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1959年4月10日、皇太子・明仁親王と正田美智子さまが御結婚。 ◇ 両陛下御結婚50年の記者会見(4月9日) 天皇、皇后両陛下の結婚50年にあたっての記者会見概要は次の通り。 天皇陛下 私どもの結婚50年を迎える日も近づき、多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることを誠にうれしく、深く感謝しています。ただ国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢のさなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています。 顧みますと、私どもの結婚したころは、日本が多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争から、日本国憲法の下、自由と平和を大切にする国として立ち上がり、国際連合に加盟し、産業を発展させて、国民生活が向上し始めた時期でありました。 その後の日本は、さらなる産業の発展に伴って豊かになりましたが、一方、公害が深刻化し、人々の健康に重大な影響を与えるようになりました。また都市化や海、川の汚染により、古くから人々に親しまれてきた自然は、人々の生活から離れた存在となりました。 結婚後に起こったことで、日本にとって極めて重要な出来事としては、昭和43年の小笠原村の復帰と昭和47年の沖縄県の復帰が挙げられます。両地域とも先の厳しい戦争で日米双方で多数の人々が亡くなり、特に沖縄県では多数の島民が戦争に巻き込まれて亡くなりました。返す返すも残念なことでした。 今日、日本では人々の努力によって、都市などの環境は著しく改善し、また自然環境もコウノトリやトキを放鳥することができるほど改善されてきましたが、各地で高齢化が進み、厳しい状況になっています。ますます人々が協力し合って社会を支えていくことが重要になってきています。 私どもはこのように変化してきた日本の姿と共に過ごしてきました。様々なことが起こった50年であったことを改めて感じます。 皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては、昭和天皇を始め、私の家族を大切にしつつ私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。 不幸にも若くして未亡人となった私の姉の鷹司神宮祭主のことはいつも心に掛け、那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、あるとき、昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたがどのように過ごしたのかというお話があったことがありました。皇后は兄弟の中で姉だけを持たず、私との結婚で姉ができたことがうれしく、誘ってくれていたようなのですが、このときの昭和天皇が大変喜ばれた様子が今でも思い出されます。 私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また天皇として務めを果たしていく上に、大きな支えとなってくれました。 時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、私は即位以来、昭和天皇を始め、過去の天皇の歩んできた道に度々に思いを致し、また、日本国憲法にある「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ、国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。 なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。 守ってきた皇室の伝統についての質問ですが、私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。この中には新嘗祭のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。したがって現在私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種もみをまくことから始めています。 学士院賞や芸術院賞受賞者などを招いての茶会なども皇后と共に関係者と話し合い、招かれた全員と話ができるように形式を変えました。短時間ではありますが、受賞者、新会員皆と話をする機会が持て、私どもにとっても楽しいものになりました。 皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇の在り方としてその望ましい在り方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。 皇后さま 50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りましたとき、不安と心細さで心が一杯でございました。今日こうして陛下のおそばで、金婚の日を迎えられることを、本当に夢のように思います。 結婚以来、今日まで、陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、東宮でいらしたころには将来の象徴として、後に天皇におなりになってからは、日本国、そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んでこられました。こうしたご努力の中で、陛下は国や人々に寄せる気持ちを時と共に深められ、国の出来事や人々の喜び悲しみにお心を添わせていらしたように思います。 50年の道のりは、長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯にとるべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。陛下のお時代を、共に生きることができたことを、心からうれしく思うとともに、これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった大勢の方たちに感謝を申し上げます。 質問の中にある「皇室」と「伝統」、そして「次世代への引き継ぎ」ということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事及び祭祀とも、昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また、皇室が過去の伝統と共に、「現代」を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように思います。 伝統と共に生きるということは、時に大変なことでもありますが、伝統があるために、国や社会や家が、どれだけ力強く、豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。 また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。WBCで活躍した日本の選手たちは、鎧も着ず、切腹したり、ゴザルとか言ってはおられなかったけれど、どの選手も、やはりどこか「さむらい」的で、美しい強さをもって戦っておりました。 陛下のおっしゃるように、伝統の問題は引き継ぐとともに、次世代にゆだねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。 天皇陛下 私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれたときは本当にうれしかったことを思い出します。 結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。皇后はこの度も「努力賞がいい」としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことや辛いことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います。 夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが、やはり第一に二人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。二人のそれぞれの在り方についての話し合いも含め、何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活に、いつも笑いがあったことを思い出します。また、皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。 語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓 婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。 終わりに私ども二人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。 皇后さま たくさんの質問があって、全部はお答えできないかもしれません。とりわけ婚約のころのことは、50年を越す「昔むかし」のお話でプロポーズがどのようなお言葉であったか正確に思い出すことができません。また銀婚式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが、この度も私はやはり感謝状を、何かこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます。 次の「夫婦としてうれしく思ったこと」。このようなお答えでよろしいのか、嫁いで1、2年のころ、散策にお誘いいただきました。赤坂のお庭はくもの巣が多く、陛下は道々くもの巣を払うための、確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の丈を少し短く切って、渡してくださいました。ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもそのときのことを思い出すと、胸が温かくなります。 昭和天皇の崩御後、陛下はご多忙な日々の中、皇太后さまをお気遣いになり、様々に配慮なさるとともに、昭和天皇が未完のままお残しになったそれまでのご研究の続きを、どのような形で完成し、出版できるか、また昭和天皇の残されたたくさんの生物の標本を、どうすれば散り散りに分散させず、大切にお預かりする施設に譲渡できるかなど、細やかにお心配りをなさいました。 「結婚してよかったと思った瞬間は」という難しいお尋ねですが、もうエピソードはこれで終わりにさせていただいて、本当に小さな思い出を一つお話しいたします。春、辛夷(こぶし)の花がとりたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりましたときに、陛下が一枝を目の高さまで降ろしてくださって、そこに欲しいと思っていたとおりの美しい花がついておりました。うれしくて、後に歌にも詠みました。歌集の昭和48年のところに入っていますが、でも、このようにお話をしてしまいましたが、それまで一度も結婚してよかったと思わなかったということではありません。 この50年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としての、お立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います。
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