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平成21年7月19日(日)昨夜:中日4連勝、吉見10勝目、横浜は対中日戦7連敗。 <中日7−0横浜>(18日、横浜スタジアム) 中日が効率良く得点して今季5度目の4連勝。二回、ブランコの26号ソロで先制し、七回は「いいところに飛んだ」という谷繁のテキサス適時安打などで4点を挙げた。吉見は尻上がりに調子を上げ、リーグトップタイの10勝目。横浜は2試合連続の零封負けで対中日戦7連敗。 幸せの黄色いブランコが、真っ赤に燃えた! ブランコは先頭打者だった七回、四球で出塁し、和田の左前打で三塁にまで好走塁してヘッドスライディングー!。 続く藤井の遊ゴロで果敢に本塁に突入。タイミングは完璧にアウト。だが、ブランコの体当たりをまともに受けた捕手・新沼慎二は落球、1点をもぎ取った。ここで、捕手は細山田に交替。結局、この回は4点を加えた。ブランコのファイトが試合を決めた。ついに、「大勝の後に大敗あり」と言うドラゴンズのジンクが過去のものとなった? やっぱ、今夜が心配? 中日・吉見一起 vs 横浜・吉見祐治 先発同士の「吉見」対決は、中日の吉見一起が制しました。 勝ち投手 [ 中日 ] 吉見(10勝3敗) 負け投手 [ 横浜 ] 吉見(1勝1敗) ※ ラジオ中継が、聞きづらかった。今は、どっちの吉見が投げてんの? <巨人11−4阪神>(18日、東京ドーム) 阪神は矢野が復帰して奮闘するも、投手陣総崩れ、リード面に不安 阪神・真弓監督「痛いところで4番に打たれた。矢野はこの後、どんな状態かを見てから(起用の仕方を)考える」。 オフの右肘手術からの回復が遅れていた阪神・矢野が、ようやく戦列に復帰。打っては反撃の起点となる2安打、三回には脇谷の盗塁を二塁で刺すなど、さすがの存在感を見せた。しかし、先発の安藤をはじめ、4投手が11失点の大敗に、試合後の顔つきは強張ったまま。「点を取った直後に取られたり、2死から取られたり。リード的には0点」と厳しい自己評価。「リード面も含め、自分のペースでできるようになるには、何試合かかかるが、そんなことも言っておられん」。低迷するチーム状態に、やや焦りの色を見せていた。 ※ 真弓・阪神、どうにもこうにもトンネルの出口が見当たりません。 7月19日は、子母澤寛 忌です。 ◇ 子母澤 寛 (1892年〜1968年、本名・梅谷松太郎) 北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。祖父・十次郎は江戸の御家人で彰義隊に参加し、箱館戦争に敗れてそのまま北海道に定住した。旧制北海中学校(現北海高等学校)、明治大学法学部卒業。 創価学会第2代会長・戸田城聖と同郷で少年期よりの知己。後に子母澤の出版を戸田の会社が受けており、相当数の著作を発表している。 読売新聞、東京日日新聞で新聞記者をするかたわらで、尾佐竹猛らの指導で旧幕臣の聞き書きをまとめ、1928年『新選組始末記』を出す。その後、『新選組遺聞』『新選組物語』の「新選組三部作」を出版し、その後の作家ら(司馬遼太郎・池波正太郎など)にも引用される。 代表作に『勝海舟』『父子鷹』など。随筆に『座頭市』の原案となった『ふところ手帖』がある。1962年、第10回菊池寛賞。筆名は、居住地の東京市大森区新井宿(現在の東京都大田区中央四丁目)子母沢より。「寛」は語呂がよかったから。 ◇ 『父子鷹』(おやこだか) 名代の分限者・男谷家に生れ、四十俵余の小普請・勝家の養子となった剣豪・小吉は、男谷の父と兄の運動が功を奏して仕官の道がひらけたのも束の間、誤って卑劣な役人をその手で殺してしまう。所詮、情実と賄賂のうずまく権勢にまっ向から抗して仕官を断念。わが子・麟太郎(海舟)にすべての夢を託して、清廉・直情、市井に生きる父と子と。菊池寛賞受賞のきっかけとなった傑作長編。 勝海舟の活躍の礎を築いたのは、江戸っ子侍である父・勝小吉の愛であった。勝小吉・麟太郎父子の交渉をビルドゥングス・ロマン風に綴った傑作。勝小吉の江戸っ子侍そのままの行動や、彼らを取り巻く市井人の素肌が、幕末江戸の風物詩のなかにみごとに融けあっている。『おとこ鷹』の第一部をなす、著者の代表的作品の一つ。 ※ 『新選組始末記』、『父子鷹』などのドラマ化で、印象に残るのが中村竹弥です。威風堂々として軽妙洒脱、まさに江戸の侍がそこに居た。時には、船長にもなったのであった。 <本日丑の日> 丑の日に、『う』の字がつく物を食べると夏負けしない、という民間伝承が御座います。「うどん」「うり」「きゅうり」「とうなす」「うめぼし」「とうふ」「うのはな」等々いろいろ御座います。ほかに何かあったかな? 今年は、二の丑(7月31日 )もありますので、慌てて脂っこいものを食べることもありません。 |

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