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平成21年12月10日(木)昨日:うすなさけ 「変わり羽子板」 歳も暮れ。 今年話題になった人の顔で1年を振り返る「変わり羽子板」が9日、東京都台東区の人形メーカー、久月で披露されました。オバマ米大統領や、11月に亡くなった俳優の森繁久弥さん、最年少賞金王を獲得した男子プロゴルフの石川遼選手ら10点が選ばれました。政権交代を果たした鳩山由紀夫首相夫妻も登場したが、日本の首相の羽子板登場は、2005年の小泉純一郎氏以来5年連続だが、毎年「顔」は変わっている。 12月10日は、大田垣蓮月忌です。 ◇ 大田垣蓮月(1791年〜1875年) 江戸後期の尼僧・歌人・陶芸家。俗名、誠(のぶ)。 幕末の京都三本木出身。晩年,西賀茂の神光院の境内に住み、勤王歌人として多くの志士と交わり、江戸城攻撃への出立を控えた西郷に、「うつ人もうたるる人もこころせよ同じ御国の御民ならずや」との短冊を渡す。(江戸城無血明渡しの一因とも言われる。) 藤堂藩伊賀上野城代家老職、藤堂新七郎六代良聖(よしきよ)の庶子(非嫡出子)。生後十日余りで京都知恩院の寺士・太田垣常右衛門の養女となる。八、九才にして但馬亀岡城に奥勤めとして奉公し、薙刀ほか諸芸を身につけた。若い頃は大変な器量よしで評判であったようだ。 十七才で大田垣家の養子望古(もちひさ)と結婚。一男二女をもうけたが、いずれも夭折。夫の放蕩により、1815年に離婚、京都東山の知恩院のそばに住む。1819年、二十九歳の時、大田垣家に入家した古肥(ひさとし)と再婚、一女を得たが、四年後に夫は病没。葬儀の後、養父と共に知恩院大僧正により剃髪式を受け、1823年、蓮月を名乗る。 蓮月は陶器を作り生業とし、父を養った。 二年後、七歳の娘を失い、1832年、四十二歳の時、養父を亡くす。 その後は岡崎・粟田・大原・北白川などを転々とし、急須・茶碗などを焼いて生計を立てた。やがてその名は高まり、自作の和歌を書きつけた彼女の陶器は、「蓮月焼」と呼ばれて人気を博するようになる。 質素な生活を続け、飢饉の際には三十両を匿名で奉行所に喜捨したり、資財を投じて賀茂川の丸太町に橋を架けたりしたという。 父が死んでからは全く孤独な生活を送り、世人が彼女の名を慕って訪れるのをきらい、頻繁に転居した。(「屋越し蓮月」とも呼ばれた。) ※ おほつごもり、屋越し蓮月をきめこまむ 。 ◇ 富岡鐵斎との縁 蓮月がかねてから親交のあった鉄斎の父に転居の相談をしたところ、知り合いの心性寺の住職に話して蓮月を心性寺に住まわせることにした。 ところが心性寺は人里離れた不便な山寺なので無用心だと、大田垣家の当主が心配するので、鉄斎が父の命により蓮月と共に心性寺に住むことになった、と言われる。1850年、蓮月六十才、鐡斎二十歳の頃であった。 1867年(慶応三年)秋、西賀茂の神光院の茶所に間借りして、境内の清掃と作陶に日を送った。 和歌は上田秋成・香川景樹に学び、小沢蘆庵に私淑したという。穂井田忠友・橘曙覧(あけみ)・野村望東尼(もとに)ら歌人のほか、維新の志士とも交流があった。 1868年(明治元年)、『蓮月高畠式部二女和歌集』の著作と、近藤芳樹編の蓮月歌集『海人の刈藻』を残す。明治八年十二月十日夕刻、八十五才で静かに没す。遺言に、『無用の者が消えゆくのみ、他を煩わすな、富岡だけに知らせてほしい』と記されていたという。生みの子を全て失った蓮月にとって、鐵斎だけがこの世でのよすがだったのか。 蓮月の死後、鉄斎はその肖像を描き、略伝を書き、その徳を後世に伝えた。鉄斎晩年の筆に、しばしば蓮月についての思い出を書き記しており、年忌ごとの法要を怠ることがなかった。 『明治名家家集』における「海人の刈藻」の解題では、蓮月尼の経歴が紹介されている。その一節に、「尼、世わたるたづきにもとて陶器作る事を学び、陶器を製して、これに日頃よみし歌を仮初に彫りしに、文字の雅致なると陶器の風致あるとによりて、買ふ者少なからねば、思の外に世を安く送りて、父は七十八歳にて身まかりぬ。のち東山の寺院のあきたるに身を寄せて、一鍋一椀の外身つくる事なく、陶器を売りて得たる銭は、はつかに饑(き=飢え)を凌ぐのみ。其余は尽く貧しき者にとらせ、身に一銭も蓄ふる事なし。又謙遜辞譲にして人に驕る色なかりしと云」とある。 ◇ 富岡鉄斎(1835年〜1924年) 京都出身の画家。幼児の頃から学問をおさめ、絵を学ぶ。明治初期には大和石上神社、和泉大鳥神社の宮司をつとめたが、1881年に辞職した後は文人生活を送り、1917年には帝室技芸員、19年には帝国美術院会員に選出された。日本画家として国際的にも評価されている鉄斎だが、蓮月と過ごした時期に培われたものが大きく影響しているとも言われる。 ◇ 大田垣蓮月のうた 有明のかすみに匂ふ朝もよし 如月ころの夕月もよし 明けぬるかほのかすみつつ山の端の きのふの雲は花になりゆく 宿かさぬ人のつらさをなさけにて おぼろ月夜の花の下ぶし うらやまし心のままに咲きてとく すがすがしくも散る桜かな 夕づく夜ほのかに見ゆる小板橋 したゆく水にくひな鳴くなり 朝風に川ぞひ柳ちりそめて 水のしらべぞ秋になりゆく いにしへを月にとはるる心地して ふしめがちにもなる今宵かな 野に山にうかれうかれてかへるさを 寝屋までおくる秋の夜の月 きぬたうつ音はからころ唐衣 ころもふけゆく遠の山里 秋のよもわかよもいたくかたふきて いつかたそなき月をしそ思ふ 冬畑の大根(おほね)のくきに霜さえて 朝戸出さむし岡崎の里 埋火にさむさ忘れて寝たる夜は すみれつむ野ぞ夢に見えける 柴の戸におちとまりたる樫の実の ひとり物思ふ年の暮かな (辞世)ねがはくはのちの蓮の花のうへに くもらぬ月をみるよしもがな |

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