|
平成21年4月19日(日)昨日:中日初の3連敗、チェン3失点初黒星。 <中日2−3巨人>(18日、ナゴヤドーム) 中日が今季初の3連敗で借金1。2−0とリードした7回、先発チェン投手(23)が連続タイムリーを浴びて同点とされると、続く8回には巨人寺内に勝ち越しソロを浴びた。 中日・落合監督「チェンは良かった。今年一番良かったんじゃないか。(七、八回の失点について)19日のスタメンを見ればわかる」(捕手・小田の先発落ちを示唆)。 2005年4月19日、巨人がダン・ミセリを解雇。 ◇ ダン・ミセリ(Daniel "Dan" Miceli, 1970年9月9日生まれ) ニュージャージー州ニューアーク出身の投手、イタリア系アメリカ人。巨人時代の背番号は「35」。4人兄弟の末っ子として生まれ、父はイタリア人、母はウルグアイ出身。幼少の頃は父親の仕事の都合でメキシコ、ブラジル、ウルグアイ、イタリアなどを転々とした。12歳頃アメリカに戻り、野球を始める。 1990年、ロイヤルズとドラフト外で契約。1993年、パイレーツでメジャー昇格を果たす。1995年、クローザーとして21セーブを挙げ、1998年には67試合に登板し10勝5敗の成績でパドレスのワールドシリーズ進出に貢献。 メジャーでは12年間で9球団を渡り歩き、2003年のシーズンには1年間に4球団で登板するというメジャー初の記録を持つ。(本人は、2004年シーズンを最後に引退を考えていたと言うが … ) 2004年シーズン終了後、読売ジャイアンツと契約。巨人サイドの強い要請で現役続行を決意し来日したと言われる。巨人入団時のコメントは「メジャー6球団からオファーがあったが、新たな野球にチャレンジできるチャンスだと思った。優勝に貢献できるよう何でもするつもりだ」。 自分を高く売りつけることに秀でた人物と思われる。 長年絶対的なクローザー不在に悩む巨人が“三顧の礼”で迎えたミセリ。崩壊寸前とまでいわれていた投手陣の救世主として期待されていたミセリ。ミセリ本人も「50セーブを目指したい」と目標を大きく掲げていたのだが … 。 巨人の海外スカウトの情報によると、ストレートは最速150km/h以上をマーク、落差の大きい鋭いスライダーは140km/h、さらにフォークボールも使いこなす本格派投手との触れ込み。VTRに映る前年のミセリの投球は、引退を決意するような投手とは思えないものだったと言う。先に巨人入団が決定していたゲーブ・キャプラーは、メジャー時代にミセリとチームメイトだったこともあり、ミセリを「非常に打ちにくい」と球団に推薦していたらしい。 ◇ フロント、スカウト陣の無能振りを露呈する形で繰り返される“喜劇” 2005年2月10日から宮崎キャンプに合流、ブルペンで投球練習を開始する。投球を見た堀内恒夫監督は、「ボールが高めにいかない」と制球力を評価した上で「後ろで使うつもり。9回1イニング限定」とクローザーでの起用を明言。 しかしその後は、セットポジションからの投球モーションが緩慢でコントロールも不安定になるという弱点が判明。他球団のスコアラーからはボークの指摘もあった。ミセリ本人は開幕までには修正すると語ったが、この頃から首脳陣に不安感が漂い始める。オープン戦では制球力はまずますだったものの、球速は140km/h前半に留まり、ストレートや変化球で空振りが取れず、再三走者を出すなど登板内容は不安定だった。 3月20日の西武戦ではボークと四球が絡んで5失点を喫し、周囲の不安を増大させたが、ミセリ本人は「今は準備の段階。開幕までには完全に仕上げる」とコメントするなど余裕綽々のポーズを取り続けた。この時期に首脳陣の一人は「別人が来たかと思った」というコメントを残している。 ◇ ペナント開幕の悲喜劇 4月1日、広島との開幕戦で1点リードの9回表にクローザーとして公式戦初登板。開幕戦勝利を祈る観客から大歓声を受けたのもつかの間、グレッグ・ラロッカにバックスクリーンへの同点本塁打を打たれ救援失敗。さらには内野安打で出塁した前田智徳の代走・福地寿樹に盗塁を許し、自ら修正を示唆していたクイックモーションが未だ改善されていない事実を早くも露呈。直後に緒方孝市に勝ち越し本塁打を被弾し降板、3失点で敗戦投手となる。試合後、ミセリのコメントがふるっていた。「投げて打たれた。それも野球だ。