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平成21年7月18日(土)昨日:大雪山系遭難、ツアー客ら10人死亡の“疑問”。 トムラウシ山では18人のパーティーのうち8人が死亡したほか、1人で入山していた別の男性登山客が山頂付近で死亡しているのが、新たに見つかった。南西約15キロにある美瑛岳では、救助要請していた6人のパーティーのうち女性登山客が死亡。大雪山系での死者は10人となり、いずれも50〜60歳代だった。 トムラウシ山では、夜明け前の17日午前4時前から、道警山岳救助隊や消防隊員ら約40人や、道警と自衛隊のヘリコプター計4機が順次、捜索を開始。山頂近くの北沼付近で男女計7人が見つかったが、4人は意識不明の状態だった。別の登山客は山の中腹の岩場などで動けなくなっているのが見つかり、それぞれヘリが登山口まで移送。救急車で病院に搬送された。 また、美瑛岳で遭難した6人のパーティーのうち、死亡した兵庫県姫路市、尾上敦子さん(64)以外の5人は無事が確認された。 16日は標高1500メートル付近で風雨が非常に強く、登頂を断念して引き返す登山客もいたという。帯広測候所の観測では、山系周辺は当時、推定風速20メートル以上の西風が吹いており、ふもと付近でも気温は10度前後まで冷え込んでいたため、道警は死因はいずれも低体温症とみられるとしている。 トムラウシ山の18人のパーティーは、東京都内の旅行会社のツアー。愛知、広島、静岡、宮城などの50〜60歳代の男女15人が参加、13〜17日の日程で大雪山系を縦走する計画で、ガイド3人が同行。美瑛岳のツアーは茨城県つくば市の旅行会社が企画し、兵庫、埼玉の女性3人が参加。ガイド3人が同行していた。 業務上過失致死の疑い 北海道大雪山系で起きた遭難事故をめぐり、トムラウシ山(2141メートル)で遭難したパーティーは、途中で歩行困難者が出る中で、少なくとも八つに分裂していたことが分かった。道警は、同行ガイドや主催したアミューズトラベル社(東京)が安全確保を怠った結果、一行がバラバラとなり、8人の死者を出す事態に至った可能性があるとみて、業務上過失致死の疑いで、社長らから事情を聴いている。近く同社を家宅捜索する方針。 道警などによると、パーティーは50〜60代の客15人(男性5、女性10)と男性ガイド4人の計19人だったが、ガイド1人が事故前夜に泊まったヒサゴ沼避難小屋に残ったため、遭難時は客15人に対し、ガイド3人となっていた。 18人は、16日午前5時半ごろ避難小屋を出発。昼前にはトムラウシ山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、ガイド1人が付き添うことになった。残る16人でしばらく進んだが、さらに男女4人が体調を崩すなどして進めなくなり、ここにもガイド1人が残ることになった。5人はテントを張って野営した。 この段階で、本隊はツアー客10人に対し、ガイド1人の11人。一行は下山を試みたが、ガイドが午後3時54分に5合目の「前トム平」から110番通報した内容は、「ガイド1人、客2人の計3人がいます」というもので、ツアー客8人の行方を把握できなくなっていたという。 その後、16日深夜から17日未明にかけ、3グループに分かれた計5人が自力で下山。17日の捜索では、山頂付近から登山道に沿う形で、「北沼」に7人、「山頂付近」に1人、「南沼キャンプ指定地」に1人、「前トム平」に3人、「コマドリ沢分岐」に1人と、登山客は5カ所に分かれて見つかった。 自力で下山した男性は「ガイドのペースが速すぎて脱落して1人になった」「山中で野営し、17日午前3時半に再び歩き始めたところで、車が来て拾われた」と話した。 ガイド3人のうち、今回のコースの経験者は1人だったという。17日、帯広市内で記者会見したアミューズトラベルの松下政市社長は、「出発時点では、ガイド3人は『(参加者の)脚力やこの天気なら問題ない』と確認して出発したのではないかと推測される。ただ、途中で引き返すという判断も、選択肢の一つとしてあっても良かった」と話した。 同社が企画したツアーは、今月13〜17日の日程で旭岳からトムラウシ山の計45キロの行程を3日間で縦走する計画だった。同社によると、ツアーの難易度は5段階評価で「4」に相当し、参加者を70歳以下の「健脚者」で、過去に「3」クラスのツアーに参加した経験者に限定しているという。捜査関係者によると、16日は未明から荒天だったが、ガイドの判断で予定の30分遅れでスタートした。しかし、自力で下山できたのは5人だけだった。 道警では、悪天候下でツアーを決行したガイドの判断を重視。ツアーでは、帰路の名古屋、広島、仙台までの航空便が決まっており、予定通り下山するために、日程を優先させた可能性もあるとみて、18日もガイドから当時の状況などについて事情を聞いている。また、同社幹部からは、ツアー決行の判断をどこまでガイドに一任していたか調べているとみられる。 ※ 何が、引き返すという判断を抑え込んだのか? 生存者は、「出発、無謀だった」と語る。助かった男性も、「寒くて死にそうだった」と振り返る。