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平成21年5月27日(水)昨日:5月の米消費者信頼感指数、市場予想上回る。 米調査会社コンファレンス・ボードが26日発表した5月の消費者信頼感指数(1985年=100)は、54.9と、4月の40.8(改定値)に比べて上昇した。市場予想の平均(42.6)をも大幅に上回った。昨年9月(61.4)以来、8カ月ぶりの高水準となる。 先行きの景況感を示す期待指数も72.3と、4月の51.0から21.3ポイント上昇した。同社は「4〜6月期の景気が1〜3月期よりも改善するとの期待から、消費者は今年初めに比べて悲観的でなくなっている」と分析した。 ミシガン大学などが15日に発表した5月の消費者態度指数(速報値)も前月比で上昇。昨年9月の金融危機以前の水準に回復しており、消費者心理の改善が続いている。 ※ 親亀コケたら小亀もコケた。親亀起きても小亀は起きぬ。 <阪神2 - 3ロッテ>(26日、甲子園) 阪神・藤川、また救援失敗 … WBC後遺症? 乗れない虎 … どうしたんや、球児! 阪神は同点で迎えたロッテ戦の九回、藤川球児投手(28)が決勝打を許し、連勝が2でストップ。藤川自身も、3敗目を喫した。またも崩れた守護神に対し、真弓監督は「(代役は)誰も考えられない」と強い信頼を示したが、借金は再び6。早くも5月の負け越しが決定。 「いろいろ感じることはあります。流れを止めるのが仕事。それが全うできずに、申し訳ないです」 試合後、藤川は真摯に結果を受け止めた。同点の九回に登板すると、先頭の西岡に143キロ直球を左越え二塁打。福浦は空振り三振に斬ったが、続くサブローへの初球。バックネット際の飛球を狩野がポロリ(捕手失策)。直後の2球目のカットボールを右越え三塁打された。痛恨の1失点。今季11試合目で、早くも3敗。リリーフ転向後、2007年の自己ワースト5敗に迫る。 24日の雨天ノーゲームの影響でローテの谷間。先発に阿部を立て、4回73球で交代。江草、アッチソンとつなぎ1点リードで八回にたどり着いたが … 。ウィリアムスが今江に同点打を浴び、九回の悲劇へと崩れ堕ちた。 勝ちパターンが消滅した真弓監督は表情を曇らせた。「何でやろうか、ちょっとそのへんがね。そんなに球がキレていないことはないんだけどね」。 圧倒的な球威で相手をネジ伏せてきた球児は、今はいない。ワールド・ベースボール・クラシックから続いている変調を、今もひきずっていることは明らかだ。「(八、九回は)大事なところだから。本当に試合を左右するところ。何とか調子を取り戻してもらいたい。代役? 誰も考えられない。そこは」と、真弓監督は強い信頼を示したが … 。虎の方程式が崩壊すれば、浮上のチャンスはない。 5月27日は、「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」の日です。 2001年5月27日、大相撲夏場所の千秋楽優勝決定戦で、貴乃花が武蔵丸を破り22回目の優勝を果す。小泉純一郎総理は、「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と、貴乃花を絶賛した。 2001年1月場所は初日から14連勝したが、千秋楽で横綱・武蔵丸に敗れて14勝1敗。武蔵丸と相星決定戦となり、武蔵丸を下して14場所ぶり21度目の復活優勝を遂げた。 2001年5月場所は、初日から13連勝して向かう所敵なしの強さだった。しかし、14日目の武双山戦で土俵際での巻き落としに敗れ、その際に右膝半月板を損傷する。立つことも困難なほどの重傷であり、誰しも休場を疑わなかった。二子山親方ら関係者は休場するよう貴乃花に勧めたが、幕内優勝が掛かっていたため、周囲の休場勧告を振り切って、千秋楽を強行出場する。 本割りの仕切り最中にすら右膝を引き摺る仕草が見られ、誰の目にも相撲にならないのは明らかだった。予想通り千秋楽結びの一番の武蔵丸戦は、自ら負けるような内容で全く相撲にならず、武蔵丸と相星となった。 優勝決定戦では誰もが武蔵丸の勝利を確信していたが、貴乃花は武蔵丸を豪快な上手投げで破ったのだった。勝利を決めた直後の鬼の形相と奇跡的な優勝は、多くのファンを驚愕させ、当時の首相であった小泉純一郎氏は表彰式で、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」と貴乃花を賞賛した。 反面、武蔵丸は周囲から精神面の弱さを指弾され、武蔵川親方からも叱られたと言う。 ◇ 長期休場、そして引退 相撲史に残る大一番を演じた貴乃花であったが、その代償は予想以上に大きかった。貴乃花は2001年7月場所から1年以上も休場し、右膝をフランスで手術し再起を目指したが、はかばかしくなかった。やがて、横綱審議委員会も苦言を呈するようになる。 2002年9月場所、万全の状態では無かったものの横審委員会からの勧告もあり、8場所ぶりの出場に踏み切った。場所途中での引退さえ囁かれたものの、中盤から終盤にかけて星を伸ばし千秋楽に武蔵丸と横綱同士の相星決戦にまで持ち込んだ。敗れはしたものの、12勝での準優勝だった。他の幕内力士との実力の差を見せつけたが、場所終盤には再び膝の状態が悪化し、翌11月場所は再び休場することとなる。 2003年1月場所8日目、初対戦の安美錦に送り出しで敗れる。この一番を最後に翌日、引退を発表。引退会見では「非常にすがすがしい気持ち」、「心の底から納得しております」と、繰り返した。30歳での引退は惜しまれたが、全ては2001年5月場所の“無茶”が禍したもの。彼の引退以降、日本で生まれ育った横綱は誕生していません。 ◇ 東関親方、「日本人に頑張ってほしい」(5月24日) 6月に日本相撲協会を定年(65歳)退職する元関脇・高見山の東関親方(本名・渡辺大五郎、旧名ジェシー・クハウルア、米ハワイ州出身)が24日、最後の本場所となる夏場所の千秋楽を迎えた。東京・両国国技館で記者会見した親方は「45年、まさかここまで来るとは思わなかった。相撲は彼女と一緒」と相撲人生を振り返った。 この日も国技館で入場券を切る仕事を務めた東関親方。ファンの握手攻めに遭い、「本当に長い間ありがとう。これからもっと相撲を応援してください」と感謝の言葉を述べた。 1964年、19歳で来日して高砂部屋に入門。厳しい稽古に耐え、幕内優勝を果たすなど外国出身力士の先駆けとなった。明るい性格が愛され、CMなどでも人気を集めて39歳で引退。親方としても横綱・曙、小結・高見盛らを育てた。記者会見では、見知らぬ世界で「辛抱」した思い出を懐かしそうに話し、「もうちょっと日本の力士も頑張らないと駄目」とエールを送った。 ※ 入門当時、あまりにも厳しい稽古なので、「これはきっと、ヒロシマ、ナガサキの仕返しなんだ」と勘違いしたらしい。彼のガンバリが、後の外国人力士の道を大きく開いたのだった。 |

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