今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成21年7月12日(日)本日投開票:都議選や、針の莚の麻生さん。

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 石原都知事とても、新銀行東京などで都政批判を展開する民主党の躍進には戦々恐々だろう。自ら、「民主の動向は、大きく議会のあり方を左右する。突っ走られたら大きな混乱もあると思う」と危惧する。 脛に傷もつ都知事と、やる事為す事はずしっ放しの麻生さん。なにやら、お似合いの2太郎さんなのかも知れません。



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 7月12日は、鈴木大拙忌です。

 ◇ 鈴木大拙(1870年〜1966年)(本名:貞太郎)

 禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者。大拙は居士号。石川県金沢市本多町に旧金沢藩藩医の四男として生まれる。100冊の著書の内、23冊が英語で書かれた。同郷の西田幾多郎、山本良吉、藤岡作太郎とは、石川県立専門学校(後の第四高等学校)以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎とも称された。 梅原猛は大拙を評して、「近代日本最大の仏教者」とした。

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 第四高等中学校を退学後、英語教師をしていたものの、再び学問を志して東京に出る。東京専門学校(現早稲田大学)を経て、東京帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅する。この時期に、釈宗演の下をしばしば訪れて禅について研究していたベアトリス・レインと出会う。釈宗演より大拙の居士号を受ける(大巧は拙なるに似たり)。

 1897年、釈宗演の選を受け米国に渡り、東洋学者ポール・ケーラスの経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、禅文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。

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 晩年は鎌倉に戻り、自らが1941年に創設した東慶寺の松ヶ岡文庫で研究生活を行った。1949年には、ハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議に参加し、中国の胡適と禅研究法に関して討論を行い、また、日本学士院会員となり文化勲章を受章した。1950年より1958年の間は、アメリカに住み、ハワイ大学、エール大学、ハーバード大学、プリンストン大学などで仏教思想に関する講義を行なった。鈴木はカール・グスタフ・ユングとも親交があり、ユングの主催したエラノス会議にも出席した。またエマヌエル・スヴェーデンボリなどヨーロッパの神秘思想の日本への紹介も行った。

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 最晩年の昭和38年(1963年)、94歳にして「教行信証」全6巻の英訳を完成させた。 昭和41年7月10日早暁、腹痛をおこし、11日午後東京聖路加病院に入院。12日午前5時5分、咬扼性腸閉塞のため96年の生涯を閉じた。

 親友・西田幾多郎の墓を過ぎ、奥まったところに鈴木家の墓地がある。苔蒸した五輪塔に大振りの花生けが備えてある。大拙に先立つこと27年、夫人のベアトリス・レインと共に眠る。傍らに「鈴木大拙夫妻之墓」と記した石柱が立つ。 (鎌倉東慶寺境内)

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 ※ 漱石は「門」の中で釈宗演師と思われる人物を次のように評している。
 老師というのは五十格好に見えた。赤黒い光沢のある顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごとくしまって、どこにも怠りのないところが、銅像のもたらす印象を、宗助(漱石?)の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚すぎるので、そこにいくぶんのゆるみが見えた。そのかわり彼の目には、普通の人間にとうていみるべからざる一種の精彩がひらめいた。

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 宗助が老師から与えられた公案は、「父母未生以前本来の面目」だったが、漱石には手も足も出なかったようだ。老師に、「もっとぎろりとしたところを持って来なければだめだ」と追い返される。 同じ時期に、鈴木大拙も居士として参禅していた。漱石の大拙評は、「宗助はそれから二、三日してその居士を見たが、彼はひょうきんな羅漢のような顔をしている気楽そうな男であった」。 対する大拙は、この時の漱石を評して、「たかが一週間くらい参禅した位で何かをつかめる訳がない」と一刀両断しています。



 <阪神2 - 2巨人>(11日、甲子園、延長12回引き分け)

 2試合連続となった延長戦は、阪神には無念の引き分けとなった。阪神は五回2死満塁から、関本の2点適時打で先制したが、巨人は八回に亀井の適時打で1点差。阪神はこの回から藤川を投入したが、巨人は九回、松本の同点打で追い付き延長戦突入。その後は両者ともに決定打を欠いた。

 巨人・原監督「グライシンガーが八回まで投げてくれたことが大きい。チームに大きな役割を果たしてくれた」。 阪神・真弓監督「(藤川投入は勝負に出た?)そうだね。あそこを抑えておかないと。(よく引き分けた?)勝ちたかったけどね」。


 <中日2−1広島>(11日、ナゴヤドーム)
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 中日は広島戦7連勝。五回にブランコの25号ソロで追いつき、六回に井端、荒木、森野の3連打で勝ち越した。吉見は「序盤は良くなかったが、修正できた」と7回を自責点ゼロに抑えてリーグトップタイの9勝目。広島は先制後に加点できず、好投の前田健を援護できなかった。
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 ※ 試合前に、なにやら意図的に落合監督に握手を求めたブラウン監督だったが、対中日の連敗は止まらなかった。 ブラウン監督「1点差の負けは大きく感じる。先発投手が2失点で完投すれば、普通は負けない。打線が援護しないと」。 ゲン直しにブラウン監督、今日は何をするのかな?

 2009/07/11 ブランコの弾丸ライナー25号同点ソロ(広島戦)

 ※ 2試合連発となるHRは、普通ならばライトフライと思えたが …

 ※ ブランコの弾丸ライナー25号 万有引力など知らぬ気に …


 【参照】7月12日、鎌倉幕府成立(1192年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/13171288.html

 【参照】7月12日、『悪魔の詩』殺人事件(1991年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/34581854.html

 【参照】7月12日、「家政婦は見た!」ファイナルの日(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43502941.html

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