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平成22年1月18日(月)激震民主:検察幹部「小沢氏側は司法を軽んじている」。 検察との対決姿勢を強める民主党の小沢幹事長に対し、検察当局は事件の真相解明に全力を挙げる方針で、一歩も引かない構えだ。 陸山会の事務担当者だった石川知裕衆院議員(36、民主)と、石川容疑者の後任の事務担当者だった池田光智・元私設秘書(32)が逮捕された15日夜、小沢氏の周辺からは「これまで事情聴取にも応じ、捜査に協力してきたのに、なぜ急に逮捕されなければならないのか」と東京地検特捜部の捜査手法に不満の声が上がった。 これに対し、ある検察幹部は、石川容疑者側が15日に予定されていた事情聴取に応じず、池田容疑者とも一時連絡が取れなくなったことを挙げ、「証拠隠滅の恐れがあり、全容解明には、一刻も早い強制捜査が欠かせなかった」と反論する。 検察側には、石川容疑者らの対応が、国会議員の不逮捕特権が生じる18日の通常国会開会まで、「捜査を引き延ばそうとしている」とも映った。別の検察幹部は「小沢氏側は司法をあまりにも軽んじている」と語気を強める。 小沢氏が聴取の要請に応じる姿勢を見せないことも、検察当局を刺激した。小沢氏は12日の記者会見で、潔白は強調したが、聴取への対応は明言を避けた。この様子をテレビで見た検察幹部は、「あの様子だと、聴取に応じる気は全くないだろう」と漏らした。特捜部が関係先の捜索、石川容疑者らの逮捕へと一気に突き進んだ背景には、こうした手詰まり感を打開する狙いもあった。 これまでの捜査で、小沢氏は土地の選定から購入代金の提供まで、深く関与していたことが判明している。小沢氏が陸山会の政治資金収支報告書の記載内容について報告を受けたり、指示したりしたことはなかったのか。特捜部は、押収した資料の分析を進め、石川容疑者らを追及するとみられる。 ◇ 停滞する民主 浮上できない自民 埋没する公明 「小沢幹事長辞職を」67% 内閣支持42% 全国世論調査によると、元秘書の石川知裕衆院議員らが逮捕された民主党の小沢一郎幹事長の政治資金問題で、小沢氏が責任をとって幹事長を辞職するべきだとの意見が67%にのぼった。鳩山内閣の支持率は42%と前回調査の48%から下がり、不支持の41%(前回34%)とほぼ並んだ。 内閣支持率は、昨年9月の発足直後は71%だったが、12月には前月の62%から48%へと急落し、今回さらに減少。無党派層では支持20%、不支持54%と、不支持が大きく上回っている。 民主党の政党支持率は36%で、前回の42%から大きく下げた。鳩山政権発足後は45%前後で推移し、前回調査でも内閣支持率のような急落はみられなかったが、ここにきて評価を下げた。ただ、自民の支持率も16%(前回18%)と低迷していることには、依然として変わりはない。 1月18日は、エアバス社A380の完成披露の日です。(2005年) A380の1号機は、2005年1月17日(日本時間18日)にロールアウト(完成披露)、4月27日にフランスのトゥールーズで初飛行した。6月18日の時点でAIGのリース部門・国際リースファイナンス株式会社を含む16の航空会社がA380型機を発注しており、その数は27機の貨物機を含め159機にのぼった。 ◇ エアバスA380 欧州エアバス社のターボファン4発の大型旅客機。空の豪華客船、世界初の総2階建てジェット旅客機。完成披露の時点ではボーイング747を抜いて、史上最大・世界最大の旅客機となった。初飛行は2005年4月27日、初期の構想から初飛行まで16年の歳月を要した。 A380は、1990年初頭にA3XXとして開発が始まった。エアバス社の他にも、ボーイング社やマクドネル・ダグラス社が次世代大型旅客機として、ボーイング747-Xとマクドネル・ダグラス MD-12を計画していたが、いずれも開発は凍結された。この後、ボーイング社は総2階建のNLAの開発を試みるが、これも結局中止に終わった。かつて、ロッキード社も総2階建旅客機を計画したが構想の段階で終わっている。 欧米の巨大機開発競争 エアバスは、ボーイング社の大型機・ボーイング747に対抗できる輸送力を持つ機体として、1989年からUHCA(ウルトラ・ハイ・キャパシティ・エアクラフト)構想の実現に向けての作業を開始した。ボーイング社はこれに過敏に反応し、1991年に747改良型など3種の計画を発表し、UHCA阻止の動きに出た。この動きに対し、エアバスを構成するエアロスパシアル、DASA、BAe、CASAの4社はボーイング社と共同で、1993年1月にUHCAとは別にVLCT(ベリー・ラージ・コマーシャル・トランスポート)と呼ぶ大型輸送機構想を発表したが、ライバル同士の意見がかみ合うはずもなく、エアバスは1994年6月、UHCAをA3XX(530席〜570席の100型と630席〜680席の200型の構想)として計画に着手したことを発表し、VLCTは中止された。 ボーイング社はこれに対抗し、同年に747-500Xと747-600Xを発表、対決する構えを見せた(747X計画)。747X計画はさまざまに変遷するかなり流動的なものであったが、その間にもボーイング社はエアバス社に対する露骨な非難キャンペーンを繰り広げ、A3XXのイメージダウンを図った。しかしエアバスは着実に計画を進めた。 2000年12月19日、エアバスは受注を獲得したことから、A3XXをA380として開発に入ったことを発表。