今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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3月26日、犀星忌

 平成21年3月26日(木)昨日:北朝鮮に警告、ミサイル発射「高い代償に」。

 ヒラリー・クリントン米国務長官は25日、訪問中のメキシコで記者団の質問に答え、北朝鮮が人工衛星の名目で進めている長距離弾道ミサイル発射は「挑発的だ」と警告するとともに、「核問題を巡る6ヶ国協議に影響し、高い代償を払うことになる」と強調した。米メディアは北朝鮮によるミサイル発射が迫っていると相次いで報じ、情勢は緊迫してきた。

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 ◇ 「当たるわけがない」迎撃ミサイル、命中精度に注目(3月24日)

 北朝鮮の弾道ミサイルを自衛隊のミサイル防衛(MD)システムは迎撃できるのか? 北朝鮮が「人工衛星」の名目で発射準備を進めている問題を巡り、政府筋が迎撃ミサイルについて「当たるわけがない」と発言したことで、その精度に注目が集まっています。

 迎撃は二段構え。ミサイル発射後、米国の早期警戒衛星の情報を基に、イージス艦搭載の「SPY―1レーダー」などが瞬時に弾道を計算する。日本の領土・領海へ落下しそうなら、海上自衛隊イージス艦のスタンダード・ミサイル3(SM3)で大気圏外の迎撃を試み、そこで撃ち漏らせば、地上のパトリオット・ミサイル3(PAC3)で破壊するもの。日本着弾まで約10分と短時間のため、自衛隊法82条の2の「破壊措置命令」が発令済みなら、部隊指揮官が迎撃を指示する。

 PAC3は2003年のイラク戦争で使われ、「迎撃範囲内ではすべて成功」(米政府)と言う。SM3は迎撃実験で、米軍が16回中13回、海自は2回中1回のみ成功、単純計算だと命中率は米軍約8割、海自は5割となるが … 。海自の2ケースは予め弾道コースが知らされている演習でのこと。それでも半分は失敗 … 。

 日本のMDシステムは北朝鮮の中距離弾道ミサイルへの対処が主眼で、長距離弾道ミサイルが正常に飛行した際は迎撃能力はないし、そもそも日本に飛来しない。北朝鮮が予告しているミサイルは長距離弾道と見られ、迎撃のケースは発射失敗の場合などが想定されるが、大気圏外に出る前に制御を失うと、「弾道計算は非常に難しい」(防衛省幹部)とされる。

 政府は25日に官房長官、防衛相、外相の「3大臣会合」で破壊措置命令発令の方針を決める。日本に本体や部品が落下する可能性は「極めて低い」(政府筋)とし、「事態急変に備える」ために認められる「閣議決定を経ない発令方法」をとる見通し。予告通りなら秋田、岩手両県の上空を飛ぶため、発令後、航空自衛隊浜松基地(静岡県)のPAC3を陸上自衛隊秋田、岩手両駐屯地に移す。 防御範囲が半径数十キロのため、都市部を優先。防衛省は25日に仙台市内で東北6県と仙台市の担当職員に説明を行う。PAC3は浜松のほか、全国5か所の自衛隊基地に配備されている。

 ※ 自衛隊のMDシステムを信頼する向きとは、どのような方々なのだろうか? 米軍で不要になったような“ガラクタ”の在庫処分みたいな物を、高価に押し付けられた見たいな買い物をさせられて … 。 米国の“属国”ニッポンは、いったい何処へゆく … 。



 3月26日は、室生犀星忌です。

 ◇ 室生犀星(本名: 照道、1889年〜1962年)

 1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルとの間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの真言宗雨宝院住職・室生真乗の内縁の妻・赤井ハツに引き取られ、その私生児として照道の名で戸籍に登録されル。

 住職の室生家に養子として入ったのは7歳の時であり、室生照道を名乗る。私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。

 「お前はオカンボ(=妾を意味する金沢の方言)の子」と揶揄されて生育した犀星は、自身の出生に深いコンプレックスを抱く。『犀星発句集』(1943年)にある一句。

 夏の日の匹婦の腹に生まれけり(匹婦=身分のいやしい女)(8月1日生まれ)

 1902年、金沢市立長町高等小学校を中退、金沢地方裁判所に給仕として就職する。裁判所の上司に河越風骨、赤倉錦風と言う俳人がおり、手ほどきを受ける。新聞への投句を始め、1904年10月8日付け『北國新聞』に初掲載される。この時の号は照文。その後、詩、短歌などにも手を染める。

 犀星を名乗ったのは1906年から。犀星という筆名は、当時金沢で活動をしていた漢詩人の国府犀東を意識したもので、犀川の西に生まれ育ったことからと言う。犀星が育った雨宝院は犀川左岸にあり、犀星はこの川の風情と、上流に見える山々の景色とを殊のほか愛した。

 1913年、北原白秋に認められ白秋主宰の詩集『朱欒(ざんぼあ)』に寄稿。同じく寄稿していた萩原朔太郎と親交をもつ。1916年、萩原と共に同人誌『感情』を発行。1919年までに32号まで刊行した。この年には中央公論に『幼年時代』『性に目覚める頃』等を掲載、注文が来る作家になっていた。

 1929年、初の句集『魚眠洞発句集』を刊行。1930年代から小説の多作期に入り1934年、『詩よ君とお別れする』を発表し詩との訣別を宣言したが、実際にはその後も多くの詩作を行っている。1935年、『あにいもうと』で文芸懇話会賞を受賞。 芥川賞の選考委員となり、1942年まで続けた。1941年に菊池寛賞。

 娘・朝子をモデルとした1958年の半自叙伝的な長編『杏っ子』は読売文学賞、同年の評論『わが愛する詩人の伝記』は毎日出版文化賞を受賞。古典を基にした『かげろふの日記遺文』(1959年)では野間文芸賞を受賞した。翌年、室生犀星詩人賞を設定。1962年、肺癌の為に死去。

凧のかげ夕方かけて読書かな
夕立やかみなり走る隣ぐに
沓かけや秋日にのびる馬の顔
鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな
秋ふかき時計きざめり草の庵

石垣に冬すみれ匂ひ別れけり

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 ※ 悪妻は夫を哲学者にし、放蕩息子は父親を篤志家にする。
 そして、コンプレックスは自身を芸術家へと鍛え上げる。


 【参照】3月26日、鉄幹忌(1935年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/30404138.html

 【参照】3月26日、硫黄島で日本軍玉砕(1945年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/41262535.html

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