今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成21年4月25日(土)昨日:豚インフル、米・メキシコで60人死亡の疑い。

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 世界保健機関(WHO)報道官は24日、米国とメキシコで最近、人間への「豚インフルエンザ」の感染が報告され、約60人が死亡した疑いがあると明らかにした。米保健当局は国内で見つかったウイルスは豚、鳥、ヒトの混合型でこれまでに見つかっていないタイプで、「ヒトからヒト」への感染が起きていると指摘。両国で新型ウイルスによるインフルエンザが流行する恐れがある。

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 WHOによるとメキシコ市周辺だけで800件の感染が疑われる報告があり、うち57人が死亡した。このほかメキシコ中部サンルイポトシでも24件の報告があり3人が死亡しているという。同国内で多くの学校が学級閉鎖や休校に追い込まれた。  米国ではカリフォルニア州とテキサス州で合計7人の感染報告があったが、全員が回復したという。当局は感染者や彼らと接触した人々の検査を行い、メキシコからもサンプルを取り寄せて感染経路の特定を急いでいる。感染力はまだ不明としている。

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 4月25日は、法然上人御忌会です。(4月19日〜25日)
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  ◇ 法然上人(1133年〜1212年)

 平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶、浄土宗の開祖。法然は房号、諱は源空、幼名、勢至丸。黒谷上人、吉水上人とも称せられた。歴代天皇から大師号を賜る。円光(東山天皇1697年)、東漸(中御門天皇1711年)、慧成(桃園天皇1761年)、弘覚(光格天皇1811年)、慈教(孝明天皇1861年)、明照(明治天皇1911年)、和順(昭和天皇1961年)大師。50年毎の遠諱の際に今上天皇より諡号を賜る。

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 美作国久米(現・岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国の子として生まれる。法然9歳の時、日頃より反目していた敵の源内武者・明石貞明の夜襲により父を失う。その際の父の遺言により仇討ちを断念する。その後、比叡山に登り、源光上人に師事。15歳の時、比叡山の皇円の下で得度。比叡山黒谷の叡空に師事して「法然房源空」と名乗る。承安5年(1175年)43歳の時、善導の『観無量寿経疏』によって専修念仏に進み、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを広めた。この年が、浄土宗立教開宗の年とされる。

 ※ 時国は臨終間際に勢至丸を呼び寄せ「決して仇を討ってはいけない。仇は仇を生み、憎しみは絶えることがなくなってしまう。それならばどうか、全ての人が救われる道を探し、悩んでいる多くの人々を救って欲しい」という遺言を残し、息を引き取る。

 文治2年(1186年)、大原・勝林院で聖浄二門を論じ(大原問答)、建久9年(1198年)『選択本願念仏集』(選択集)を著す。 元久元年(1204年)、比叡山の僧徒が専修念仏の停止を迫って蜂起したので、法然は「七箇条制誡」を草して門弟190名の署名を添えて延暦寺に送った。しかし、興福寺の奏状により念仏停止の断が下され、のち建永2年(承元元年・1207年)、法然は還俗させられ藤井元彦として、讃岐国に流罪となる。讃岐国でも布教足跡を残し、香川県高松市にも法然を偲ぶ法然寺がある。4年後の建暦元年(1211年)赦免となり帰京、翌年1月25日に遷化、享年80(満78歳)。その直前、建暦2年(1212年)1月23日に源智の願いに応じ、遺言書『一枚起請文』を遺す。

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 ※ 大原問答:天台声明の根本道場として、835年に円仁が建立したという勝林院は、大原・三千院の門前を通り過ぎ、なだらかな階段をおりた所にある。参道途中には小さな呂川と律川が流れています。この勝林院が、1186年に天台座主・顕真と法然との間で戦われた法論の舞台となります。

 京都吉水の法然上人の下に、日増しに参詣者が増えることが各宗の妬みの的となり、洛北・大原の勝林院で、各宗の代表三百八十余人と法然上人との法論がなされた。世に名高い「大原問答」である。この問答は百日にも及んだとも言われ(?)、正論を説くと本尊の阿弥陀如来が光明を放ったという伝説も伴い、「証拠の阿弥陀」とも呼ばれた。


 ◇ 浄土門 vs 聖道門(末世における唯一の救いとしての専修念仏)

 天台座主「浄土門が聖道門より優れているとは、どういうことか」

 法然上人「お釈迦さまの教えに優劣はないが、仏教は何のために説かれたか。衆生の迷いを転じて、仏のさとりに至らすため。衆生を救う点において、浄土門のほうが優れている。聖道門は、人を選ぶではないか。経典を学ぶ知恵のない者、修行に耐える精神力のない者は求められぬ。欲や怒りのおさまらぬ者は、救われないということではないか。自力聖道の教えでは、戒、定、慧の三学の修行、即ち煩悩をおさえ、煩悩をさえぎり、煩悩を断つ修行を長期間積まねば仏に成れぬ、と説かれている。さらに厳しい戒律が、男に250、女に500ある。いったい、完全に実行できる人はどれだけあるのか。ほとんどの大衆は救われないではないか」