ボーイング社は翌年に747X計画を延期し、ソニック・クルーザー計画を発表したものの、2003年には早々と計画を凍結し、その開発能力を中型機ボーイング787へと注力していった。しかし、その後ボーイング社は、A380と777-300ERやA340-600の間を埋めるという理由で、747-400ER、747-8型(計画名747Advanced)などの大型機の開発を開始している。 2007年10月15日、初飛行以来30ヶ月間のテストを経て、最初の納入先であるシンガポール航空に初めて機体が引き渡された。10月16日、パイロットや技術者などのシンガポール航空関係者が乗り込みエアバス本社(トゥールーズ)からシンガポールに向けて飛び立った。10月25日よりSQ380便としてシンガポール〜シドニー間に就航した。この初号便の座席は eBay によるインターネットオークションで販売され、売り上げは慈善団体に寄付された。また「現在運航している世界最大の旅客機」が747からA380に塗り替えられた。 最初の納入までに、当初予定から1年半遅れる事となった。2007年11月末での受注数は193機であるが、遅れに伴う補償費用や生産設備の稼働率低下、人海戦術に伴う人件費増大によってエアバスは60億ユーロ(約1兆円)のプロジェクト経費増大を来たしており、さらに米ドルに対するユーロ高傾向もあってA380の採算ラインは、当初の250機から、420機程度にまで悪化していると言われる。 2007年11月12日、エアバス社はサウジアラビア王子のアルワリードが、A380をプライベート機として購入するため売買契約を結んだと発表。2つのダイニングやゲームルーム、主寝室などを備え、機体に3億ドル、改装費に1億ドル、ミサイル防衛システムも含まれている。エアバス社では、"The Flying Palace"(空飛ぶ宮殿)と呼んでいる。 A380の座席数 キャビンの総面積はB747-400の約1.5倍、座席数はファースト・ビジネス・エコノミーの3クラスからなる標準座席仕様で、同じく約1.3倍としている。エアバス社では「従来の大型機と比べて同じ座席仕様でありながら、1人当たりの占有面積が広くなる」ことを同機のセールスポイントとしている。機内が総2階建て構造であることから、客室の最前部と最後部にそれぞれ直線式と螺旋式の階段が設けられ、最前部の階段では大人2人が楽にすれ違える幅がある。 日本での導入検討 日本は大型旅客機であるボーイング747を世界で最も多く導入している事から、日本航空や、全日本空輸がA380を導入する可能性があると言われていた。2008年7月に全日本空輸は「ボーイング747-8とともに導入を検討した結果、A380を最大10機発注の方向で検討に入り、2012年以降欧州及び北米路線に順次投入する方向で検討を進めている」と発表した。もし導入が実現すれば、日本の航空会社で初めてのエアバス社製の4発エンジン機が就航する事になる。 全日空は当初ボーイング787で成田〜欧米間を多頻度運航させる計画であったが、受け取りの度重なる遅延に首脳陣が嫌気をさして、A380を中心とする新大型機導入の本格的な検討を行うことになった。これに対して日本航空の西松遙CEOは、「ダウンサイジング(と多頻度運航)が時代の流れなのに、こんな非効率な大型機を導入して採算が取れるのか」と否定的な見解を表した。社内からも「満席にできる路線があるのか」、「運航機材の種類を減らすことでコスト削減を行うという計画に反している」などの否定的な意見も出た。なお、全日空が導入する長所としては、既にエアバスA320を導入している実績でパイロットの養成などでコストを削減できる点、最新鋭の大型機を運航することによるマーケティング上のメリットなどがある。他にもボーイング787のエンジンでロールスロイス製のトレント1000を決めているのでエンジンのトータルケアでも長所は大きいとされた。 全日空は、当初A380導入について2008年内に結論を出す予定であったが、2008年12月に「世界経済の悪化を受けボーイング747-8と共に大型機の導入計画を一時凍結する」と発表。理由は世界の金融不況に伴うもので、新大型機検討委員会は廃止されずに時期を見て再開させるとされているが、2009年8月時点では再開されていない。 ◇ 日本ハム・小林繁投手コーチ 突然死(2010年1月17日) 日本ハムの小林繁投手コーチが17日午前11時、心不全のため、福井市内の病院で死去した。57歳だった。1972年に社会人の神戸大丸から巨人に入団。76、77年に18勝を挙げて優勝に貢献すると、79年には「空白の1日」とも呼ばれる江川事件で阪神に移籍し、22勝を挙げて最多勝となった。昨年から日本ハムの2軍投手コーチに就任し、今年から念願の1軍コーチに昇格。前日16日には都内で行われた日本ハム本社の行事で元気な姿を見せており、突然の悲報となった。 16日に都内で行われた日本ハム本社の商品展示会に出席した後、空路帰宅した。この日は午前6時30分に起床。8時ごろに「背中が痛い」と訴えたため、夫人がマッサージを施した。少し楽になった様子だったが、再び苦しみ出し、10時30分ごろに意識を失ったという。福井市内の病院に救急車で搬送されたが、意識を取り戻すことはなく、この世を去った。 |

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