今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成21年10月25日(日)昨日:セ・パ両リーグ、共にCSの幕切れ。

 ◇ 名将野村、CS第2ステージ第4戦で終焉
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 東北楽天ゴールデンイーグルスは24日、札幌ドームで行われたCS第2ステージ第4戦で、日本ハムに4―9で敗れ、日本シリーズ進出はならなかった。これで今季の戦いを終え、退任する野村克也監督の最後の試合となった。球場には就任4年でチームの力を高めた名将をたたえる「野村コール」がこだまし、地元・仙台でも労をねぎらう声が上がった。

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 右翼席の東北楽天ファンにナインが挨拶を済ませた時、野村監督の元に、ヤクルト時代の教え子、日本ハムの吉井理人投手コーチ、稲葉篤紀外野手らが駆け寄った。東北楽天ナインに日本ハムの選手が加わり監督を取り囲む。背番号19が5度、宙に舞った。ベンチへ戻る際には、球場全体に「ノムラ、ノムラ」と、別れを惜しむコールが何度も沸き起こった。

 2005年の新規参入初年に97敗したチームを託されてから4年。この日が574試合目だった。今季はレギュラーシーズンで初のAクラスとなる2位に躍進、CS第1ステージを突破した。4年間で一番印象に残っていることを問われ、「今年がすべて。2位を決めてCS地元開催の権利を取った試合。第2ステージ進出を決めた試合。あそこでしょう … 」。 「仙台でどうしても日本シリーズをやりたい夢があった。果たせないのは残念。仙台のファンの人、ごめんなさいね … 」。声がわずかに震えたようだった。 「わがままを言わせてもらえば、もう1年やりたかった。石の上にも三年、風雪五年。中途半端でやめていくのは心残り」と未練も洩らした。「晴れ晴れとした気持ちはない」とも … 。

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 ◇ 原監督「全員が100点」
  <巨人8−2中日>(10月24日、東京ドーム、CS第2ステージ第4戦)

 巨人は中日を8−2で下し、クライマックスシリーズ第2ステージを4勝1敗(アドバンテージの1勝を含む)で突破。2年連続32度目の日本シリーズ進出を決めた。パ・リーグは日本ハムが楽天を9−4で下し、同じく4勝1敗で2年ぶり5度目の進出。巨人は7年ぶり、日本ハムは3年ぶりの日本一をかけた日本シリーズが、31日に札幌ドームで開幕する。

 メンタル面での格差歴然

 レギュラーシーズンで12ゲーム差をつけ、16勝8敗と圧倒した中日に勝って当然。まさに、そう思えるCSの4試合だった。中日は緒戦を小笠原の粘投で、理想的な勝ちを納めたのに、その後は3連敗を喫した。これは、シーズン中に同一カード3連敗を4度も喫した力の差を、まざまざと追体験させられるものだった。先発したチェン、吉見、中田の精神面の脆さは、一向に改善されないようだ。4番ブランコの、ボール球を無理に打ちにゆく姿にも目を覆った。彼にはストライクは必要なかった。焦りがミスに直結する脆弱性を克服しない限り、原ジャイアンツには勝てないだろう。

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 原監督にとって、中日は絶対に倒さなければならない相手だった。WBCの日本代表監督に就任した原監督は、中日の岩瀬、森野、高橋、浅尾、和田の5選手を代表候補に要請したが、全員に辞退された。球界の盛り上がりに背を向ける行為に指揮官は、「スポーツの原点から外れた閉塞感のようなものには違和感を覚える」と嘆いた。そして、WBCで金メダルを獲得して凱旋すると、ナインに宣言した、「ここ数年、ライバルは阪神だった。今年は違う。中日だ」。 巨人と日本ハムとの日本シリーズは、原監督が新人だった1981年の「後楽園決戦」以来28年ぶり。本拠地も変わった今、7年ぶりの頂点を目指して札幌に乗り込む。



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 10月25日は、民間航空記念日です。

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 1951年(昭和26年)10月25日、戦後最初の民間航空として誕生した日本航空
 JALの一番機「もく星号」が、東京〜大阪〜福岡間の運航を開始した。

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 日本航空 http://www.jal.co.jp


 ◇ もく星号墜落事故(1952年4月9日)
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 1952年4月9日、日本航空機(ノースウエスト航空が委託運航)のもく星号が墜落した。墜落現場は伊豆大島の三原山山腹。乗客34名、乗員3名全員が死亡したが、原因は不明で終始した。

 当時はフライトレコーダーやボイスレコーダーが装備されていなかった上、当時の航空管制や事故捜査は連合国軍(実質的には在日米軍)の統制下にあったため、墜落事件の詳細は今もって不明。推測される墜落原因としては、アメリカ人パイロットによる操縦ミス説や、当時同区域の管制を行なっていた米軍の管制ミス説がある。後には、機長を空港まで送ったタクシー運転手による証言から、機長飲酒説も挙げられたが、最終的に墜落原因は特定されないまま捜査は終了した。

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 松本清張の“推理”による「1952年日航機『撃墜』事件」

 松本清張は、この事件を題材にした「1952年日航機『撃墜』事件」や「風の息」などの著書で、墜落原因として「米軍機による撃墜が行われた」という説を主張。ただ、この説に対する具体的な証拠も全く提示されていなかったことから、これを真剣に受け入れる関係者はいなかった。

 ※ 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効して、「占領国日本」は「独立国日本」に復帰した。この時、形の上では日本の主権が回復された。しかし、米国の強い影響力は、その後も永く続いています。



 1944年10月25日、レイテ沖海戦で神風特攻隊が初めて出撃する。
 米艦に体当たり攻撃を挙行。以降、軍部は特攻作戦に比重を置く。



 ◇ 菊池雄星が日本球団希望を表明(2009年10月25日)

 米大リーグ挑戦か、日本のプロ球団入りかで卒業後の進路が注目されていた高校球界ナンバーワン左腕の岩手・花巻東の菊池雄星投手(18)は25日、花巻市内の同校で記者会見し、日本の球団でプレーしたいとの希望を表明した。菊池は29日のドラフト会議で複数球団からの1位指名が確実視される。 佐々木洋監督(34)とともに会見に臨んだ菊池は「本当に迷って、昨日決めた。日本でプレーさせていただきたい。高校の時も日本一を目指して、あと一歩届かなかったので、もう一度日本一を狙いたい。まだまだ自分のレベルでは世界で通用しないと思った。もし指名されれば、その球団で全力を尽くしたい」と決意を口にし、12球団OKの姿勢を示した。

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 菊池は今月5日にプロ入りに際し必要な「プロ野球志望届」を日本高校野球連盟に提出。16日から20日にかけて日本のプロ12球団、さらにドジャースなど米大リーグ8球団と面談し、育成方法などを聞いて進路選択の判断材料にしていた。 今春の選抜高校大会で花巻東の準優勝に貢献した菊池は、4強入りした今夏の全国選手権大会で、左腕投手として甲子園大会最速とされる154キロをマーク。複数のメジャー球団も獲得に動き、ドラフト会議に向けて日本球団の多くが1位指名候補に挙げている。


 【参照】10月25日、島原の乱(1637年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/22373859.html

 【参照】10月25日、千乃裕子忌(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/45224070.html

 【参照】Wシリーズ第1戦 <Rソックス - ロッキーズ>(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37673820.html

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