により江東区の深川地区で母を亡くした千葉県八街市の無川正照さん(75)は「友人も大勢亡くなり、一家全滅になった人もいる。戦争はない方がいい」と目を潤ませ、花を手向けた。 |

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