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平成22年1月3日(日)昨日:皇居での一般参賀 7万9000人が訪れる。 新年恒例の一般参賀が2日、皇居・宮殿の東庭であり、天候にも恵まれ昨年より約3500人多い約7万9290人(皇宮警察本部調べ)が訪れた。 陛下は「新しい年をともに祝うことをうれしく思います。本年が皆さんそれぞれにとり、良い年となるよう願っています」と挨拶。「年頭に当たり、人々の幸せと世界の平安を祈ります」と述べ、にこやかに手を振って祝意に応えられた。 天皇、皇后両陛下が宮殿・長和殿のベランダで祝賀を受けられたのは、天皇陛下の体調不良に伴い回数が前年より2回減らされた昨年と同じで5回。 1月3日は、箱根駅伝復路の日です。東洋大の2年連続の完全優勝なるか? ◇ 東洋大が2年連続V 駒大2位、日大はシード落ち(2010年1月1日) 東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)最終日は3日、神奈川県箱根町から東京・大手町までの復路5区間、109・9キロで関東の19校と関東学連選抜の計20チームが参加して争われ、往路1位の東洋大が通算11時間10分13秒で2年連続2度目の総合優勝を果たした。総合連覇は2002〜05年まで4連覇した駒大以来。 往路8位の駒大が復路を制して、東洋大に3分46秒差で2位に入った。往路2位の山梨学院大が3位で、中大は4位だった。10位の明大までが来年のシード権を獲得。出雲、全日本に続く大学駅伝3冠を狙った日大は15位でシード落ち。(5位・東農大、6位・城西大、7位・早大、8位・青学大、9位・日体体大、10位・明大) 2位と3分36秒差で復路をスタートした東洋大は、7区で田中貴章が区間賞、8区では千葉優が区間2位と堅実につないで、最終10区のアンカー高見諒がそのまま逃げ切った。 最優秀選手は山上りの5区で区間新をマークした柏原竜二(東洋大)が2年連続で選ばれた。 ※ 駒大は前回13年ぶりのシード落ちを喫した。10月に行われた予選会はトップ通過したものの、往路は8位に沈んだ。復路では6区で6位、7区で4位、9区で2位と徐々に順位を上げ、総合2位。復路ではトップタイムを記録して、駅伝王者復活の狼煙をあげた。 ※ 学生3大駅伝の出雲、全日本を制して3冠を狙った日大は15位に終わり、8年ぶりにシード権を逃した。日大は、あらためて調整の難しさを思い知った。 日大は往路2区でダニエルが11人抜きで一気に2位に浮上、4区までやや順位を落とすも4位につけていた。しかし山上りの5区・笹崎がまさかのブレーキで区間最下位。日大は往路13位に沈み、復路でも順位を上げることが出来ずにシード権を逃した。 ◇ 日大・ダニエルの4年で計50人抜き 日大のダニエル(4年)が前人未到の「50人抜き」の偉業を成し遂げた。13位でタスキを受け取ると、前半飛ばして後半失速した昨年の反省から、慎重にスタートを切った。ごぼう抜きが始まったのは4.3キロ過ぎから。しかし、タイムは伸びなかった。15キロ過ぎの勝負どころ権太坂を越えても先頭の明大は見えなかった。11人を抜いて2位に浮上、4年間通算50人抜きを達成。しかし、先頭には立てなかった。 3年連続の2区。昨年は不滅とも言われる20人抜きの快走をみせた。4年の今年は怪物の集大成に期待がかかった。レース前は「5分台を出したい」と、同じケニア人留学生の先輩で山梨学院大のモグスが昨年マークした区間記録(1時間6分4秒)更新を目標に掲げていたが、1分33秒も及ばなかった。「モグスのいない今年は、1位でタスキをつなぎたかった」と反省の弁が続いた。 来日して4年。年を重ねるたびに、日本人のような心を身につけた。「デビューした時は、ただタスキをかけて走っただけ。今はピンクのタスキに100万人の思いが入っている」。1年生の時に先輩に買ってもらった「Confidence =自信」という500円のブレスレットは、毎年のように「Heart=心」「Desire=望み」と自ら買い足してレース時に着用した。 卒業後は富士通に入社する。「まずはトラックで世界と戦いたい。世界で戦うスキルを持ったら、マラソンに行きたい。ロンドン五輪が終わってからになると思う」。箱根で育ったダニエルが世界へと羽ばたく。 ◇ 鳩山首相がブログを始めました。 ◇ 1938年1月3日、岡田嘉子が杉本良吉と樺太を越えソ連に亡命。 世に言う「赤い恋の逃避行」。杉本はまもなく処刑されていた。 |

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