悪天候の中で予定を強行した判断に、疑問を呈する声も上がる中、大雪山をよく知る地元の山岳関係者ですら「これほどの事故は記憶にない」と呻いた。 さながら、「死の行軍」を強行するような、余りにも無分別な判断を誰が下したのか? <中日12 − 0横浜>(17日、横浜スタジアム) 中日が序盤に大量得点で3連勝 横浜の連勝は5で止まる 中日が序盤に大量得点を挙げて3連勝。一回、和田と藤井の連続適時打で2点先取。二回も3点を奪い、四回は「打った瞬間、入ったと思った」という井端の3号ソロなどで4点を加えた。チェンは球威があり、今季2度目の完封で5月3日以来の3勝目。横浜の連勝は5で止まった。 横浜はマストニーが四回途中までで9失点と大乱調。立ち上がりからボールが先行。ストライクを取りにいった甘い球を痛打された。一回に2失点すると、二回は味方の失策から崩れ、4本の単打で3点を失った。四回は4長短打に暴投のおまけもついて3点を献上して降板。試合を壊した形となった右腕に杉本投手コーチは「球が高く、ピッチングになっていない」と酷評した。 落合監督、多くを語らず 中日の落合監督は、圧勝にも「相手よりも移動時間が短かった。それだけのことじゃないか」と多くを語ろうとしなかった。この日、横浜が広島から移動したのに対して、中日は大阪からの移動だった。 そして、大量援護で完封したチェンに関する質問には、「そんなに難しいことか? どんな状況か考えてみろ。吉見と防御率を争っているんだろ」と、ぶっきら棒に答えた。 ※ 大勝の後に大敗あり、これがドラゴンズのジンクス。めでたさも中くらいなりおらが春。過ぎたるは、尚、及ばざるが如し、とも。 今夜は … 、雨でも降らないかな。 1976年7月18日、モントリオールオリンピック体操で ルーマニアのコマネチ選手が史上初の10点満点の演技。 ◇ ナディア・エレーナ・コマネチ( 1961年11月12日生まれ ) 14歳で参加した1976年のモントリオール五輪 で、段違い平行棒と平均台の演技で近代オリンピック 史上初めての10点満点を出し、個人総合で金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得。純白のレオタード がよく似合う可憐な容姿や見事な技が観衆を魅了し、「白い妖精」と呼ばれた。1980年のモスクワ五輪でも、金メダル2個、銀メダル2個を獲得するが引退。 1989年12月、チャウシェスク政権下のルーマニアから、ハンガリー経由でアメリカに亡命。チャウシェスク大統領の独裁政権下で、大統領の次男であるニク・チャウシェスクが一方的に愛人関係を持とうとした事に拒むことも出来ず、耐え切れなくなったためと言う。1ヶ月後、チャウシェスク政権は崩壊。2001年6月、アメリカに帰化。その後、民主化したルーマニアに帰国したが、国民は温かく彼女を迎え入れた。 1996年、ロサンゼルス五輪(1984年)男子体操金メダリストのバート・コナーと結婚。2006年、第1子となる男児を出産。 ◇ 父親ゲオルゲさん(74)が語るコマネチの亡命 ナディア・コマネチさんの父親ゲオルゲさんが、ルーマニア北東部オネスティでチャウシェスク政権時代や娘の米国への亡命劇について語った。コマネチさんはモントリオール五輪で10点満点を7回も獲得、国内で一躍「英雄」となった。 しかし、独裁者・チャウシェスク元大統領の処刑(1989年12月)の数週間前にハンガリー経由で米国に亡命した。 コマネチさんのコーチが1980年前半に米国に亡命しており、秘密警察「セクリターテ」の監視や盗聴が厳しくなったほか、チャウシェスク氏の二男が言い寄ってきたことなどが背景にある。「娘が私たち両親にも亡命計画を話さずに、突然姿を消したため悲しんだ」と振り返る コマネチさんは、西側への優位を強調できる独裁政権の“政治道具”にもされていただけに、計画が漏れれば厳罰は必至。亡命は「命がけの決断」だった。 チャウシェスク元大統領は贅沢の限りを尽くした宮殿「国民の館」をブカレスト市内に建造。一方、「ルーマニアの至宝」と呼ばれたコマネチさんの家族に対しては意外にも「金銭支援は渋った」と言う。ゲオルゲさんは今も、市内の市場の片隅で漬物屋「コマネチ商店」を細々と営む。 コマネチさんは子供時代、弟を頭上に放り投げるなど「とにかく快活」で、里帰りすると今でも人気者だという。しかし、独裁政権崩壊直前の苦しい時代に祖国を離れただけに、「娘に厳しい視線を向ける人もいる」と打ち明けた。そんな中にあって、「日本人は娘に好意的だ」と謝意を示し、日本人と結婚した親類がいるほどだと明かした。 チベット 弾圧問題で揺れる北京五輪 については、母国のオリンピック委員会に与える影響を考慮してか、「あまり語れない」と口をつぐんだものの、娘が約20年前、共産党・独裁政権の犠牲となった経緯があるだけに、開会式ボイコットの必要性を否定しなかった。 ※ “世界のキタノ”、往年のギャグ。 コマネチによる 「コマネチ!」 ※ ビートたけしは知っているが、映画監督・北野武はご存じない。 北野監督の映画は海外での評価は高いが、国内の興行成績は芳しくない。 |

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