今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成21年3月25日(水)昨日:日本WBC連覇、イチローが決勝打。

 第2回WBCは23日(日本時間24日)、ロサンゼルスのドジャースタジアムで決勝が行われ、日本が延長十回、5―3で北京五輪金メダルの韓国を破り、2006年大会に続く2連覇を果たした。

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 日本は1点リードの九回、李机浩(イボムホ)の適時打で同点とされたが、十回、イチロー(マリナーズ)がこの日4安打目となる2点適時打を中前に放って勝利を決定づけた。原辰徳監督(巨人)は、日本代表監督を初めて務め、チームを世界の頂点に導いた。MVPには今大会通算3勝を挙げた松坂大輔(レッドソックス)が、2大会連続で選ばれた。

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 ※ イチローの決勝打のお陰さまで、(小沢)一郎さんも続投が決まりました?


 ◇ 西松献金事件で第1秘書を起訴 、小沢代表続投

 準大手ゼネコン「西松建設」から民主党の小沢代表の資金管理団体「陸山会」への違法献金事件で、東京地検特捜部は24日、小沢代表の公設第1秘書と会計責任者を兼ねる大久保隆規容疑者(47)が、同社の献金計3500万円を収支報告書に虚偽記載したとして、政治資金規正法違反の罪で起訴した。特捜部は、他の不正資金の解明のため、捜査を継続する方針。

 一方、小沢氏は同日夜、党本部で開いた幹部会で、秘書の起訴が規正法違反罪のみだったのを踏まえて代表を続投する意向を表明した。 民主党は幹部会後に緊急の役員会と常任幹事会を開き、小沢代表の続投を了承。この後、小沢氏は記者会見し「自身が収賄罪など犯罪に手を染めたという事実はないと申し上げてきた。主張してきたことが事実であると明らかになった」と述べ、新事実がないことを続投の理由にあげた。

 小沢氏は「国民に心配と迷惑をかけたことを心からお詫び申し上げる」と強調。同時に規正法違反容疑での強制捜査と起訴について「この種の問題では記憶がない。私としては合点、納得がいかない」と述べ、検察当局の対応を改めて批判した。

 ※ 政権交代なき民主主義など、ただの幻想にしか過ぎない。



 1948年3月25日、川島芳子が銃殺刑に処せられました。
 東洋のマタハリとも言われた川島芳子(金璧輝)が北京で銃殺刑。

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 ※ 替え玉説が取り沙汰される“疑惑”の写真。

 ◇ 川島芳子(1907年〜1948年)

 清朝粛親王善耆(ぜんき)の第十四王女。本名は愛新覚羅顕シ(=王偏+子)、字は東珍、別名は金璧輝。歌集では和子という筆名を使用。他に芳麿、良輔などと名乗っていた時期もある。日本人の養女となり日本で教育を受ける。清朝の復辟(復位)のために日本軍に協力し、戦後は中華民国政府によって漢奸(国賊、売国奴)として訴追され刑死した。

 1911年10月に辛亥革命が勃発。1912年2月に宣統帝が退位し袁世凱を総統(大統領)とする共和制国家である中華民国が建国される。宣統帝の退位に強く反対していた粛親王は、皇帝退位直前に川島浪速の手引きで北京を脱出し旅順に渡り、家族も日本の手引きで旅順に亡命する。粛親王は日本の援助を受けて清朝復辟運動を行い、1912年と1916年の2度にわたり挙兵を計画するも、日本側の方針転換で中止命令が出され果せず。

 川島浪速は信州松本藩士の子として生まれ、外国語学校支那語科で中国語を学び、1900年の義和団事件で陸軍通訳官として従軍。日本軍の占領地域における警察機構の創設を評価され、日本軍の撤退後も清朝から雇用され、中国初の近代的警察官養成学校である北京警務学堂の総監督に就任。それが縁となり、警察行政を管轄する工巡局管理大臣(後に民政部尚書)粛親王善耆と親交を結ぶ。

 旅順では粛親王一家は、関東都督府の好意により日露戦争で接収した旧ロシア軍官舎を屋敷として提供され、幼い顕シも日本へ養女へ行く前の一時期をそこで過ごした。やがて粛親王が復辟運動のために日本政府との交渉人として川島を指定すると、顕シは川島の身分を補完し両者の密接な関係を示す目的で川島の養女となり、「川島芳子」と改名し、1915年に来日する。

 1922年、粛親王薨去。17歳で自殺未遂事件を起こし断髪、男装となる。断髪の原因は、山家亨少尉との恋愛問題であるとか、養父・浪速に関係を迫られたためであるとも言われる。断髪直後に女を捨てるという決意文書をしたため新聞に掲載されるなど、芳子の男装は、直後から新聞に取り上げられ真似して断髪する女性が現れたり、ファンになった女の子が押しかけてくるなど、ちょっとしたブームを起こす。

