今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成21年10月3日(土)本未明:「五輪未開催地域の若者に夢を … 」、リオ!

 「五輪未開催地域の若者に夢を」と訴えた末の勝利に、リオの招致関係者は涙を流しながら抱擁を繰り返した。有力候補のシカゴが1回目の投票で姿を消し、2回目で東京も脱落。逆に劣勢とみられたマドリードが決選投票に進むなど、招致レースは大混戦もよう。

 真っ赤な目のペレ氏が、仲間と抱き合った。涙のルラ大統領が誰彼構わず肩をたたいて感無量の表情を浮かべた。2016年夏季五輪の開催地に選ばれた瞬間、リオデジャネイロ招致委のメンバーたちは、興奮の渦に身を委ねた。 南米初という、決定的要素が躍進の原動力になったリオだが、喜びの記者会見に臨んだヌズマン会長は、「4年前から学んだことが大きかった」と、経験の勝利を強調。 4年前の招致レースでは、候補地を9都市から5都市に絞る段階で落選。ヌズマン会長は「その翌日、ロゲ会長を訪ね、ミーティングをした。多くを学び、あきらめず準備してきたことが、今日に結びついた」と興奮気味に語った。

 社会基盤整備不足が敗因となった反省から、2007年にはパン・アメリカン大会を開催。経験面での欠点を打ち消しての勝利だった。 記者会見中もハンカチで顔を覆い続けたルラ大統領は言った。「これはブラジルだけでなく、南米初の五輪。最高の大会を開くため、明日から働き始める」と涙ながらに語った。

 マドリードは2012年五輪招致に続いて落選。前IOC会長のサマランチ氏が招致演説で、「私はもう89歳。人生が残り少ない」とまで語ったが、実らなかった。コペンハーゲン市内のホテルで開かれた残念会では、ガジャルドン市長が「南米初の五輪を祝福する」とリオデジャネイロに敬意を示した上で、「これが人生。勝ちも負けも認めなければいけない。やるべきことはすべてやった」と語った。 サマランチの影響力は最早なかった。



 2009年10月3日、「新大陸」で五輪開催決定 リオデジャネイロ

 ◇ マドリード苦渋、前IOC会長の影響力低下

 マドリードが五輪招致レースにまたも失敗した。頼みの綱、スペイン人のサマランチ前IOC会長の影響力低下が大きな原因とみる関係者も多い。 サマランチ氏は、1980年から2001年まで会長を務めた。商業主義路線で多額の放送権料とスポンサーマネーを呼び込むことに成功し、「IOCの黄金期?」を実現した。1998年冬季五輪の招致競争では、長野を支持し票を取りまとめたことでも知られている。

 マドリードは4年前の立候補では、ロンドン、パリ、ニューヨークといった強豪を相手に健闘し、前会長の功績をたたえる委員を中心に、根強い支持を得ていることを証明した。しかし今回は、マドリードに対するIOC委員の評価は低かった。 89歳の前会長は30日、IOC本部ホテルのロビーでかつてのような鋭い眼光をたたえることもなく、終始穏やかなほほ笑みを浮かべる好好爺だった。「わたしはもうずっと前に引退した身だから」と話し、数人の旧友との会話を楽しむと、疲れたように小さくなった体をソファに沈めて、目を閉じた。

 かつての側近は、「引退して既に8年だ。影響力が失われるのは当然」と語り、オセアニアの委員の一人は「彼にはIOC委員にしてもらったが、だからといって忠誠を誓うことはない」ときっぱりと話した。


 ◇ 五輪招致、石原都知事は「必ず勝てる」(10月2日)

