今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成21年11月6日(金)昨夜:巨人サヨナラで投手戦制す、日本一に王手。

 日本シリーズ第5戦(日本ハム−巨人)は5日、東京ドームで行われ、投手戦となったが、1点を追う巨人が九回、亀井と阿部に本塁打が飛び出し3−2でサヨナラ勝ち。これで巨人の3勝2敗となり、日本一に王手をかけた。第6戦は7日、札幌ドームで行われる。

 先制したのは日本ハム。二回2死一、三塁で藤井が放った強烈な当たりを巨人のサード小笠原がはじいてしまい1点を挙げた。その後は日本ハム・藤井、巨人・ゴンザレスの投げ合いとなったが、巨人は八回、この回から登板した二番手の建山と林を攻め、代打大道が右前適時打を放ち同点に追いついた。 日本ハムは九回、高橋が巨人・二番手山口からソロ本塁打を放ち勝ち越したが、その裏、抑えの武田久が二発を浴びサヨナラを喫した。

 ※ このまま東京ドームで第6戦ならば、間違いなく巨人は日本一なのだが、北海道へ移動して、流れも移動するなんてことになれば、我々は第7戦まで楽しめますね。稀に見る、レベルの高い日本シリーズなので、野球ファンを、とことん楽しませて欲しいものだ。



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 11月6日は、本田美奈子.の命日です。

 ◇ 本田美奈子.(1967年〜2005年)(名前の終りにドットが付く)

 本名は工藤美奈子。1980年代後半を代表するアイドル歌手であり、1990年代以降はミュージカルで活躍。2000年代に入ってからはクラシックとのクロスオーバーに挑戦した。

 高校2年の1984年9月、第8回長崎歌謡祭に本名で出場、「夢少女」(作詞:深田尚美、作曲:安格斯)を歌ってグランプリを受賞。レコードデビューのきっかけとなる。1985年4月20日、東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビュー。その後、「Temptation(誘惑)」をヒットさせたほか、12月7日には新人歌手として異例の武道館コンサートを成功させた。また、同年の数多くの新人賞を受賞した。

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 1986年2月、「1986年のマリリン」をリリースし大ヒット。1988年、女性だけのメンバーによるロックバンド “MINAKO with WILD CATS”を結成、シングル「あなたと、熱帯」、アルバム『WILD CATS』などを発表したが、1989年秋に解散。

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  ミュージカルでの活躍

 1990年、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約15,000人の中からヒロインのキム役に選ばれる。1992年5月5日、『ミス・サイゴン』日本初演。以来、1年半のロングランをこなし、その歌唱力、演技力を高く評価された。1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞する。 1994年、『屋根の上のバイオリン弾き』にホーデル役で出演。

 9月24日にアルバム『JUNCTION』を、1995年6月にはアルバム『晴れ ときどき くもり』をリリース、レコーディング・アーティストとしても復活を果たす。

 1996年、『王様と私』にタプチム役で出演。 1997年、『レ・ミゼラブル』にエポニーヌ役で出演。 日本初演の際にこの役を演じた島田歌穂が既に「世界一のエポニーヌ」と称されるほどの評判を得ていたが、本田もそれに劣らぬ評価と人気を獲得した。以後も繰り返しこの役で出演し、エポニーヌは本田の当たり役となった。

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 1998年、エイズチャリティーコンサートで「ある晴れた日に」を歌い、2000年3月、サリン事件チャリティーコンサートでは、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」を歌った。同年6月19日、シドニーオリンピックを記念して開かれたシドニーのオペラハウスでの日豪親善コンサートに、服部克久の推薦により出演し、「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」や「ある晴れた日に」を歌うなど、次第にクラシックへの志向を強めてゆく。 2000年10月13日、デビュー15周年記念コンサート『歌革命』を開催、自身のシングル・メドレーのほか「天城越え」や「ある晴れた日に」などを歌う。2002年、『ひめゆり』にキミ役で出演。日本で制作されたミュージカルへの初の出演となる。

