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平成21年12月23日(水)昨日:高速料金「軽」を優遇、費用1000億円を計上。 国土交通省と財務省は22日、2010年度予算案で高速道路無料化の社会実験費用として1000億円を計上することで正式合意。無料にならない路線は、軽自動車の通行料金を割り引くことも決めた。 国交省は10月に6000億円を概算要求したが大幅減額で決着。22日夜に会見した馬淵澄夫国交副大臣は「厳しい財政制約があるので致し方ない」と語った。 両省の合意文書では「割引率の順次拡大や統一料金制度の導入など社会実験を実施し、その影響を確認しながら段階的に進める」とした。これは16日に民主党が政府に提出した10年度予算の重点要望とほぼ同様。民主党は軽自動車優遇も求めており、要望通りの形。 ※ 「軽」を優遇、これこそがエコなのだ。いわゆるエコカーへの優遇政策とは、エコノミーと企業エゴに他ならない。「プリウス」が環境にいいはずがない。製造過程でどれほどのCO2を排出するか、検証しているのだろうか。家電製品のときも同様で、大型を買うほどエコポイントが高くなる矛盾に平然としていた。 世の中に眉唾モノが多い中 せめての慰め 「軽」 優遇。 12月23日は、映画「ウエスト・サイド物語」の日本封切りの日です。 「ウエスト・サイド物語」は、ロバート・ワイズとジェローム・ロビンス監督との1961年のアメリカ映画。シェイクスピアのロミオとジュリエットを下敷きにした同名のブロードウェイミュージカル『 West Side Story 』の映画化。 舞台版監督のロビンスは、音楽シーン、ダンスシーン、ファイトシーンの全責任を負っていたが、撮影が半ば過ぎた時点で予算超過を理由に解雇される。 映画は、1961年10月18日にユナイテッド・アーティスツ配給で公開された。批評家、観衆からの絶大な支持を得て、その年のアメリカ国内第2位の興行成績となった。アカデミー賞では作品賞をはじめ、ノミネートされた11部門中10部門を受賞。また、映画のサウンドトラック・アルバムも空前の売り上げとなった。 日本では松竹の洋画専門のピカデリー劇場系列で、1961年(昭和36年)12月23日に封切られて、1963年(昭和38年)5月17日まで実に509日間にわたるロングラン興行となった。 ◇ 映画「ウエスト・サイド物語」のストーリー 白人の青年らで構成されているジェット団は、最近勢力をつけてきたプエルトリコ系のシャーク団とは敵対関係にあった。 両者が一触即発の状況が続く中、ダンスホールで鉢合わせになる。初めてのダンスパーティに、期待で胸を弾ませていたマリア(ナタリー・ウッド)は、そこでトニー(リチャード・ベイマー)という男性に出会い、恋に落ちてしまう。二人は接吻を交わすが、マリアはシャーク団のリーダー・ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹であり、トニーは以前ジェット団のリーダーだった。 二人の恋の行方は … … 。 マリアの歌はマーニ・ニクソンが吹き替え、トニーの歌はジム・ブライアントが吹き替えた。当時の慣例として吹き替えの歌手の名前は、映画でもサントラアルバムでもクレジットされていなかった(現在はクレジットされる)。これらが後にトラブルに発展する。真っ先に抗議したのが、主演女優のナタリー・ウッドだった。ナタリーは、自分の歌が使われると信じて撮影を行っていたが、実はマーニ・ニクソンによる吹き替えが決められていた。撮影終了後に初めて自分の歌が使われないと知ったナタリーは激怒する。 そのためマーニの録音は、ナタリーの協力なしで行わざるを得ず、アップショットの場面を中心に、ナタリーの歌い間違いの修正に苦心する。最後のシーンのマリアの「触らないで!」 (“Don’t you touch him!”) 「大好きよ、アントン」 (“Te adoro, Anton.”)のセリフ吹き替えまで行なった。その後、マーニはサントラアルバムの売り上げの一部を要求するが、配給会社とレコード会社はこれを拒絶。結局は音楽のレナード・バーンスタインが、自分への割り当て分の一部を自主的にマーニに回すことで解決を図った。 ※ 吹き替えで思い起こすのは、北京五輪の“口パク事件”だ。 当時は吹き替え役に納得していた楊沛宜さん(7)は、今は苦しい状況にあるようだ。 