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平成21年5月20日(水)昨日:保護者「仕事行けない」、子供の預け先なく。 新型インフルエンザの感染拡大で公立の小学校や保育所などで休校・休所の動きが急速に広がり、子供を預ける場所を失った保護者からは「仕事に行けない」など嘆きの声が出ている。 小学1年生の長男を持つ大阪府豊中市の会社員女性(30)は長男の市立小学校が休校になり、学童保育が利用できなくなった。「やむを得ず18日から会社を休むことにした。休校が延長にならないよう願うばかり」と弱り顔だった。 5月20日は、「ローマ字の日」です。 ローマ字表記にはヘボン式と日本式とがあります。日本式ローマ字を主張し、ローマ字国字論を展開した田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)の命日が、1952年(昭和27年)5月21日。これを区切りのいい20日にずらしローマ字の日として、日本ローマ字社が1955年(昭和30年)より実施しています。
◇ 田中舘 愛橘(1856年〜1952年)
地球物理学者。東京帝国大学教授、文化勲章受章。陸奥国二戸郡福岡(現・岩手県二戸市)の南部藩士の家に生まれる。南部藩校で学んだ後、一家は東京へ移住。慶應義塾、官立東京開成学校予科を経て、明治11年(1878年)に前年に発足した東京大学理学部(のち帝国大学理科大学)に入学。 明治24年10月に発生した濃尾地震で、震源地の岐阜・根尾谷の断層を発見・調査する。この調査経験を元に、地震研究の必要性を訴え、明治25年(1892年)に設立された日本で初の地震研究組織である文部省震災予防調査会に委員として参加。また、岩手県水沢に緯度観測所(現・国立天文台水沢観測センター)を設立。 明治26年(1893年)から明治29年(1896年)に掛けて日本全国の地磁気を調査測量。明治37年(1904年)には、日露戦争の影響で気球の軍事利用研究に参加することとなり、これがきっかけで航空に関する研究に取り組むこととなる。臨時軍用気球研究会を作り、委員となる。東京帝国大学航空研究所の設立に尽力。 ローマ字論者であり、明治18年(1885年)、音韻学理論に基づき英語の発音に準拠したヘボン式ローマ字の表記法を改めた日本式ローマ字を考案して、帝国大学での弟子で物理学者の田丸卓郎らとともに、ローマ字の普及に努めた。昭和19年(1944年)、文化勲章を受章。 ◇ ローマ字国字論(ローマ字論) ローマ字論とは、日本語の主たる表記をローマ字にすべきだという主張。 第二次大戦後の米国占領軍らは、日本語に使用される文字数が異常に多いため、日本語習得は困難であり、それは日本の民主化を遅らせると考え、文字数を減らすために日本語の主たる表記をローマ字とすべきだと主張。当時の新聞社にも賛成のものが多かった。(印字が楽にな。)同様の主張にカナ書き論(ひらがな論・カナモジ論)もあった。 その後、GHQは日本の識字率の調査を行ない、識字率が高かったため、結局ローマ字論は実行に移されなかった。 ◇ ローマ字推進団体 このような主張は明治時代初頭からあり、南部義籌(よしかず)が、明治2年「修国語論」を大学頭・山内容堂に対し、明治4年8月には文部卿に対し建白し、さらに明治5年4月に文部卿に「文字ヲ改称スルの議」を建白したが、容れられることはなかった。明治7年には西周が「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」をたててローマ字国字論をとなえたが、これも容れられなかった。 ◇ 「羅馬字会」(ろーまじかい) ローマ字を推進する団体として矢田部良吉、外山正一その他により「羅馬字会」が1885年(明治18年)創立された。ふたりの他に、山川健次郎、北尾次郎、寺尾寿、松井直吉、隈本有尚が創立委員だった。明治20年頃には会員は7000を超え、同年4月ローマ字書きの綱領が決定され、6月に機関誌として月刊「Rōmaji Zassi」が刊行された。 羅馬字会はローマ字綴りとしてヘボン式ローマ字を採用したが、会員の一人で物理学者の田中館愛橘は五十音図に基づくローマ字綴り(のちの「日本式ローマ字」)を提案。しかし会では採用に至らず、田中館は羅馬字会を離れる。ヘボン式と日本式との長い対立は、ここから始まる。 1905年(明治38年)、ローマ字論者の大同団結を図る組織として「ローマ字ひろめ会」(RHK)ができ、綴りは会員各人の自由とされた。しかしその後、会としてヘボン式を採用したため、日本式論者は離れ、1921年(大正10年)、「日本ローマ字会」を組織する。 日本ローマ字会は日本式ローマ字の普及・推進活動を行なったほか、その出版部門「日本のローマ字社」(NRS、1909年設立)で会の機関誌『Rômazi Sekai(ローマ字世界)』や寺田寅彦著『Umi no Buturigaku(海の物理学)』などのローマ字書き書籍を出版した。田中館の弟子で、田中館とともに日本ローマ字会の中心人物となった物理学者・田丸卓郎の著した『ローマ字国字論』は、戦前・戦後を通じて「ローマ字論者のバイブル」と言われる。 ※ しかし、「海の物理学」などと言う内容をローマ字表記して、理解できるものだろうか。小学生の頃、ローマ字を読むことは出来ても意味を取りかねる経験をしばしばしたものだ。物理学をローマ字で読まされるのは苦痛以外の何者でもないような気もするのだが … 。 ヘボン式と日本式という二通りのローマ字綴りが存在する問題を解決すべく、昭和初期に「臨時ローマ字調査会」が設置され、1936年(昭和11年)に答申が出された。この答申に盛り込まれたローマ字綴りは、内閣訓令として制定されたことから「訓令式ローマ字」と呼ばれる。日本ローマ字会はこれに賛成、ローマ字ひろめ会は反対した。 戦後、日本ローマ字会と日本のローマ字社は分かれ、前者は京都を、後者は東京を本拠とする訓令式ローマ字の推進団体となった。1990年代、日本ローマ字会の会長に梅棹忠夫、日本のローマ字社の理事長に柴田武が就任。2団体の大同団結が図られ、合同大会が開催される。 同じころ日本ローマ字会では、訓令式ローマ字で長音を表す字上符(â, î, û, ê, ô)が、実用では省かれたり、ワープロやパソコンでのローマ字書きの障害になっているとして、これを使わない試みを始めた。その中で現代仮名遣いに基づくローマ字綴りの実用を試み、1999年、正式な綴りとして採択した。「99式ローマ字」と名づけ、以来提唱している。一方日本のローマ字社はあくまで訓令式を守り、今日に至っている。 ※ 1924年の第15回衆議院議員総選挙ではローマ字での投票が認められた。 ◇ 交流戦、五年目にして初戦獲る <西武5 - 7中日>(19日、県営大宮球場) ブラ、ブラ、ベン! 交流戦の開幕戦となった19日、中日は県営大宮球場で西武と戦い、7−5で逆転勝ち。立役者は2打席連発のブランコと、ホームランダービーの単独トップの11号勝ち越し2ランを8回に放った和田(勉)。中日は交流戦五年目にして、初めて初戦を勝利しました。 古巣への恩返しとなる一発が、夜空に高く舞い上がった。鮮やかな放物線は、そのまま左翼席にズドン。8回2死一塁、和田がホームランキング争い単独トップに躍り出る11号勝ち越し2ランを放った。「(先発の)健太が必死に頑張っていたので、何としても勝ちをつけたかった。積極的に振っていけました」。会心の当たりを笑顔で振り返った。 2点差を追い詰めたのは相手のミスからだった。1死一塁、荒木の右前打をG・G・佐藤が捕球ミスして蹴飛ばした(かつての宇野のヘディング並みな)。その一瞬のスキをついて二、三塁とし、好投の岸を引きずりおろした(この降板は疑義が残る)。左のワンポイントの星野から森野が「最低限の仕事はできた」という右犠飛で1点差。代わった大沼がブランコへの2球目を暴投で同点。結局、ブランコは四球(まさに連発の威力)。終始リードを奪っていた西武のペースは完全に崩れた。「チームもイケイケだったし、四球のすぐ後。いいところで打てました」と和田。とどめの一発で大きな流れを呼び込んだ。 これで交流戦5年目で初の初戦白星。落合監督は「知らなかったよ」(嘘吐き!)と話すにとどめたが、和田は「交流戦でペナントレースの流れが変わるというのは僕もそう思います。ここから勝っていかなきゃならない」と、気持ちを引き締める。この日の一発で呼び込んだ流れが影響するのはこの1試合にとどまらない。 これでチームは4連勝、借金も「1」に減らして5割に王手をかけた。2試合連続で臨んだヒーローインタビューで和田は「交流戦なんで、気持ちも新たに臨みました。これからも目の前の試合をしっかり頑張ります」と誓った。20日は慣れ親しんだ西武ドームで再び西武戦。和田が自らのバットでチームを5割復帰に導く。(のかな?) ◇ ブランコや、球場狭しと驚異弾 2発ともに打席で打球の行方を見届けたほどのビッグなHR。大宮の空に放った2発の驚異弾。一発目は2点を追う4回先頭。開幕から6連勝の右腕・岸の失投、高めのスライダーを逃さなかった。バックスクリーンを越え、スコアボードにぶち当たる140メートル級のアーチが、パ・リーグのファンへの挨拶代わり。6回には低め直球を左翼席後方、防球ネット上部に突き刺す130メートル弾。「2本とも神様が打たせてくれた」。いつものセリフで振り返ったこの男の大アーチだった。第1打席でもヒットを放ち、2発目で今季2度目の猛打賞。 その要因に「ストライクを打てるようになった」とボールを見極める力の向上を挙げたブランコ。 ◇ 「もっと大胆にいけばいいのに」、渡辺監督 「弱い。余りにもマウンド上でプレッシャーを感じすぎている。落ち着かない感じがした。負けているわけじゃないんだから。もっと大胆にいけばいいのに」。 <日本ハム16−6巨人> (19日、札幌ドーム) 日本ハムが中盤の集中打で4年連続の交流戦白星発進。先発全員の20安打、16得点はともに今季最多。巨人は3失策が響き、今季初の2ケタ失点。二岡が古巣相手に恩返し。いい仕事してます。 ※ 磐石の戦いぶりだった原ジャイアンツが、交流戦に突入するや日本ハムに 16-6 で大敗しました。でも、心配御無用。巨人のぶっちぎり優勝はまちがいない! |

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