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平成21年4月14日(火)昨日:タイ非常事態、混乱拡大で国際的信用失墜。 アピシット首相にとって、文字通りの非常事態。タイの国際的イメージダウンを払拭するためにも、一刻も早い事態の収拾と混乱の拡大防止が急務だが … 。 タイ中部パタヤで予定された東南アジア諸国連合(ASEAN)関連の国際会議が、タクシン元首相支持派のデモ隊による会議場への乱入騒ぎで、急遽中止に追い込まれた。続いてデモ隊は首都バンコクに移動し、市内の道路を封鎖するなど騒ぎをエスカレートさせた。アピシット首相は首都などに非常事態を宣言し、軍治安当局が排除に乗り出した。国内は一気に緊張が高まっている。 中止された国際会議は、先のロンドンでのG20金融サミットを受け、ASEANと日中韓などの首脳が一堂に会し、世界経済の回復に向け、東アジアの結束を示すことが狙いだった。現地入りしていた各国首脳が、ヘリなどでホテルを脱出する光景は異様だった。ASEAN史上でもまれな異常事態である。混乱は事前に予想されており、警備体制に不備があったことは明らか。発足してから4か月のアピシット政権が大失態を晒したかたち。 海外亡命中のタクシン氏は、力を失うどころか、国王側近のプレム枢密院議長を名指しで批判するなど、最後の攻勢に転じている。タイ式民主主義は、先行きが全く不透明な状態だ。タイ経済が、頼みの輸出の不振であえぐなか、アピシット政権は減税や貧困者対策などを矢継ぎ早に実施している。これが好感されているのか、国民の支持は6割を上回っている。 タイは今年、ASEAN議長国である。7月には定例外相会議が、年末には東アジア首脳会議などが予定されている。事態混乱が長引けば、タイ国内での開催は難しくなるだろう。 ◇ タイ衝突2人死亡、負傷者110人超す 非常事態宣言が出たタイの首都バンコクで13日、タクシン元首相派のデモ隊と、強制排除に乗り出した陸軍中心の治安部隊が衝突を繰り返した。首相府周辺では両者がにらみ合う緊迫状況が続いている。ステープ副首相によると首相府に近い市場付近でデモ隊が市民に発砲、近くにいた地元住民の男性2人が死亡した。治安部隊は交通の要衝など主要拠点を制圧。タイ救急当局によると午後11時までに双方で110人以上が負傷し、うち24人が重傷となっている。 4月14日は、リンカーン狙撃の日です。 1865年4月14日、リンカーン米国大統領が狙撃され、翌日死亡する。 ◇ エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln, 1809年〜1865年) 米国の政治家、第16代大統領(1861年〜1865年)。貧農の子で独学で弁護士となって政界入りし、米墨戦争(メキシコ戦争)に反対し一時政界を引退する。1854年共和党結成とともに政界に戻り、1860年大統領に当選。 南北戦争では米国の統一保持と奴隷解放とを達成した。戦争中、ゲティスバーグの戦いの後で行った「人民の、人民による、人民のための政治」の演説は特に有名。1864年大統領に再選されたが、南部の降伏直後、フォード劇場で観劇中に南部出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブースにより狙撃され、翌日に死す。 しばしばエイブ (abe) の愛称で呼ばれ、オネスト・エイブ (Honest Abe,誠実な、公正な)、レール・スプリッター (the Rail Splitter=分ける者)、偉大な解放者(the Great Emancipator)、奴隷解放の父と呼ばれた。 リンカーンは奴隷制の拡張に反対し、彼の大統領就任はアメリカ合衆国を二分し、南北戦争に結びついた。戦争中に彼は、当時のアメリカ史上で最も多くの権力を手にした。リンカーンはその非常大権によって封鎖を宣言し、人身保護令状を保留し、議会の認可無く支出を行い、独裁的に戦争を指揮し、北部連邦を勝利へと導いたのだった。 ※ ラッシュモア山ナショナル・モニュメント(サウスダコタ州) (左からJ.ワシントン、T.ジェファーソン、S.ルーズベルト、リンカーン) ※ ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』で観たリンカーンはスリリングだった。 |

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