革命歌を歌う振りをする美少女の林妙可さん(9)と、実際に革命歌を歌った美声の楊沛宜さん。中国は、開会式全体をエンターテインメントとして演出していたので、CGによる巨人足跡形の花火を打ち上げ、口パクも何の違和感もなくやってのけた。 だが、これが“事件化”するや、中国の対応は一変する。 担任教師がブログで「楊さんは傷つき、落胆している様子」 メディアの取材を避けようとする両親の計らいで、楊さんは「遠い所」に移されているようだ。 教師のブログによると、楊さんは今月18日夜、開会式で「口パク」をした小学3年の林妙可さんが出演するテレビ番組を見た。司会者は、開会式で全世界に流れたのは楊さんの歌声だったことには最後まで触れず、そのまま番組は終了した。楊さんは落胆の表情を浮かべたまま、一言も話さずに就寝した。 翌朝、楊さんの腕にはひどく歯形が残っていた。なぜ自分が、世間から身を隠さなければならないのか、その理由も分からず、親も適切な説明をしてくれず、楊さんは孤独の闇に苛まれている。担任教師は「これ以上、楊さんを傷つけないで」と訴える。(2008年8月23日) ◇ 天皇陛下76歳の誕生日 「体調は昨年より良く」(2009年12月23日) 天皇陛下は本日、76歳の誕生日を迎えられた。今年は結婚50年、即位20年の節目の年で、陛下の会見が続いたことから、体調不良だった昨年に続き、負担軽減のために記者会見でなく感想を文章で示した。「この1年を顧みて、まず思い起こされるのは」と、厳しい経済情勢や新型インフルエンザを挙げ、「ワクチン接種などが進み、流行が抑えられることを期待しています」と述べた。 今年、豪雨や台風などの自然災害で全国で60人以上が亡くなったことに触れ、「家族を失った人々の気持ちはいかばかりかと察しています」「いまだに年間数十人の犠牲者が生じることは非常に残念なことです」と心情を示した。裁判員制度に対しては「今後の様子を期待を込めて見守りたい」とした。 体調については、日程や行事の内容を少し軽くしてきたとし、「昨年12月の体調よりは良くなっていますので、来年も今年のように過ごし、皆に心配をかけないようにしたいと思っています」と綴った。 結婚50年と即位20年に際して多くの人々から祝意を寄せられたことに「深く感謝の意を表します」と気持ちを表した。 ◇ 『ジミーの誕生日』 猪瀬直樹・著( 2009.11.25 発行 ) A級戦犯7人の死刑執行は、なぜ皇太子明仁の誕生日、12月23日午前零時に始まったのか。謎を解く手がかりは、ある子爵夫人の日記の中にあった … 。 マッカーサーが天皇明仁に仕掛けた時限装置を明らかにする。( 内容説明より )文藝春秋 ¥ 1,500 。 「ジミー」とは、学習院の英語教師・バイニング夫人が学生時代の現天皇につけたニックネーム。ある日、「謎があればこころ穏やかならず」という著者のもとに、元子爵夫人の孫という女性から、祖母が残した日記を解明してほしいとの便りが届く。なぜ、当時15歳になる皇太子の誕生日に東条英機以下7人のA級戦犯は死刑執行されたのか。依頼主との会話や、手紙の史的解読を積み重ねていくなか、米占領軍大佐と当時30代の子爵夫人との過去、東京裁判と占領軍の思惑、昭和天皇周辺のとまどいやざわめきと共に、その答えは小説のごとくスリリングに明かされる。 近代天皇制の研究から作家生活をスタートした著者が、戦後のアメリカと皇室の関係に新たな光を当てる。 著者は現在、東京都副知事でもある。 その日が来るたび、彼は7人の死を思い出す 昭和23年12月23日午前零時1分、東條英機は絞首台に立った。続いて他のA級戦犯6名が次々に絞首台に立ち、わずか30分足らずで慌ただしく処刑が完了した。この日は皇太子(今上天皇)の誕生日だった。なぜ、この日に処刑が遂行されなければならなかったのか … ? 猪瀬氏は、GHQ民政局次長ケーディスが、「ジミーのことが心配だ」と愛人の子爵夫人に漏らしていたことを手掛かりに、処刑日選定の謎に迫る。GHQの占領政策を、断片的な事実の断片をつなぎ合わせて読み解く猪瀬氏の手腕。 ※ 天皇制を温存した占領軍だが、その占領政策は多面的で先が見えない。 どのような入れ子細工が仕組まれていたことやら。未だに属国の体をなす。 |

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