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 ◇ 満洲国建国に協力するも …

 その後上海に渡り、上海駐在武官の田中隆吉少佐と交際したことから特務工作に関わるようになり、上海事変の謀略工作にも関わったとされる。上海での活躍から「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれる。1931年9月、関東軍により満洲事変が勃発。11月、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が関東軍の手引きで天津から満洲に脱出。芳子は残された溥儀の皇后・婉容を天津から連れ出し旅順へ護送する任務を務めた。

 1932年、溥儀を執政とする満洲国が中国大陸北部に成立すると、川島芳子は新京で満洲国女官長に任命されるが、実際には就任していなかった。この頃、芳子をモデルにした村松梢風の小説『男装の麗人』が発表され、芳子は「日本軍に協力する清朝王女」として世間の注目を浴びるようになる。その後も、芳子は「東洋のジャンヌ・ダルク」「満洲のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれて、関東軍に利用されてゆく。

 満洲国建国が清朝の復辟ではなく、日本の傀儡国家に過ぎないことが明らかになると、関東軍の満洲国での振る舞いや日中戦争などを批判するようになり、軍部からは「危険人物」として監視されるようになる。軍による暗殺計画もあり、また本人もそのことを察知していたという証言もある。

 1939年頃、療養のため福岡に滞在する。この頃から孤独感に満ちた短歌を作る。私的に書かれたもので長く公表されなかったが、没後50年以上を経て、歌集『真実の川島芳子』として発表される。

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 ◇ 法あれども正しきを得ず 冤あれども誰にか訴えん

 1945年10月、中国国民党軍に逮捕され、漢奸として訴追される。1947年に死刑判決を受け、1948年3月25日、北平第一監獄で銃殺刑に処せられた。日本国籍があれば漢奸罪は適用されなかったが、養父・川島浪速は芳子の帰化手続きを行っていなかったため、日本人とは認められず漢奸罪が適用されたとも言われるが、当時の中華民国は血統主義であり、父親が中国人であれば日本国籍の有無にかかわらず中国人とみなされ、漢奸罪が適用されたものと解することもできる。逆に李香蘭の場合は、日本人と認められ釈放されている。 川島芳子の遺骨は、古川大航師の手により信州の川島浪速のもとへ届けられた。1949年に川島浪速が死去すると、芳子の遺骨はともに松本市の正鱗寺にある川島家の墓に葬られた。

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 銃殺執行直後から替え玉説が報じられ、その後長く生存説が囁かれた。生存説が流れた背景には、通常公開で行われる漢奸の処刑が芳子の場合のみ早朝非公開で行われたこと。執行後に公開された遺体は銃弾が顔面を貫通しており判別不明だったことなどがある。生存説を重視したGHQが調査を行ったが真相を究明することはできなかったと言う。

 銃殺執行後の獄衣のポケットに残されていた川島芳子の辞世の句として、「家あれども帰り得ず、涙あれども語り得ず、法あれども正しきを得ず、冤あれども誰にか訴えん」の言葉が残る。


 「川島芳子記念室」(長野県松本市)

 1998年、川島芳子の没後50周年に、芳子が少女時代を過ごした長野県松本市の日本司法博物館内に川島芳子の書や遺品などを展示した資料室「川島芳子記念室」が開設され、芳子の女学生時代の友人や関係者が芳子のゆかりの品などを寄贈した。記念室は毎年川島芳子が銃殺された3月25日頃の週末に「川島芳子を偲ぶ会」を開催し、長野県内外から多数の人が集っている。また、記念室は2001年に川島芳子が私的に書き残していた和歌を歌集『真実の川島芳子』として出版するなどの活動を行っています。(日本司法博物館は2002年以降、松本市に引き継がれ「たてもの野外博物館松本市歴史の里」と改称され、2007年4月末にリニューアルオープン。川島芳子記念室は歴史の里内の展示棟にあります。)

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 ※ 甘粕の辞世、「大ばくち身ぐるみぬいですってんてん」。

 ※ 満映の理事長の時、内地から来た映画会社の上層部を接待した際に、「お前のところの女優を抱かせろ」と強要され「女優は酌婦ではありません!」と、毅然として断ったと言う。一面では、ヒステリックで神経質、官僚的という性格も知られている。 李香蘭こと山口淑子がおそる恐る「満映を辞めたい」と申し出ると、「気持ちは分かる」と言って契約を破棄してくれたと言う。彼女によれば、「ふっきれた感じの魅力のある人だった。無口で厳格で周囲から恐れられていたが、本当はよく気のつく優しい人だった。ユーモアを解しいたずらっ子の一面もあるが、その度が過ぎると思うことも度々だった。調子に乗ると水炊きの鍋に火のついたタバコを入れたり、周囲がドキリとするような事をいきなりやった」と言う。


 【参照】3月25日、樋口一葉の誕生日(1872年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/41239977.html

 【参照】3月25日、愛知万博が開幕(2005年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/30359791.html

 【参照】3月25日、大相撲春場所、賜杯は白鵬(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/30381157.html

 【参照】松坂大輔が大リーグ開幕戦で先発(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/41252437.html

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