今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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3月29日、立原道造忌

 平成21年3月29日(日)昨日:1000円高速本格スタート、ちょっと遠くの観光地へ。

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 ETC装着車への新料金割引が本格スタートした28日、予想された「大型連休並み」の混雑は見られなかったが、東北などの観光地周辺は交通量が増え、東北、磐越の各自動車道などで日中の通行量が前年同期の土日と比べ40%以上の増加となったが、大都市近郊の埼玉県などでは前年比10%台の増加にとどまる所が多かった。

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 「どこまで行っても1000円」の触れ込みで注目を集めたETC装着車への新料金割引が本格スタートした28日、高速道路のサービスエリアや地方の行楽地は、いつもの週末を上回る人出でにぎわった。ただ、予想された「大型連休並み」の賑わいはなく、肩すかしを食った関係者も多かった。

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 日光市の鬼怒川公園岩風呂など、日帰り温泉の入場者数は平年並みで、期待したほどの集客増にはならなかった。東名道の富士川SAの人出も普段通りで、やきそばを露店で売る尾中正子さん(65)は、「普段の週末の2倍ぐらい材料を仕入れたが、客足はいつもより少ないくらい」と、肩を落とした。

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 3月29日は、立原道造忌です。

 ◇ 立原道造(みちぞう、1914年〜1939年)詩人、建築家

 東京帝国大学工学部建築学科卒業。温恭院紫雲道範清信士、墓所は東京谷中の多宝院。

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   夏花の歌 その二

あの日たち 羊飼ひと娘のやうに
たのしくばっかり過ぎつあった
何のかはった出来事もなしに
何のあたらしい悔ゐもなしに

あの日たち とけない謎のやうな
ほほゑみが かはらぬ愛を誓っていた
薊の花やゆふすげにいりまじり
稚い いい夢がゐた−−−いつのことか!

どうぞ もう一度 帰っておくれ
青い雲のながれてゐた日
あの昼の星のちらついてゐた日・・・
あの日たち あの日たち 帰っておくれ
僕は 大きくなった 溢れるまでに
僕は かなしみ顫へてゐる

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 立原道造は昭和14年の早春、二十四で死んだ。肋膜炎をこじらせ喀血し死に至る。立原は東京帝大の建築科を卒業して、わずか一年であれ就職している。一高から帝大、建築事務所(銀座石本建築事務所)へと立原が進む中で相識った人物は、前田夕暮、竹山道夫、杉浦明平、三好達治、室生犀星、堀辰雄、丸山薫、津村信夫、寺田透、神保光太郎、伊東静雄、中村真一郎、加藤周一、深田久弥、大山定一、などと錚々たる名前が並ぶ。

 22歳で発熱するまでは健康で、あちこちを動き回ることができた。22歳からの2年間は、まるで死を前提とした駆け抜けるような生き方をする。最後の恋の相手・水戸部アサイさんとはわずか一年余りの交流でしかなかった。

 23歳の時の詩 「爽やかな五月に」

月の光のこぼれるやうに おまへの頬に溢れた
涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
私はどうして それをささへよう!
おまへは 私を だまらせた…

星よ おまへはかがやかしい
花よ おまへは美しかった
小鳥よ おまへは優しかった
私は語った おまへの耳に 幾たびも

だが たった一度も 言ひはしなかった
 私は おまへを 愛してゐると
 おまへは 私を 愛してゐるか と

はじめての薔薇が ひらくやうに
泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
私の心をどこにおかう?

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 水戸部アサイは、同じ建築事務所に勤める栃木県出身の19歳の少女だった。立原が亡くなる直前は昼夜を分かたず献身的な看護をした。その彼女の元に立原からの手紙15通が残されていた。 立原が死ぬと、友人知人が彼の死を悼み盛大な追悼会が開かれた。そして、19歳の少女は皆の前からひっそりと姿を消した。

 評論家・小川和佑は、水戸部アサイを30年後に探し出し、その手紙を預かった。そうして書かれたのが『立原道造・忘れがたみ』(文京書房、1975年)であった。小川は、水戸部アサイが長崎県に住んでいると書くのみで、消息の詳細を避けた。栃木出身の彼女が故郷を遠く離れた長崎の地に安住していたのだ。

 長崎は立原が倒れる直前に旅した場所であった。明るい南国の光射す憧れの地。だが、実際に立原が目にした長崎はそれとは程遠く、冬ざれのわびしい長崎であった。その落胆からか喀血して倒れる。そして死に至るのだが、長崎に対して抱いた立原の憧れは水戸部アサイにも伝わっていたであろう。その思いをアサイが引き継いだとしても何ら不思議ではない。

 30年も経って、アサイは立原からもらった手紙15通を少しも汚さずに所持していたと、小川は書いている。皆の前から姿を消した彼女は、ずっと独身であったのではないかと推測される。わずか一年余りの愛を、生涯の愛として刻んだまま、水戸部アサイは生きてきたのではないかと … 。

 後に彼女が残した言葉、「今の方々には信じられないかもしれませんが、私たちは清い間柄でした」。 噂によれば、彼女はシスターとして暮らしたようです。立原道造の純粋な詩情に殉じたと言うべきなのでしょうか。

 ※ 一瞬の青春を、永久に生き抜く、無垢の魂。


 ◇ 今日は、旧暦の雛祭り (富山の土雛)
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 【参照】3月29日、マリモの日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/41326793.html

 【参照】3月29日、ベトナム終戦(1973年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/30552560.html

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