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平成21年7月14日(火)昨日:恨み骨髄の石原都知事、「大迷惑な結果」。 「総選挙の前相撲にされ、大迷惑な結果になった」。自民党が大敗した東京都議選について、石原慎太郎都知事は13日、硬い表情で語った。「2週間前から始めた候補が自民党のエースを破る現象は異常。非常に浮薄な選挙になった」と恨み節も漏らした。 支持率低迷が続く麻生首相については「自ら醸し出した人心の離反みたいなのを分からない、そのツケを東京が払わされた、空気が読めない、KYか。重い責任がある」と批判。麻生首相で衆院選を戦えるかと問われると「だめだね」と突き放した。 石原都政の不支持との見方については、「ちょっと違うんじゃないか」と否定した。築地市場移転など石原都政に反対する姿勢を示した民主党については「責任政党になった。責任がある代案を出してもらわないと都民も納得しないのでは」と話した。 ※ 「非常に浮薄な選挙」、ここに石原慎太郎の傲慢さが露呈する。都知事とは、小国家の大統領のようなものだが、慎みを忘れた人間に、幸運の女神は微笑まない。自らの功を焦って、東京都に莫大な損失を与えた石原都知事、強引なやり口とリーダーシップとを混濁した男。その責めは、都民ではなく、石原自身が負うべきなのだ。( … にしても、間が悪かったね。 ビバッ! 東京マラソン! … にしても、石原父子受難の選挙でした。)) 7月14日は、須田剋太忌です。 ◇ 須田剋太(1906年〜1990年)(埼玉県生まれ、洋画家) 当初、具象画の世界で官展特選を重ねたが、1949年以降は抽象画へと進む。力強い奔放なタッチが特徴だった。司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を担当し、取材旅行にも同行した。道元禅の世界を愛した。 1927年、埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)卒業。その後、浦和市(現・さいたま市)に住み、ゴッホと写楽に傾倒。東京美術学校(現・東京芸大)を4度受験し、4度失敗。独学で絵を学ぶ。 『街道をゆく』は、司馬遼太郎氏が1971年から1996年まで、25年以上にわたって週刊朝日に連載した歴史紀行文学。国内各地はもちろん、中国やモンゴル、さらには遠く南蛮(スペイン、ポルトガル)やオランダ、アイルランドをはじめ世界各地の街道も訪ね、司馬氏の洞察力に富んだ味わい深い文章により、その国や地域の歴史と風土を描いています。 須田剋太は連載開始から1990年までの約20年間、司馬氏に同行してスケッチを重ね、「街道をゆく」の挿絵を制作しました。 1990年、大阪府および飯田市美術博物館に作品を寄贈。 (大阪府は、2227点の寄贈を受ける。) 善も悪も、喜びも悲しみも、死も生も、賢愚、強弱、大小、優劣も 同時同時に、今の同じ瞬間に現実の中に実体として二つ顕現する 其の二つの矛盾した実体を一つに体験するにはどうしたらいいか分からない ナンジ、ソモサン(汝、作麼生)。サアドウスルドウシタライイカ。 其の時、本来の自己に徹してゐたら、不二の法門、狗子仏性の有無 本来無一物に徹してゐたら、業識に転ぜられる事もなく、 真実の現実の実体が掴める 掴んでも、にぎってもしゃぼっても、尚分からない矛盾だらけの 缼点だらけの赤肉団上の一無位の真人 臨済大悟の偈 億(憶)劫相別(離)而須臾不離 尽日相対而刹那不対 大燈國師 (此理人々有之) (西田幾太郎は、これに触発されて「絶対矛盾的自己同一」を唱えた。) 英語の“religion”という言葉には、『神・キリストとの再結合(re+ligon)』という意味が籠められる。その語源は、ラテン語のreligioにまで遡ると言う。“religion”という言葉は、元々キリスト教のような『一神教』を指示する言葉だった。翻って、わが国ではアニミズムの要素を持つ『神道』、多神教的な要素を持つ『仏教』、政治思想的な要素を持つ『儒教』がある。我々日本人は、いかなるものとの「再結合」を求めるべきか。 ※ 即無的実存としての、わたしたち人間は、一体何を錯誤しているのか? 「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」 ポール・ゴーギャン 油彩 139×375cm、ボストン美術館 ◇ 大山デブ子(本名:神原ヤス、1915年〜1981年7月14日) 女優、奈良市生まれ。デブにして妖艶(?)、寺山に愛された。 フェリーニも修司も愛す大女 天下人たる家康も愛す
まつさきに橋の灯ともる巴里祭 黛まどか
【参照】7月14日、パリ祭(1789年)冥土への旅より遠き巴里祭 真柚子見かどま http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/13172261.html |

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