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平成22年2月4日(木)本日:東京地検が捜査に区切り 小沢氏、不起訴処分。 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る事件で、東京地検特捜部は4日午後、政治資金規正法違反容疑で刑事告発されていた小沢氏について、嫌疑不十分で不起訴処分とする方針だ。小沢氏の2回の聴取や押収した資料などを検討した結果、同法の虚偽記入罪に問える明確な証拠はなく、刑事責任追及は困難との結論に至ったもよう。 特捜部は同日、元秘書で衆院議員、石川知裕容疑者(36)、公設第1秘書、大久保隆規容疑者(48)、元私設秘書、池田光智容疑者(32)の3人を同法違反(虚偽記入)罪で起訴する方針。 ※ かつては自民党の秘書らがよく自殺したものだった。秘書の自殺に救われる形で、自民党議員は命拾いをして来た。そんな自民党の、最も正統的な後継者が小沢氏と言える。今の野党自民からは憎みても余りある小沢氏と検察とのパワーゲームは、ひとまず痛みわけと言ったところか。小沢氏は今後なお一層の用心深さを身に付けるだろうから、第2ラウンドは無いように思える。今夏の参院選が彼の最後の花道か。 ◇ 早春賦 (作詞:吉丸一昌 作曲:中田章) ※ モーツァルトの「春への憧れ」と、曲想が似ているとも … 1 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 2 氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空 3 春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か ※ 春たてる 朝にふりつむ 雪ぬくし 2月4日は、大石忌です。(1703年)(新暦では3月20日) 1703年(元禄16)2月4日、前年に吉良邸に討入り主君の仇を討った大石内藏助以下、赤穂浪士46人に対し、幕府から切腹の命が下る。 幕閣間では、助命と切腹との両論が争われたが、日光門主・公弁法親王の意見で、将軍綱吉は切腹と裁断した。同時に吉良義周(よしちか)を改易。 1 大石内藏助良雄(赤穂藩家老) <数え45歳> 2 吉田忠左衞門兼亮(赤穂藩士, 足軽頭, 郡奉行) <数え63歳> 3 原惣右衞門元辰(赤穂藩士, 足軽頭) <数え56歳> 4 片岡源五右衞門高房(赤穂藩士, 内証側用人兼小姓頭) <数え37歳> 5 間瀬久太夫正明(赤穂藩士, 大目附) <数え63歳> 6 小野寺十内秀和(赤穂藩士, 京都留守居) <数え61歳> 7 間喜兵衞光延(赤穂藩士, 馬廻勝手方吟味役, 山奉行) <数え69歳> 8 磯貝十郎左衞門正久(赤穂藩士, 物頭並側用人) <数え25歳> 9 堀部彌兵衞金丸(赤穂藩士[元], 元江戸留守居役) <数え77歳> 10 近松勘六行重(赤穂藩士, 馬廻) <数え34歳> 11 富森助右衞門正因(赤穂藩士, 馬廻兼使番) <数え34歳> 12 潮田又之丞高教(赤穂藩士, 国絵図奉行兼郡奉行) <数え35歳> 13 早水藤左衞門滿堯(赤穂藩士, 馬廻) <数え40歳> 14 赤埴源藏重賢(赤穂藩士, 馬廻) <数え35歳> 15 奧田孫太夫重盛(赤穂藩士, 江戸詰武具奉行) <数え57歳> 16 矢田五郎右衞門助武(赤穂藩士, 江戸詰武具奉行) <数え29歳> 17 大石瀬左衞門信清(赤穂藩士, 馬廻) <数え27歳> 18 大石主税良金(赤穂藩士, 大石内藏助良雄の子) <数え16歳> 19 堀部安兵衞武庸(赤穂藩士, 江戸常詰馬廻) <数え34歳> 20 中村勘助正辰(赤穂藩士, 祐筆役) <数え48歳> 21 菅谷半之丞政利(赤穂藩士, 馬廻兼郡代) <数え44歳> 22 不破數右衞門正種(赤穂藩士, 馬廻, 浜辺奉行, 普請奉行) <数え34歳> 23 千馬三郎兵衞光忠(赤穂藩士, 