審判の判定にも慣れているさ」。 審判の判定とは、ラロッカの打った打球がスタンドのフェンス上部付近に当たってほぼ垂直に跳ね返り外野フィールド内に落ちた場面を指す。「あの打球は本塁打ではなくインプレーとしての続行」と巨人側は抗議したが覆らなかった。 次いで4月5日の横浜ベイスターズ戦。同点の12回裏から名誉挽回を期しての登板だった。しかし先頭打者の金城龍彦から二塁打を浴びてピンチ。佐伯貴弘の敬遠後に代打で登場したケビン・ウィットは三振にとったものの、続く多村仁にフェンス直撃のサヨナラ安打を献上。またしても敗戦投手となった。この時のコメントも「野球というスポーツの一部。投げて、打たれた。それだけだ」と、前回同様に実に潔かった? 2度にわたる救援失敗で、当面は中継ぎで調整することが決まる。ミセリの出れば打たれるという有様に、巨人ファンからは「炎上神」「パセリ」「ダメ魔神」「ゴミセリ」などと散々な仇名で呼ばれるようになる。 一方、他球団のファンからは「ミセリ様」と呼ばれ、登板時には歓声まで上がるほどだった。6日の横浜戦では、最終回に巨人が1点リードしてセーブ条件が整ったため、横浜ファンからミセリ登板を要求する「ミセリコール」が巻き起こったほどだ。 4月7日の横浜戦では3-8と5点ビハインドの6回裏に中継ぎとして登板するが、先頭打者の種田仁を四球で歩かせると、またしても改善されていないクイックモーションの癖を見抜かれ種田に盗塁を許す。金城は一塁ゴロに打ち取ったが、佐伯にタイムリーヒットを打たれ、続く多村からは2ランホームランを浴び1回3失点の惨状を呈した。「ミセリ様」のコメントは、「こんなリトルリーグみたいに狭い球場でやってるからだ」と、悪口雑言を言い始める。 ◇ 球団史上最速の解雇(2005年4月19日) 巨人の首脳陣は、抑えはミセリでいけると思ったに違いない。だからこそ、昨年までの抑えの河原を西武に放出した。でもミセリは、「ダメ守護神」だった。開幕ダッシュ失敗のA級戦犯になった。結局、4試合に登板して0勝2敗、防御率23,63と、ダメ助っ人外人ぶりを発揮。 首脳陣は二軍落ちを告げるが、「本人の同意なしに二軍に落とすことが出来ない」という契約条項を盾にミセリがこれを拒否。4月17日にミセリ本人を交え、山本功児ヘッドコーチ、阿波野秀幸投手コーチとの3人で話し合いが行われた。その内容については、阿波野「嘘を言いたくないから言えない。代理人にも関わること。重要な話し合いです」。一方でミセリは「日本の美しさや家族構成のこと、それに仏教について話した」とコメントしています。そして、4月19日付で解雇される。その後、「ミセリ様」御家族御一行様は、浅草見物を楽しまれて御帰国なされましたとさ。 2005年シーズンにおける巨人の投手陣は、エースの上原浩治の故障やリリーフ陣の深刻な駒不足など、以前から懸念されていた不安材料が次々と表面化し、壊滅状態に陥った。このことは巨人編成部が犯した失態の代表例と言え、桃井球団社長がミセリ解雇の会見の際に「フロントとして責任を感じている。失敗の原因を探っていかなくてはならない」と語るほどだった。オーナーの滝鼻卓雄は「普通の会社で言えば採用ミス」というコメントを残している。 ※ 本日の教訓:過ちを改むるに憚ること勿れ。 ◇ アメリカ帰国後のミセリがメジャー復帰? 帰国後の5月19日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約。6月にはメジャー昇格を果たし、それなりの投球を見せた。2006年はタンパベイ・デビルレイズへ移籍。チャド・オーベラや森慎二らとのクローザー争いが注目された。この年に行われた2006年WBCイタリア代表に選出される。2007年、オープン戦で6試合に登板したが防御率9.53と不振で、3月29日にデビルレイズから解雇される。2008年1月22日、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、招待選手としてスプリングキャンプに参加するも、3月1日に引退を表明。(一説に、日米のボールの違いが要因ではと?) ※ 本日の教訓2:人事を尽くして天命を待つ。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



