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平成21年11月21日(土)昨日:衆院選直後、機密費2億5千万円支出。 歴代内閣が使途を明らかにしていない官房機密費について、平野官房長官は20日、2004年度以降の国庫からの月別支出額を公表した。 毎年度4月に2億円が支出され、その後は月1億円程度が支出されていたが、今年は衆院選2日後の9月1日、当時の麻生内閣の官房長官だった河村建夫・衆院議員が2億5000万円を請求して支出を受けていた。政権交代が決まった直後、なぜ突出した額の機密費を引き出したのか、議論を呼ぶものとみられる。 平野官房長官は、情報公開法で保存が義務付けられている過去5年分の記録のうち、月別支出額は過去の開示請求でも開示しているとして公表した。 2008年度までの5年間、小泉、安倍、福田内閣の歴代官房長官は毎年4月になると、2回に分けて計2億円を請求して支出を受けている以外、5月から翌年2月まで月1回、ほぼ1億円ずつ支出を受けていた。年度末の3月は請求がなく、年間の支出額は約11億9500万円〜約12億3000万円だった。 今年度も麻生内閣では、4月から8月までは例年通りの支出だったが、8月30日の衆院選で民主党が圧勝した2日後、河村前官房長官から2億5000万円の請求があり、全額が支出されていた。 これについて、河村前長官の事務所は、前長官が「私の判断。使途についてはこれまでも非開示で現政権にいない者として説明する立場にない。引き継ぎはきちんとやらせていただいた」と話していることを明らかにした。 一方、平野長官はこの日の記者会見で、河村前長官から官房機密費に関する引き継ぎを受けた後、金庫の中には、現金が全く残っていなかったとした上で、「前政権の官房長官が必要に応じて支出された。国民目線からおかしいと言っても、私の立場でコメントするのは差し控えたい」と話した。使途の公開の是非などについては今後1年間かけて検証する考えを改めて示した。 【官房機密費】:正式な名称は内閣官房報償費。支出について法的な根拠はなく、歴代内閣は政府答弁で「国の事務や事業を円滑に遂行するため、機動的に使用する経費」と説明してきた。使途の公表や領収書を提出する義務はない。外務省の機密費流用事件をきっかけに、2002年度予算で前年を10%下回る14億6165万円に減額されて以来、毎年度同額が計上されている。官房長官に一任されている金額は12億3021万円で、残りは内閣情報調査室の費用に充てられる。 11月21日は、石田波郷忌です。(1969年) ◇ 石田波郷(はきょう、1913年〜1969年)(本名は哲大〔てつお〕) 子規、虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県温泉郡垣生村(はぶむら)(現・松山市西垣生)に生まれた。明治大学文芸科中退。戦後の俳壇を先導し、俳壇に大きな功績を残した。伝記や句集を編んだ俳人の友人に、村山古郷や楠本憲吉らがいる。 本格的に句作を始めたのは県立松山中学(現・松山東高校)4年の時で、同級生の中富正三(後の俳優・大友柳太朗)に勧められたことによる。俳号は「山眠」、「二良」とつけた。ちなみに中富は「如煙」、「悠々」と号した。中学5年の頃、同級生と「木耳(きくらげ)会」を起こす。同村の村上霽月主宰の今出(いまづ)吟社に出入りし、句作に励む。 松山中学を卒業した波郷は、自宅で農業を手伝いながら近くに住む俳人、五十崎古郷(いかざきこきょう)に指導を受けた。「波郷」という俳号は古郷による命名。 水原秋桜子の指導を受けたことのある古郷の勧めで、秋桜子主宰の『馬酔木(あしび)』に投句を始める。 高屋窓秋らとともに流麗清新な抒情俳句に新風を開き、水原秋桜子門の代表的俳人となった。1932年2月、単身上京。5月頃、東京市経営の深川一泊所に勤務。10月頃、秋桜子の下で『馬酔木』の事務を、後に編集を担当するようになる。石橋竹秋子、牛山一庭人らと親しく交わり、俳句以外の文芸の世界にも目を開く。 1934年4月、明治大学に入学。1935年11月、第1句集『石田波郷句集』を刊行。1936年3月、大学を中退し、久保田万太郎を慕って句作に専念する。同年9月、馬酔木新人会『馬』の創刊。同人として加わる。1937年9月、『馬』と『樹氷林』を合併し、句誌『鶴』を創刊、主宰となる。波郷24歳であった。秋桜子は波郷の句を「昭和時代を代表する秀句」と絶賛。1939年8月、『鶴の眼』を上梓。新興無季俳句運動の素材的・散文的傾向に同調せず、韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り、中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。 波郷は戦後から以降、手術と入退院を繰り返しながら、生をかみしめ自分を見つめる数々の秀句を詠んだ。1946年1月、妻子を伴って上京、葛西(江戸川区)の義兄・吉田勲司(本名:吉田登一)宅に仮寓する。同年3月10日、江東区北砂町1−805に転居。9月、綜合雑誌『現代俳句』を創刊。