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平成21年7月31日(金)本日:与野党非難合戦の中、自民がマニフェスト発表。 <中日5−3巨人>(30日、東京ドーム) 川井、無傷の11連勝 首位巨人とはゲーム差1.5 中日が逆転勝ちで巨人とのゲーム差を1.5とした。1点を追う六回、小池の2ランと「とにかく、くらいついていった」という森野の適時打などで一挙4点を挙げた。川井は要所を締めて、開幕から11連勝。岩瀬は30セーブ目。巨人は投手陣が四球を連発し攻撃のリズムを壊したのが敗因。 原監督「(投手陣の11与四死球に)そのへんが今日の分かれ目だった。よく5失点でおさまった」。 7月31日は、鶴見和子の命日です。 ◇ 鶴見和子(1918年〜2006)(社会学者、上智大学名誉教授) 専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田国男の研究、 地域住民の手による発展を論じた「内発的発展論」などで知られる。 1995年12月24日午後4時頃、脳出血で倒れて左片麻痺となり、車椅子生活を余儀なくされる。リハビリを受けながら、これまで書きためた著作を編集して『鶴見和子曼荼羅』(全9巻、藤原書店)にまとめる。対談をまとめた『鶴見和子 対話まんだら』シリーズも藤原書店より刊行している。2006年7月31日、大腸癌のため逝去、享年88。 アカデミズムにとらわれない斬新な発想で、民俗学の巨人・南方熊楠の先駆的な研究から、日々の暮らしを綴ったエッセイまで多彩な著作を残した。日本を代表するオピニオンリーダーとして国際会議に飛び回り、論文の締め切りに追われる多忙な日々の中で、77歳の時に脳出血で倒れて左半身不随となる。しかし、倒れてから「体が不自由になったことで、魂が自由になった」と鶴見和子は言う。倒れてから10年余りを全力で生ききり、人間の埋もれた能力を発掘し続けた。
「良く生きたと思って死ねたら、最高のハレ」
◇ 鶴見和子の短歌(「回生」より、回生=rebirth) 15歳で佐々木信綱に師事、竹柏園。21歳で歌集「虹」を自費出版。 その後、学問を志し米国に留学。短歌に訣別する。
舞ひ上がる燕の姿勢思ひみる 立ち上がり訓練我ままならず
◇ 今日は、二の丑楡若葉そよぐを見れば大いなる 生命のリズム我もさゆらぐ 杉秀ツ枝山雀(やまがら)一羽止まりをり 天を仰ぎて身じろぎもせず 半世紀死火山となりしを轟きて 煙くゆらす歌の火の山 一条(ひとすじ)の糸をたどりて白髪の老婆降り行く底ひより 新しき人の命蜻蛉(とんぼ)の命登りゆく輪廻転生の曼荼羅図 さまざまな唸りをあげて病院は 動物園のごとし夜の賑やかさ 我もまた動物となりてたからかに 唸りを発すこれのみが自由 手足萎えし身の不自由を梃にして 精神(こころ)自在に飛翔すらしき 身の中に死者と生者が共に棲み ささやきかわす魂(たま)ひそめきく 半世紀死火山となりしを轟きて 煙くゆらす歌の火の山 五七五七七のリズムよみがへり 新しきわが生命開きぬ 片麻痺の我とはなりて水俣の 痛苦をわずか身に引き受くる 逸早く気圧の配置感知する 萎えたる脚は我が気象台 微小宇宙我大宇宙と響き合ひ 奏でる調べ日々新しき 白く小さき花は終りてしゃりんばい 濃き紫の実の豊かなる 蔓桔梗壷にさしたる蕾伸び 咲きつぐ花の日々新しき 細胞の一つ一つが花開く 今朝のめざめは得難き宝 おもむろに自然に近くなりゆくを 老いとはいわじ涅槃とぞいはむ みんみん蝉生命のかぎり鳴きつぐを我が歌詠ふリズムとぞ聴く つつがなく今日の一日を生かされて 点となりゆく紅き陽を見る ありったけの力ふりしぼり生きている 我を元気と人はいへども 夜毎夜毎痛みつのれる病む足に 力もつきて消えたくなりぬ この日この刻よく生きなむと念ずなり いつとは知らずよく死なむため 斃れて後覚えし木の名花の名を 数うれば友のふえたるがごと 感受性の貧しかりしを嘆くなり 倒れし前の我が身我がこころ 生と死のあわいに棲みていみじくも ものの相(かたち)のするどき気配 陸(くが)にありて寒さ厳しきを海の底 六百メートル凍てつくならむ 昨年(きぞ)給(た)びしシクラメンの花芽芽ぶきたり 窓辺に置きて小春日を当つ 健康な病人となり健康な 死に至らむと念じつつ歩む 斃れて後元(はじ)まる宇宙耀(かがよ)ひて そこに浮遊す塵泥(ちりひじ)我は 知らぬこと解らぬことのつぎつぎと 夢にあらわれ死ねぬと思ふ 萎えたるは萎えたるままに美しく歩み納めむこの花道を 先日の7月19日に続いて、今日7月31日も土用の丑の日です。 土用の丑の日が二回ある年、これは実に213年ぶりの事とか。 |

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