 法然上人「しかし、浄土の法門はちがう。欲の止まぬ者も怒りの起こる者も、愚者でも智者でも、悪人でも女人でも侍でも農民でも商人でも職人でも乞食でも、全く差別がない。平等に救われるのだ。なぜならば、阿弥陀如来が、すべての人を必ず救う、と誓っておられる。しかも、末法の今日、聖道門の教えで救われる人はひとりもいないとお釈迦さまはおっしゃっている」

 天台座主は言葉を失い、高野山の明遍がその根拠を求めると …

 法然上人「『賢劫経』や『大集経』には、釈尊入滅後、500年間を正法の時機とし、その後1000年を像法の時機、像法後1万年を末法の時機、と説かれる。像法の時機には、さとりをうる者はひとりもなく、末法には教えのとおり修行する者さえいなくなると、経典にある。すでに現在は末法。自力の修行では、成仏得道の道は断たれている」

 天台座主「末法だから助からぬというなら、浄土門も同じではないか」
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 法然上人「お釈迦さまは、『大無量寿経』に、『当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもって哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん』と明言しておられる。これは、『法華経』など一切の経典が滅尽する、末法・法滅の時機が来ても、阿弥陀仏の本願が説かれる『大無量寿経』だけは永遠に残って、一切の衆生を幸福に導く、ということだ。だから『大集経』にも、『当今は末法にしてこれ、五濁悪世なり、ただ浄土の一門有りて通入すべき路なり』と説かれている」

 天台座主「だが、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に向くなとは、言いすぎではないのか」

 法然上人「一向専念無量寿仏と『大無量寿経』にあるように、これはお釈迦さまの至上命令なのだ。決して法然が勝手に言っているのではない」

 各宗の代表が次々に登壇し、問答は一昼夜に及んだが、法然上人はいかなる難問にも経典の根拠を挙げて、よどみなく答え全ての学者を悉く論破したと言う。

 ※ 日蓮の「四箇の格言」:真言亡国、念仏無間、禅天魔、律国賊。


 ◇ 御忌会(ぎょきえ)

 法然上人の御命日(1月25日)に、その恩徳を偲んで営まれる法会。御遺訓の『一枚起請文』を拝読します。建暦2年(1212年)、京都・東山の吉水(現在の総本山知恩院の地)で遷化、世寿80
歳でした。毎年1月あるは4月には、全国各地の浄土宗寺院で御忌会が勤められます。

 御忌(ぎょき)という言葉は、天皇や皇后の忌日法会(きにちほうえ)の敬称でしたが、大永4年(1524年)、後柏原天皇が知恩院・第25世超誉存牛上人に「知恩院は浄土宗の根本道場であり、宗祖入滅の霊跡であるから、毎年7日間、ここで御忌を勤めよ」という「大永の御忌鳳詔」を出したことから、以来、法然上人の忌日法要を特に「御忌」と呼ぶようにりました。

 毎年知恩院では、1月19日から25日までの一週間、昼夜にわたって御忌会が勤められてきました。しかし、明治10年からは参詣者の便などを考えて、厳寒の1月をさけ、気候のよい4月に変更され、今日に至っています。「御忌詣」(ぎょきもうで)と古くから親しまれています。

 他の大本山や一般寺院でも、これにならって4月に行うところが多くなりました。法然上人のご生涯は、み仏の限りない慈悲の光のなかに生かされ、限りない生命の歓びをかみしめるために、ただ、南無阿弥陀仏を称えよ、とわたしたちにお勧めくださったことにつきます。そしてそのおおらかなお念仏のみ教えは、今日の私たちに、生きる勇気と歓びを与えてくれます。

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 ◇ 『一枚起請文』

 唐土我朝に、もろもろの智者達の、沙汰し申さるる観念の念にもあらず。また学問をして、念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に 念仏すべし。証のために両手印をもってす。浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢んぬ。

   建暦二年正月二十三日 大師在御判

 ※ 三心四修:念仏信仰の基礎が「三心」、その“称え方・保ち方”を示すのが「四修」。 念仏信仰の基礎になる「信心」を「安心=あんじん」と言います。この安心を三つに開いて、「至誠心(しじょうしん)」「深心(しんじん)」「回向発願心(えこうほつがんしん)」とし、これを「三心」と称します。「至誠心」とは、背伸びすることなく素直な心、飾らない心で阿弥陀仏よりのお心を頂戴すること。「深心」とは、深く信ずる心。私たちは凡夫であることを深く理解し、(機の信心)、阿弥陀仏の48願の教えを深く信じること(法の信心)。「回向発願心」とは、極楽往生の願を発する心。阿弥陀仏と親しく向き合い、自らの極楽往生への「願」を発す。

 四修とは、恭敬修=常に恭しく敬う心で阿弥陀仏を拝し接すること、無余修=念仏を称える時には余を無くし雑念無く修すること、無間修=いつでもどこでも念仏を修すること、長時修=生涯かけて念仏を修すること、の四つを言う。


 【参照】4月25日、福知山線脱線事故(2005年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/41918736.html

 【参照】4月25日、ギロチンの日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/31726086.html

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