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平成21年7月23日(木)昨夜:今季2度目の8連勝、2.5差キープの中日。 <中日3―2広島>(22日、ナゴヤドーム) 前半戦最終戦で中日が競り勝って今季2度目の8連勝。2―2の8回2死から四球の藤井が二盗し、小池が中前打を放って勝ち越した。朝倉になんとか勝ちをつけたい落合監督の思いに応えた。朝倉は8回2失点で7勝目。9回を締めた岩瀬がリーグトップの28セーブ目。広島は4連敗で、対中日戦は11連敗。 勝ち越し打の小池は「1回のチャンスで凡退して悔しかった。バットに当てれば何とかなると思った」。チーム一丸となった勝利への執念で、粘る広島を上回った。この3連戦、中日は盗塁やエンドランなど何度も足を使って好機を演出した。「相手のすきを突く野球ができているので、やっていて楽しい」と小池の笑顔がはずむ。落合監督も「これでゆっくり休ませることができる。おれも休ませてもらう」と静かに微笑んだ。 <オールスター前の前半戦終了 12球団監督のコメント> オールスター戦は24日に札幌ドーム、25日には新装なって大好評のマツダスタジアムで行なわれる。後半戦は、セ・パともに28日に始まります。 巨人・原監督「首位折り返しや数字については悪くない。新戦力や若い力が増えた。後半戦は、一人一人が良いコンディションで戦えるようにすることが一番大事」 中日・落合監督「巨人を追いかけられるのはうちだけ。1イニングに2、3点取られるのをどうにかして少なくするしかない」 ヤクルト・高田監督「選手の頑張りのおかげで、優勝の狙える位置にいる。後半戦は連戦が続くだけに、もう1人先発投手が出てきてほしい」 広島・ブラウン監督「この成績は予想できなかった。天谷の故障が打線に響いた。投手陣は自分の力を発揮してくれた」 阪神・真弓監督「もう一押しという試合が多い。接戦を競り勝っていけば、勝率も上がる。疲れているチームが多く、まだチャンスはある」 横浜・田代監督代行「勝ち星にはつながらないが、ゲームの内容は良くなっている。引き続き今の戦い方をやりたい。若手はチャンスをつかんでほしい」 日本ハム・梨田監督「守り勝つ野球ができた。9番の金子誠が打って上位につながり、大量点を取れた。糸井が成長してくれた。故障者が少なかった」 ソフトバンク・秋山監督「松田の離脱は痛いが、それ以外は順調に来ている。勝てる試合は落とさずにいきたい。ポイントは日本ハム戦と西武戦」 西武・渡辺監督「何とか辛抱して3位につけた。まだ50%の力しか出せていない。涌井と岸がいなかったらゾッとする。後半戦は100%の力を発揮したい」 楽天・野村監督「打線がうまく回っているようには思えない。まだ「適材適所」に組めていない。それがタイムリー欠乏症につながってしまっている」 ロッテ・バレンタイン監督「自分がしっかり指揮を執れず、チームをまとめられなかった。選手の足を引っ張る出来事もあり、プレーに専念できなかった」 オリックス・大石監督「負けが込んでしまい、ファンに申し訳ない。金子、大引、坂口は健闘したが、先発投手が試合を作れず、けがで中軸打者を欠いたのが痛かった」 7月23日は、金子文子忌です。 ◇ 金子文子(1903年〜1926年) 1903年、横浜に生まれる。出生届が出されず就学できなかった。父は家を出て、母の妹と同居する。母も男との同棲をくり返す。「家財道具を売り飛ばし、床板をはずして薪にかえた」ほど、貧しい暮しだった。9歳から16歳まで、養女として父方の祖母に迎えられ、朝鮮で暮らす(当時は、日本の植民地)。しかし、「無籍者」として虐待をうけ、食事さえ満足に与えられなかった。そんな時に、朝鮮人の婦人から「麦ごはんでよければ」と声をかけられ、「人間の愛」に感動する。日本人が権力をかさに朝鮮人を搾取するさまを目の当たりにした。1919年、日本に帰る直前、3.1独立運動に遭遇。 1920年、17歳で上京。新聞売りや「女給」などで自活しながら苦学。キリスト教、仏教、社会主義、無政府主義の思想に出会う。1922年、朴烈(パク・ヨル)と知り合い、雑誌『太い鮮人』を創刊。1923年9月3日、関東大震災の混乱のさ中に逮捕され、「治安警察法違反」で予審請求される。1926年3月25日、「大逆罪」で死刑判決。のち恩赦により無期懲役に減刑されるが、7月23日、獄中にて縊死。 享年24。すべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって、平等であると確信した文子は、権力の前に膝を折って生きるよりは、死してあくまで自分の裡に終始する生涯を選んだ。 ◇ 金子文子の平等思想 幾度となく転向を迫る検事らに屈することなく貫いた文子の絶対平等の思想には、多くの人々、女性たちから共感が寄せられる。金子文子が生きたのは、日本が朝鮮を植民地支配下に置き、普通の日本人は朝鮮人を蔑視、差別し、虫ケラのように思っていた時代だった。その狂気の時代にあって、「左傾」し、朝鮮人の闘いに共感した金子文子を理解する日本人は殆どいなかった。金子文子はそうした孤立の中で、既成の価値観に妥協することなく、自已に忠実に生き抜いた。 「私はかねて人間の平等ということを深く考えております。人間は人間として平等であらねぱなりません。そこには馬鹿もなけれぱ、利口もない。強者もなけれぱ、弱者もない。地上における自然的存在たる人間の価値から言えぱ、すべての人間は完全に平等であり、したがってすべての人間は、人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべき筈のものであると信じております」 (金子文子・第12回尋問調書) 朝鮮にいた祖母、叔母夫婦に引き取られた金子文子は、具に日本人の傲慢さを目撃する。金子文子を引取った一家は、朝鮮人を見下し、蔑み、傲慢そのものだった。それは一家庭だけでなく、日本の植民地官僚や警察官、憲兵たちも同じだった。金子文子は、虐げられる朝鮮人たちと同じ目線に立っていた。 食事も与えられず酷使される惨めな境遇。そんな金子文子に、「麦御飯でよけれぱ、おあがりになりませんか」と、手を差し伸べてくれた一人の朝鮮女性。「この時ほど私は人間の愛というものに感動したことはなかった」と手記に記す。 金子文子は、「父には逃げられ、母には捨てられた」と思い、「子供ながらに考えても判らない自分の身の上を嘆き呪った」と、後に予審の訊問調書で述べている。 歌集に『獄窓に想ふ』、自伝に『何が私をかうさせたか』があります。1976年3月、山梨県東山梨郡牧丘町杣口の金子家の敷地に「金子文子の碑」が建てられる。 ※ 愛と自由の無い時代に、人間愛に生き、反権力に死んだ金子文子 … 。 そして、今また、愛の不毛と、自由の空しさに懊悩する時代とはなった。 風もなく蒸し風呂のごと出る汗の その一粒がドクダミに落つ 本日、大暑。 いかさまに、大いに暑し大暑かな。 ひとしずく 草刈鎌の 汗ひかる 。 疲れ果て 呆けし吾に 蝶の飛ぶ 。 生きむとす 夏草取りや 汗まみれ 。 涼風は 盛夏に在りと 痩せ我慢 。 ※ 中高年は暑さに鈍感なそうな、脱水症には御用心。 |

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