|
平成21年9月6日(日)昨日:小沢氏に国会運営一任、議長人事など主導。 民主党の鳩山代表は5日、幹事長に内定した小沢一郎代表代行、官房長官に内定した平野博文役員室担当とそれぞれ党本部で会談し、新政権人事の骨格を固め、7日に党執行部の了承を取ることを決めた。 今後の国会日程などについても調整を行った。一連の政権移行準備については、先行して決める党役員・閣僚に中心的役割を担わせる方針で、16日の首相指名に向けた作業が加速する。 5日に新たに内定したのは、副総理兼国家戦略相に菅直人代表代行(62)、外相に岡田克也幹事長(56)。菅氏は党政調会長を兼務。 第45回衆院選(8月30日)、麻生総裁の敗戦会見 ※ 積年の不満憤懣燃えさかり 火に油注ぎし麻生太郎 鳩山氏はこの後、記者団に対し、小沢氏に「政府のことは私がやる。党務は、幹事長にしっかりやってもらいたい」と伝えたことを明らかにした。国会対応の要となる国会対策委員長と衆院議院運営委員長は、小沢氏が人選し、鳩山氏に報告することとした。 衆院議長や常任委員長の人選も小沢氏が主導するとみられ、新政権は小沢氏が強い影響力を発揮する見通しとなった。入閣が固まっている直嶋正行政調会長のポストをめぐっては、鳩山氏はさらに調整する考えを示した。その他のポストは、社民、国民新両党との連立政権樹立に向けた協議の進展を待って内定する。 ※ 来年の参院選に向けて始動する小沢氏が持つ力量は、そのまま国会運営にも威力を発揮することだろう。「スクラップアンドビルド」ならぬ「ビルドアンドクラッシャー」の異名を持つ小沢氏は、追い詰められた自民をさらに分断すべく、種々の楔を打ち込んでゆくのだろうが、返す刀で民主の内部分裂の火種を作るかも知れぬ人物なのだ。取り扱いに御要慎、御要慎。 この男、凶暴につき … 。 9月6日は、「黒の日」です。 1989年、創立40周年を迎えた京都墨染工業協同組合が制定して、 翌年から実施。伝統染色の黒染めをPRし、黒紋付や黒留袖の普及を図る。 9月6日は、「黒酢の日」です。 9月6日は、「黒豚の日」です。(鹿児島) 9月6日は、クロさん・黒澤 明の命日です。(1998年) ◇ 黒澤 明(1910年3月23日〜1998年9月6日) 多感な中学生時代に、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフなどの作品を読み耽り、人生観、倫理観の形成に多大な影響を受け、その後の脚本構成や映像製作にも大きな影響を受ける。画家を目指した頃もありミケランジェロやダ・ヴィンチなどの絵画彫刻に心酔した。 東宝争議の混乱期を経て、成瀬巳喜男らと映画芸術協会を設立し東宝を退社。1950年に大映で撮影した『羅生門』が、1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞する。続いて、ドストエフスキー原作の『白痴』(1951年)、さらに『生きる』(1952年)を発表。 1954年の『七人の侍』は興行的にも大ヒットし、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど国際的評価を高める。シェイクスピアの『マクベス』を翻案した『蜘蛛巣城』(1957年)、一転して娯楽時代活劇『隠し砦の三悪人』(1958年)を発表後、独立プロ・黒澤プロを設立する。時代劇の傑作『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1962年)、そして、社会派サスペンスの傑作『天国と地獄』(1963年)を立て続けに発表し名監督の名声を確立するに至る。 1968年、日米合作『トラ・トラ・トラ ! 』の総監督を務めることになったが、製作会社の20世紀フォックスとの間で、撮影スケジュール等の問題から激しく衝突し、監督を降板させられる。この“事件”は黒澤に深刻な精神的打撃を与えたと言われ、その2年後に自殺未遂を起こす。折からの映画産業衰退期と重なり、その後の映画制作は困難を極める。 1975年、ソビエト連邦から招かれ(日本ヘラルド映画社がロシア側と交渉して、黒澤を招待するという体裁を作る。)、ごく少数の日本人スタッフだけを連れてソ連に渡り、『デルス・ウザーラ』を製作する。ソ連の官僚体制の中で思うように撮影は進まなかったが、黒澤自身は国賓級の待遇を受けた。当時、「黒沢の意のままにならないのは、天候と河の流れのみ」などとも言われたりした。完成した作品は極めて静的なものであり、国内では興行的に不入りで、一部に酷評も出たが、モスクワ映画祭金賞(これは当然)、アカデミー外国語映画賞を受賞し、ソ連側の期待には十分に応えるものだった。 ※ ロシアの大自然を描く黒沢の確かな手腕、静謐な画面から一転する嵐の凄まじいばかりの迫力。大画面で観た『デルス・ウザーラ』は、全編緊張感に溢れた傑作だった。国内の評価の低さに悲しみを感じ、日本映画界を嘆いたものだった。 当初、主人公の猟師役に三船を起用する方針だったが、スケジュールの都合で叶わず、ロシアの俳優が抜擢された。つくづく、三船でなくて良かったと思える作品です。 ◇ 悠仁さま、3歳のお誕生日、身長は94センチ、体重13.6キロ(2009年) 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁(ひさひと)さまが9月6日、3歳の誕生日を迎えた。宮内庁によると、身長は94センチ、体重13.6キロ。外で活発に遊ぶようになり、食事や着替えが少しずつ自分でできるようになるなど、健やかに成長している。 この半年ほどで話し言葉の表現が豊かになり、地図を見ながら「そこへ電車で行ってみたい」と話したり、電化製品のスイッチを見て「これはどうするものですか」と質問したりするようになった。「これは何でしょうか」「水やりをしますか」といった丁寧な言葉遣いが多く、ご夫妻を「お父さま」「お母さま」と呼んでいる。 三輪車やボール遊び、追いかけっこなどのほか、宮邸で飼っている犬の餌やりが朝夕の日課になっている。秋篠宮さまが植物の世話をする時には、小さな如雨露で水遣りの手伝いをしている。 自分で選んだ絵本を紀子さまと一緒に読んだり、歌を歌ったりする。長女眞子さま、次女佳子さまの学校が休みの時は、お二人とパズルやお絵かきをしているという。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



