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- ◇ 「あの生活は二度と繰り返したくない」蓮池薫さん(7月6日) 北朝鮮に拉致され、2002年に帰国した蓮池薫さん(51)=新潟県柏崎市=が拉致の様子や北朝鮮での生活について語った。その24年間は、望郷の念を捨て去り、苦しい衣食住のなかで子どもたちのために「人知れず生き、死んでいこう」という日々だった。 1978年7月31日夕方、恋人だった妻の祐木子さん(53)と海岸に座って話していると、薄暗闇のなかを男が近づいてきた。「たばこの火を貸してくれ」。流暢な日本語のこの男に、ライターを差し出した瞬間、背後から両目を殴られた。 男たちは3〜4人いただろうか。押さえられ、引きずられ、袋に入れられた。ゴムボートから沖合の船に移され、船底で何かを注射された。夜、建物に入れられ、「ここは朝鮮民主主義人民共和国だ」と告げられた。その男は、しばらく「指導員」として蓮池さんにつきそった通称ハン・クムニョン容疑者だった。 直後から、日本軍の残虐行為を強調した「抗日映画」を見せられた。ハン容疑者らは「逃げ出しても絶対に捕まえる」と繰り返し言った。指導員は何年かごとに交代したが、常にいた。外出の際はついてきた。拉致から7〜8年後、街で見かけた公衆電話に思わず懐かしさから近づくと、すぐに「秘密の電話をしていた」と密告された。 生活は苦しかった。一般民衆より優遇されたとはいえ、賄いの女性がいたのは当初だけ。食事の唯一の副菜となるキムチは、晩秋に一家総出で1.4トンを漬けた。停電は度々で、山で薪を拾った。各地の招待所を10回弱、転々とした。朝突然に、指導員から「今から移る」と言われて引っ越したこともあった。民衆とは常に隔離されていたが、日本で拉致問題が盛り上がり始めた90年代後半は、より遮断された招待所に移された。 フォーク・クルセイダーズ 『イムジン河』 ※ 原詩:朴 世永 訳詞:松山 猛 作曲:高 宗漢
イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
日本の新聞や雑誌、本の翻訳をさせられた。その中に、救出運動に取り組む兄の透さん(54)らの名前を見つけたことがあった。「覚えていてくれるんだな」と思ったが、戻れる希望は全く感じなかった。 封印した望郷の念。しかし、朝鮮半島統一を願う歌「イムジン河」を、自分でギターを手に歌ったときは涙が出た。鳥になって南北を分ける河を渡る。「自分は日本へ、という思いだったが、周囲は分からなかっただろう」。我が祖国 南の地 想いははるか イムジン河 水清く とうとうと流る 北の大地から 南の空へ 飛び行く鳥よ 自由の使者よ 誰が祖国を 二つに分けてしまったの 誰が祖国を 分けてしまったの イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ 河よ 想いを伝えておくれ ふるさとを いつまでも忘れはしない イムジン河 水清く とうとうと流る 北朝鮮について考えたことなどを記した「半島へ、ふたたび」(新潮社)も6月に出版。「日本では自分で道を切り開ける自由があるが、北では常に重い物に押しつぶされるような毎日だった。拉致被害者の生活を知ってもらい、残された人の救出につなげてほしい」。
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