1947年11月には現代俳句協会の創立など、俳壇の再建に尽力する一方、焦土俳句を経て、1950年6月に刊行された『惜命(しゃくみょう)』は、子規を先駆とする闘病俳句の最高傑作と位置付けられている。 「俳句は生活そのもの」とする波郷は、『ホトトギス』の「花鳥諷詠」に対する「人間探求」俳句を深化させることに精魂を傾けた。その後、病苦を乗り越え人生の日々を静かに凝視する句境を詠み続けたが、肺結核で病没した。 ◇ 石田波郷記念館 波郷直筆15句 初公開(2006年11月20日) 終戦直後から江東区に10年以上住み続け、「昭和の松尾芭蕉」とも評されている俳人の石田波郷(はきょう)(1913〜1969年)が、直筆で和紙につづった俳句作品15点が初めて、区砂町文化センター(北砂5)で公開された。掛け軸に表装しないままの書画「まくり」と言われるもので、同センターは「遺族から提供された貴重な作品。じっくりと見て欲しい」と話している。 石田は、現在の松山市に生まれ、15歳で句作を始めた。19476年に妻の実家があった江東区北砂に転居し、東京大空襲直後の焼け野原となっていた一帯の様子を多くの俳句に詠んだ。ここに住んだのは、約12年間にも及び、石田自身も「第二の故郷」と呼んだという。 1957年3月から1958年2月までの1年間は、読売新聞江東版に「江東歳時記」を連載した。カメラを肩に江東区や墨田区などを歩き回り、人々の生活や季節の風物を取材。俳句やエッセーの連載は、115回に及んだ。石田は晩年、結核で入退院を繰り返し、56歳で亡くなった。 区は2000年12月、石田波郷記念館を同センター内に開館し、カメラや取材手帳などの遺品や作品計約100点を展示している。今回は、石田が11月に亡くなったのに合わせた企画展で、遺族から寄贈された掛け軸や短冊など計約430点のうち、これまで未公開だったまくり15点を展示することにした。いずれも、1939年から1970年に発表された代表的な句集に掲載されている俳句が書かれている。 代表作の「はこべらや焦土のいろの雀ども」もその一つ。焼け跡に芽生えた復興の兆しを詠み込んだものとされている。このほか、「朝顔の紺の彼方の月日かな」や、「吹起る秋風鶴を歩ましむ」などが並ぶ。12点のまくりには、「波」や「波郷」など、赤の落款も押されている。 石田波郷記念館(入場無料) 問い合わせ先:東京都江東区砂町文化センター(電:03-3640-1751) ◇ 石田波郷記念館を訪れる(2009年11月22日) 帰京の折、石田波郷記念館を訪れる機会を得た。東京都江東区北砂に「砂町銀座商店街」なるものがある。かなり長い商店街で、広くはない路を多くの買い物客が往来する。いわゆる地元商店街が軒並み閉塞状況にある中で、砂町銀座は大いに健闘しているようだった。 ※ 以下、何れも石田波郷記念館所蔵。 ※ 亡師ひとり老師ひとりや龍の玉 波郷 その砂町銀座通りの中ほどに、江東区砂町文化センターの入り口通路がある。軒を並べる商店の店頭に目を奪われていては、間違いなく見過ごすに違いないと思われる。「石田波郷記念館」は、文化センターの2階の一角に設けられている。 ※ 吹起る秋風鶴を歩ましむ 波郷 波郷忌にあわせて11月21日〜23日の三日間、企画展が公開されていた。数点の直筆句を拝見した後、係員の方から波郷宅跡と句碑のある妙久寺を教えていただいた。教えて頂いたが、やはり路に迷って派出所のお世話になって、やっとたどり着いた。 ※ 泉への道後れゆく安けさよ 波郷 (軽井沢に堀口星眠の家を訪う。 波郷の歩みは遅れがちだが、前をゆく友がいて心安かった、という情景。) 波郷宅跡と言っても、今現在も波郷の妻の親戚筋(吉田姓)がお住まいです。番犬の柴犬が大層お元気でした。 ※ 俳句は生活の裡、満目季節を望み蕭々又朗々たる即刻打座の歌なり (乙巳=きのとみ、昭和40年当時の波郷の書) ※ 志演(しのぶ)尊空神社。波郷宅跡は、寺と神社との間にある。 ※ 吉田宅(波郷宅跡) ※ 大霊山妙久寺(日蓮宗) ※ 「はこべら(繁縷)や焦土のいろの雀ども」 ◇ 砂町銀座(東京三大銀座の一つで、別名・おかず横丁) 戦前は30件位と小規模であったが、戦後の復興のなか急激に店舗数を増やした。昭和38年頃には、ほぼ現在の形となったという。工業地帯として発展した地域柄、住民層はブルーカラーが中心だった。しかし工場が移転し、次第に宅地化が進むようになる。現在は都心回帰傾向のおかげで、各駅前を中心に大規模マンション建設が盛んだ。 「砂町銀座」という名称は、昭和7年10月、地元選出の東京市議会議員による祝辞がきっかけだった。「この通りが早く砂町銀座と呼ばれるような一大繁華街となられん事を切に望む云々 … 」、この一言が商店街の運命を変えた? ※ 帰り道、砂町銀座で買った「シャーピン」と言う中国風のお好み焼き(200円)を歩きながら食べた。なかなか美味かった。次に、箱根細工の木象嵌と言う技法の猫の小品を求める。定価5,500円のところ、店仕舞いをしていたので千円引きで買えた。 |

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