 2004年、地球ゴージャス制作のミュージカル『クラウディア』で、ヒロインのクラウディア役を初演。 同年11月、アルバム『時』をリリース。 12月1日、武道館での『Act Against AIDS』に出演、38度を越える発熱をおして「ジュピター」と「1986年のマリリン」を歌ったが、この頃から病気の兆候が表れていた。

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 2005年1月に検査を受けたところ、急性骨髄性白血病と診断され緊急入院する。3回の化学療法による治療の後、5月に臍帯血移植を受け、7月末には一時退院できるまでに回復した。しかし、1ヶ月後に染色体異常が見つかり9月7日に再入院。10月には再び一時退院したものの、同月21日に染色体異常が発見され、3度目の入院となった。 そして11月3日に肺に合併症を発し容態が急変。11月6日午前4時38分、家族らの見守る中、息を引き取る。 38年と3ヶ月の生涯だった。法名は「釋 優聲(ゆうしょう)」。

  歌に捧げた人生

 デビュー当初、「二十歳までに結婚したい」と語っていたこともあるが、実際には生涯独身だった。本田に妹のようにかわいがられていた高杉敬二(元・ボンド企画社長)の娘・河村和奈は、「私は歌と結婚したから今生では結婚できないの」とうれしそうに話していたと述懐する。

 舞台には歌の神様がいると話し、いつも出番の前には舞台の天井を見上げて祈りを捧げていた。2004年12月22日のクリスマス・コンサートでは、めずらしく舞台裏の様子を撮影することを許可していた。写真家の原田京子は誰もいない開演前の舞台で、天井に両手を差し伸べて祈る本田の姿をとらえている。

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 本田の入院中に、恩師と慕う岩谷時子が路上で転倒し大腿骨を骨折する事故があった。岩谷は本田と同じ病院に運び込まれる。無菌室から出ることができなかった本田は、岩谷を励ますため、病室でア・カペラをボイスレコーダーに録音して、岩谷の病室に届けていた。この録音は全部で三十数曲に上った。この間の経緯は、2008年のNHK特集番組、及び同年出版の書籍でも紹介され、一部の音源は、CDとして発売された。

 38歳の誕生日の前日に一時退院を許された際、世話になった医師や看護師のためにナースステーションで、「アメイジング・グレイス」を歌った。この歌唱に涙ぐんで聴き入る看護師の姿をとらえた写真は『天使になった歌姫・本田美奈子.』や『本田美奈子. 最期のボイスレター』で紹介された。 再入院後のある日、見舞いに来た知人がたまたま誕生日だったので居合わせた一同で「ハッピーバースデートゥーユー」を歌った。これが本田の歌った最後の歌となった。

 小さな幸せ・時

 「小さな幸せ」は、晩年の本田が好んで用いていた言葉であり、この言葉をタイトルにした手記も残している。日々の生活の中で、当り前のようにそこにある小さな幸せに気づくことが大切だと、くり返し述べている。発病後、一時退院を許されていた時に、高杉と家の近くを散歩していて、蒸し暑さに不平を言う高杉に、風を感じる幸せを教え諭したというエピソードも伝えられている。

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 最後のオリジナル曲となった「時 - forever for ever -」は、本田が岩谷に名前の一字をとって「時」というタイトルの詞を書いて欲しい、と依頼して生まれたものであり、この歌はアルバムのタイトルトラックとなった。このアルバムに収められたドヴォルザークの交響曲に自ら詞をつけた「新世界」や、本田の書き残した言葉を元に作られた追悼曲の「wish」も、「時」を主題とした歌と見られる。


 【参照】11月6日、馬琴忌(1848年)&戸塚ヨットスクール
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/23132430.html

 【参照】11月6日、年金週間
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37968829.html

 【参照】11月6日、お見合い記念日(1947年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/45424403.html

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11月6日は、「(1986年の)マリリン忌」と例えば、名付けたい。誰かご賛同頂けないか?

2012/10/17(水) 午前 0:41 [ Beano ]


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