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平成21年4月10日(金)昨夜:4連勝のあとは2連敗、でもまだ同率首位。 4月10日は、扇谷正造忌です。 ◇ 扇谷正造(1913年〜1992年) 宮城県遠田郡涌谷町出身の評論家、編集者、ジャーナリスト。「週刊誌の鬼」の綽名で知られた。1935年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業、朝日新聞社に入社。社会部記者やマニラ特派員などを経て、1947年、『週刊朝日』編集長に就任する。数々の編集手法を駆使し、部数を爆発的に延ばし名編集長と謳われた。 1948年6月、太宰治の心中に際して山崎富栄の遺書を入手し、太宰特集号を発行、この号はたちまち完売。1953年、週刊誌ジャーナリズムに新境地を広げた功績により、菊池寛賞を受賞。のち朝日新聞社学芸部長や論説委員を歴任。大宅壮一から「『文春』の池島(池島信平)、『暮しの手帖』の花森(花森安治)と並ぶ戦後マスコミの三羽烏」と讃えられた。朝日新聞社退社後は辛口の評論家として活躍。 ◇ 表紙に力を入れた扇谷正造 「週間朝日」を初めて百万部にした秘訣を訪ねられて、扇谷はこう答えている。「表紙だよ。本屋に来た人は最初に表紙を見る。僕は表紙に一番力を入れている」。勿論、本の内容が伴っていないと売れるものではない。しかし、その前に店頭で読者の手に取ってもらうことが一番重要なのだという考えであった。 たしかに、週刊誌・雑誌の類いは、表紙の持つ印象が大きく影響している。表紙が気に入ってレジに持ってゆくことが、しばしばあるようだ。 ◇ 未曾有(ミゾユウ)ではなかった政治家の「コチラ語」 大蔵大臣だった頃の池田勇人氏が記者団との会見中、エチケットと言うべきところを、誤って「エケチット」と発言した。これが話題となり、エチケットに反する行為を「エケチット」と呼び、流行語のようになったとか。「だって彼ったら、1時間も待たせるんですもの。全くエケチットだわ」と言う具合です。 ほかにも、「インタビュー」を「インタプー」と言った元運輸大臣もいたそうだ。 扇谷正造は、このような外来語の誤用を「アチラ語」と称した。そして日本語の誤用については「コチラ語」と言った。選挙演説で「唯物論」を「タダモノロン」とやり、「追加予算」を「オイカヨサン」と演説していた代議士がいたそうな。中々の豪の者が居たもんだ。 |

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