今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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中里篤史投手が戦力外

 ◇ 中里篤史投手らが戦力外 中日(2009年11月2日)

 中日は2日、中里篤史投手(27)、中村公治外野手(28)、小川将俊捕手(30)、佐藤亮太投手(26)、菊地正法投手(25)、樋口賢投手(19)の6選手に戦力外通告したと発表。 中里は春日部共栄高(埼玉)から2001年にドラフト1位で入団したが、右肩の故障に苦しみ通算32試合の登板で2勝2敗だった。


 中里篤史(2001〜2005年)

 ※ 2001.9.16 鮮烈のデビュー戦、そして暗転。2006年は …


 ◇ 不熟のままに終わった? 「大器」

 全球団から熱い視線を集めた将来の「大器」中里は、中日で殆ど成果を残すことなく去ることになった。自身の不注意から階段で右肩を故障した2001年オフ以来、故障との戦いに終始した感が否めない。かつての今中のように、しなやかなフォームから繰り出す伸びのあるストレートが魅力であり、野手としても福留を超えるとも評された逸材であった。

 埼玉県春日部共栄高校出身。入学当時、1メートル82の長身で体重60キロと華奢な体格だった。その素質を見抜いた本多監督は、中里をつきっきりで指導した。中里の目標は西武の松坂、体もひと回り大きくなり、1メートル83、73キロになった。自己最速147キロを誇る右腕は、2000年秋のドラフトで1位指名され、中日ドラゴンズに入団する。(高校時代の中里は結局、甲子園経験を果せなかった。)

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 2001年、星野仙一監督の下、中里のルーキーイヤーが始まった。奇しくもこの年に、川崎憲次郎投手がFAで中日に入団していたが、彼もまた故障のために中日では殆ど仕事をせずに終わった。(複数年契約による多額の報酬を得たままに … ) 当時の川崎の談話として、「出会いは覚えてますよ、鮮烈だったからね。とにかくボールがうなりをあげていた。入ったばかりの高校生だと聞いて二度驚いた」との感想がある。2軍で7勝1敗、防御率 2.90、フレッシュオールスターにも出場した。

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 1軍初登場は2001年9月16日、ナゴヤドーム(中里19歳)。対巨人戦に先発して5回3失点、最速151キロをマークした。しなる右腕とホップするストレートが一躍脚光をあび、後に伝説的語り草となる。だが、9月23日の対阪神戦での先発は4回5失点だった。この年の1軍登板はこの2試合で終わった(捕手は中村武志だった)。打撃の方では、2試合ともタイムリーを放っている。

 ※ 2001年オフの故障時には、球団関係者から非公式に打者転向の打診を複数回受けるも、本人は投手にこだわった。中日のヘッド兼打撃コーチを務めたことがある佐々木恭介氏は、「中里の野手としての素質は福留以上」と、野手としての中里に惚れこんでいたのだが … 。


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 ◇ 2002年2月の沖縄キャンプで右肩脱臼(20歳)

 山田久志新監督(新正捕手・谷繁元信)の下、沖縄・読谷での春季キャンプでの出来事だった。宿舎2階でのミーティング後、1階ロビーに下りる急な階段で足を踏み外す。奇しくも川崎憲次郎の目の前の事故だった。 川崎、「足を踏み外したのが、ボクの目の前だったんですよ。大丈夫かよ、って思ったけど、大丈夫じゃなかった」。 咄嗟に手すりを掴み、腕が後方にねじられる形で右肩脱臼した。急遽、名古屋に戻って精密検査の結果、「右肩関節唇および関節包の損傷」で、全治3ヶ月以上との診断だったが、3ヶ月どころか3年以上も躓いてしまう破目に … 。 さらに、2003年の秋には、再び脱臼してしまう。