 環境などを重視する東京の計画を売り込むため、鳩山由紀夫首相もスピーチするほか、オバマ米大統領夫妻やブラジルのルラ大統領ら各国の首脳もプレゼンテーションに臨み、接戦の招致レースは最終盤を迎える。 石原慎太郎知事は1日、「なぜ東京なのか」をテーマに記者会見を開催。ほとんどの競技場を選手村から半径8キロの近さに収めたコンパクトな計画を強調し、「選手のために一番都合の良い条件を東京こそがつくったと自負している。冷静に評価するならば、東京は必ず勝てると思っている」と意気込みを話した。

 ※ 最大の勝利者はIOCだった。米国大統領がプレゼン … 、初めての事だった。IOCの権威を見せつけるシーンとなった。日本も遅まきながら、首相の「参戦」を決めたが後手を踏んだツケを回復することは出来なかった。


 ◇ 商業主義化への転換点、ロサンゼルスオリンピック (1984年)

 開催国が、国の威信をかけて過去最大の参加国数、参加者数を更新することが徒に繰り返され、回を追うごとに肥大化されていき、かさむばかりの費用負担を開催国の重荷になりつつあった。1976年モントリオール五輪では、オイルショックの影響もあり、当初予算の3億2000万ドルを約10億ドルもオーバーした。そのツケは、20世紀末まで高い税金を支払う形でモントリオール市民に回された。 1978年、第23回大会(1984年)開催地決定の際に、立候補したのはロサンゼルスだけだった。しかも、「カリフォルニア州政府は1セントも出さない」という条例さえ作られた。


 ◇ 「ミスターアマチュアリズム」ブランデージ精神の終焉

 スポーツを手段として何らかの報酬をもらうことは、アマチュアとしては厳に禁じられていた。アマチュアこそが尊いものとして考えられ、オリンピック精神といえば、アマチュアリズムと同義語とされていた。 第5代IOCの会長のアベリー・ブランデージ氏は、1952年〜1972年の20年間の長きに渡り君臨したが、「ミスターアマチュアリズム」の称号を与えられた。しかし、1974年にはオリンピック憲章から「アマチュア」の言葉が削除される。


 ◇ 「ミスタービジネス?」サマランチ精神の台頭

 1980年、第7代IOC会長にサマランチが就任する。そして、オリンピックは一挙に変容した。彼はオリンピックを、世界ナンバーワンのアスリートを決定する大会と位置づけ、アマ、プロを問わず最強の選手にチャンスを与えるとともに、オリンピックに商業主義を持ち込んだ。同時に、IOC委員にも商業主義の悪弊を呼び込んだ。かくて、ロス五輪は1984年に幕を開けた。オリンピックは、「お荷物」から「ビジネスチャンス」へと変った。オフィシャルスポンサー、オフィシャルサプライヤー、なんたらかんたら … 、あらゆることが金に直結していった。同時に参加国も、自国をアピールすることに熱中する。オリンピックは、商業主義とナショナリズムとにまみれてゆく。そこにはもはや、クーベルタンの理念は存在しない。

 ※ 今回4都市の中で、地元支持率の最も低かった(55.5%)東京都民は、今度の結果に大方満足しているのだろう。確かに1964年の東京五輪は、国民が大いに盛り上がったし、経済効果もめざましかった。だが、21世紀の今日、五輪が起爆剤になる効果の程は、小さくて一過性のものに過ぎないだろう。反して、周辺の利権構造は肥大化するばかりだ。 五輪はブランデージ氏と共に、1975年に葬られた、それでいいではないか。過大な妄想を五輪に抱く、そんな時代ではないのだから。


 ◇ 祥福寺毎歳忌当日に、生駒道顕老師が御遷化(2009年)

 美濃・清泰寺住職の生駒道顕老師が10月3日の朝に御遷化された。


 【参照】10月3日、円覚寺開山国師毎歳忌
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37088314.html

 【参照】10月3日、山廬忌(蛇笏忌)(1962年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/44869142.html

 【参照】10月3日、スケート連盟元会長を逮捕(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/20923794.html

 【参照】10月3日、中日ゲーム差3のまま、M6(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/20947009.html


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