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平成21年10月15日(木)昨日:おこちゃまモリケン知事の破顔大笑。 前原国土交通相は14日、千葉県の森田健作知事と会談し、その後、記者団に「成田空港の(国際線の)中心的位置付けは変わらない」と述べた。 13日に「ハブ(国際的な拠点空港)になり得るのは、まず羽田だ」と発言し、千葉県など成田空港の地元自治体から強い反発を浴びたことから、修正を図ったものだ。 前原国交相は14日も羽田を「24時間国際空港」にすると繰り返したものの、「ハブ空港」との明確な表現を避けた。ただ、「(両空港で)一体的に国際線を受け入れていかないといけない」と強調した。根拠として、首都圏の発着需要が2030年に94万回に増えるのに対し、成田、羽田の現行の拡張計画では71万回しか賄えないとの試算を挙げている。 一方、森田知事は会談後、「国内線は羽田、国際線は成田という原則を確認した」と説明したが、国交相は明言を避けました。 『 波浮の港 』 吉永小百合 作詞:野口雨情 作曲:中山晋平 ※ 国破れて成田在り、では国益に叶わない。だが、地元民の憤懣も分かる。 成田にしろ、八ツ場ダムにしろ、原発にしろ、地元の勢力を分断させることを 戦略の第一歩とする。賛成派 vs 反対派が共に死に物狂いの闘争を長年に渡り 展開して疲弊した頃に、落としどころの妥協案を放り込む。えげつない … 。 10月15日は、マタ・ハリ忌です。(1917年) ◇ マタ・ハリ(1876年〜1917年) パリを中心に活躍したマレー系オランダ人のダンサーで、高級娼婦とも言われる。異国情緒に富む肉感的踊りで一躍スターダムに駆け上がる。第一次世界大戦中にスパイ容疑(ドイツ側)で逮捕され、有罪判決を受けてフランスで処刑された。本名はマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ(Margaretha Geertruida Zelle)。マタ・ハリの名は、女スパイの代名詞ともなった。 近年、生地オランダと処刑地フランスで、「マタハリは仏政権に濡れ衣を着せられた」として名誉回復を探る動きが出ています。(2005年4月記事) オランダの都市・レーワルデンにてオランダ人ビジネスマンの父と、ジャワ系の祖先をもつ母の間に生まれた。 教師になろうとして失敗。その後、新聞広告に掲載された結婚相手募集により結婚し、二児を設けるも離婚。その後、20世紀初頭にパリに移り住む。ジャワ島からやって来た踊り巫女あるいは王女という触れ込みでダンサーとなり、「オリエンタル・スタイル」の舞踊を演じた。芸名の「マタ・ハリ」は「太陽」あるいは「日の眼」を意味するムラユ語(マレー語またはインドネシア語)。彼女はまた、多くの高級士官あるいは政治家を相手とする高級娼婦でもあった。 マタ・ハリことマルガレータは、数知れないほどのフランス軍将校、あるいはドイツ軍将校とベッドを共にし、国際的な陰謀の道具となっていったと言われる。もっともマタ・ハリの諜報活動が、どの程度のものであったかについては、歴史家も明らかにできていない。 1917年、彼女はフランスにおいて二重スパイとして第一次世界大戦で多くのドイツ人、およびフランス人将兵を死に至らしめたとの容疑で起訴された。それは、ドイツの在スペイン駐在武官がマタ・ハリを暗号名 H-21 なるドイツのスパイとする通信が、フランス側によって解読されたことによるものだった。当時、戦況はフランスにとって不利であり、フランスの政府にとって全ての軍事上の失敗をマタ・ハリの責めに帰することは大変好都合だった。(輸送船がUボートに沈められたのも彼女の諜報活動のせいにされた。) 彼女は有罪とされ、サンラザール刑務所にて10月15日、狙撃隊によって銃殺刑に処せられた。マタ・ハリは、フランス軍およびドイツ軍にとって非常に低レベルでの諜報要員だったのは確かだろうが、彼女が独仏どちらかの陣営に対して、価値のある情報をもたらした証拠は何一つないようだ。 |

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私は、「マタ・ハリ」という名を聞くと、小学生の頃、告げ口をしたり、自分だけ良い子である子に、皆,マタ・ハリだと言っていました。親たちが話していたのを聞いていたのでしょうが、当時は戦時中のこと、情報に触れるような事は喋るなという戒めだったのでしょうね。
2009/10/16(金) 午前 3:49 [ kaz*_51** ]