 2003年オフに落合博満新監督が就任する。それに伴い中里の背番号は70番に降格された。だが、秋季キャンプでの中里のブルペン入りを見て、森繁和・新投手コーチは「確かにすごい」と驚く。中里は、25%ダウンの600万円で契約更改する。 11月、リハビリの水泳中、背泳ぎで肩に違和感発生。 「右肩が抜けた感じがした。前回と同じ個所だと思う。前回と違い手は動くが、肩を動かすと痛い」、「練習後は大体、リハビリも兼ね疲れをとるためにプールやジャグジーを利用してきたけど、何の前触れもなく突然のことだった」。 トレーナーは「言い方によっては亜脱臼と言えなくもない。まったく動かないわけじゃないし、本人も神経質になってる部分もあるからそれほど心配はいらない。定期検診も兼ね名古屋に帰した」と言う。

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 2004年、落合政権元年は6月の対巨人戦で、札幌3連戦3連勝で首位に立ち、そのまま優勝を決める。そのオフに、森繁和・投手コーチは「このキャンプでそれなりの覚悟を見せてもらいたい。ダメなら辞めてもらう」「オレは去年、あいつのすごさを見てるからな」と、中里に覚悟を迫る。結局、100万円ダウンで全選手中最低額の500万円で契約更改する。 「仕方ないです。野球をやってないんですから。どんな条件だろうとサインしようと最初から決めてました」「もう3年ですから。自分でも最後と分かっています。がむしゃらにやるしかない」 「まずは試合に出られるように。その次は1軍へ。ひとつずつクリアして、来年は完全復活を目指します」「来年投げられないなら、やめるつもりで頑張りたい」「来年中には登板しないとクビになりますから … 」、中里の焦燥感も年毎に深まっていった。

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 2006年8月3日、今季一軍初昇格。横浜スタジアムで九回、川上憲伸の後を受けての初登板。しかし、2四球与えて岩瀬に交代と、散々だった。その後の1ヶ月、中継ぎで登板を重ねる。

 2007年5月29日、ウエスタン・リーグのサーパス戦(ナゴヤ球場)で先発。プロ入り最長の8イニングを投げて6安打6奪三振1失点に抑えた。速球は Max145キロだったが、多彩な変化球を披露した。「あそこまでいけば完投したかったけど、七回に自分のせいで同点とされたので仕方ないですね」。同点だった八回に代打を送られ降板した。

 6月15日、ウエスタン・サーパス戦で先発。6イニング1/3を投げ、4安打2失点に抑えたが、先頭打者を四球で四度出塁させるなど課題を残した。中日スポーツの「昇竜館日記」には、「7回途中まで4安打2失点。好投したような数字だか、4球も5つ。ストライク、ボールがはっきりし過ぎているのが気になる。今年は1軍で活躍すると期待していたのに、なかなか状態が上向かず見ていてもどかしい」と、堂上館長のコメントが載る。

 6月23日、ウエスタン・ソフトバンク戦(ナゴヤ球場)で先発。9イニングを投げ、3安打4四死球、6奪三振の無失点に抑える好投。今季8試合目の先発でプロ入り初完投初完封。プロ入り最長の9イニング目に入っても速球の威力は衰えなかった。「真っすぐが久々にいい感じでした。疲れはありましたけど、最後は気持ちでいきました。初めての完投が完封なんでうれしいです。すべてが収穫です」。
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 ※ 相撲の話で恐縮だが、かつて千代の富士も脱臼癖に悩んだ。彼は驚異的な回数の腕立て伏せを毎日続け、それを克服した。中里は、基礎体力をつける前に大怪我をしてしまった。大事に育ててゆけば、必ずや球界の宝となったものを、なんとも残念でならない。


 ◇ 巨人が元中日・中里獲得を検討(2009年11月8日)

 日本一奪回を果たした巨人は、リーグ4連覇を目指す来季へ向けても着々と進めている。その第一弾として、中日を戦力外になった中里篤史投手の獲得へ向けて検討していることが7日、分かった。 プロ1年目の2001年に、150キロを超える剛速球で華々しくデビューした中里。しかし2年目の春のキャンプで右肩を脱臼してから苦労の連続。近年は成績を残せず、ついに中日を戦力外となってしまった。だが、まだ27歳と若く、巨人としても再生は十分可能と考えて注目したようだ。 中里は埼玉・春日部共栄高の出身。もし入団となれば、ゆかりのある関東地方で、出直しをはかることになる。巨人としてはさらに調査をした上で、近日中に最終判断を下す。

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