馬廻兼宗門改役) <数え51歳> 24 木村岡右衞門貞行(赤穂藩士, 馬廻役, 国絵図奉行) <数え46歳> 25 岡野金右衞門包秀(赤穂藩士) <数え24歳> 26 貝賀彌左衞門友信(赤穂藩士, 中小姓兼蔵奉行) <数え54歳> 27 大高源五忠雄(赤穂藩士, 膳番元方, 腰物方, 金奉行) <数え32歳> 28 岡島八十右衞門常樹(赤穂藩士, 札座勘定奉行) <数え38歳> 29 吉田澤右衞門兼貞(赤穂藩士, 蔵奉行) <数え29歳> 30 武林唯七隆重(赤穂藩士, 馬廻, 中小姓) <数え32歳> 31 倉橋傳助武幸(赤穂藩士, 扶持奉行兼中小姓) <数え34歳> 32 間新六郎光風(赤穂浪人) <数え24歳> 33 村松喜兵衞秀直(赤穂藩士, 江戸常詰扶持方奉行) <数え62歳> 34 杉野十平次次房(赤穂藩士, 札座横目) <数え28歳> 35 勝田新左衞門武堯(赤穂藩士, 中小姓, 札座横目) <数え24歳> 36 前原伊助宗房(赤穂藩士, 中小姓, 扶持方奉行) <数え40歳> 37 小野寺幸右衞門秀富(赤穂藩士) <数え28歳> 38 間十次郎光興(赤穂藩士) <数え26歳> 39 奧田貞右衞門行高(赤穂藩士, 加東郡勘定方) <数え26歳> 40 矢頭右衞門七教兼(赤穂藩士) <数え18歳> 41 村松三太夫高直(赤穂藩士) <数え27歳> 42 間瀬孫九郎正辰(赤穂藩士) <数え23歳> 43 茅野和助常成(赤穂藩士, 横目(徒士目附)) <数え37歳> 44 横川勘平宗利(赤穂藩士, 徒士横目, 焔硝蔵奉行) <数え37歳> 45 三村次郎左衞門包常(赤穂藩士, 台所役, 酒奉行) <数え37歳> 46 神崎與五郎則休(赤穂藩士, 足軽徒士目付, 郡目附) <数え38歳> ※ 二八蕎麦 喰ふて討ち入る 赤穂義士 (二八蕎麦は十六文) 討ち入り後、大石内蔵助は、吉田忠左衛門らを大目付・仙石伯耆守(ほうきのかみ)のもとに出頭させ口上書を提出し、幕府の裁定に委ねる。 幕府は大石以下46人の赤穂浪士をいったん泉岳寺から仙石伯耆守の屋敷に引き揚げさせて、それから細川越中守、松平隠岐守、毛利甲斐守、水野監物の四大名家に預けさせた。各大名家は赤穂浪士を義士として手厚く迎えた。 江戸では旧主への忠義を遂げた義士であるとして大きな人気を呼んだ。しかし、幕府の許可もなく、しかも徒党を組んでの仇討ちは死罪にあたるが、忠義を大いに奨励していた将軍綱吉以下の幕閣は、死罪か助命かで対応には苦慮したという。赤穂浪士は義士であるから助命すべきという意見も強かったが、法を曲げることは天下に乱を引き起こす元になるという意見を綱吉は採用し、武士としての体面を重んじた上での切腹を命じた。46人の浪士達が切腹して死んだのは、1703年(元禄16年)2月4日であった。 同日、吉良家の当主であった義周(よしちか)は、赤穂の浪士が押し入った際の対応が良くなかったとの理由で領地を没収され、その身は諏訪高島藩に預けられて、吉良家は断絶。 ◇ 義士? かぶき者? 『忠臣蔵』などの芝居では、よく知られているように、吉良に対する進物が粗末であったため、供応役に不慣れな浅野に対する吉良の数々の嫌がらせから浅野が切れたようになっている。しかし、この刃傷事件に関する決定的な史料は何も見当たらないようだ。むしろ、後日の史実を検証すると、実際には浅野内匠頭にとって二度目の勅使饗応役であり、以前にも吉良上野介の指図を受けており、浅野内匠頭やその家臣団が役目に不慣れであるはずはないという。 当時、必要経費を自弁していた指図役に進物をするのは、賄賂というよりも授業料・必要経費の性格が強く当時の常識であったと言う。零細な領地・石高しか持たない高家が大名の指南に就いて共にこうした儀礼に当たるのは、大名家に与えた相応の石高を、こうした必要経費に当てさせる意味があるのであり、また、そもそも浅野内匠頭が不始末をすれば、指図役の吉良上野介の責任ともなるので、このような嫌がらせの事実はありえなかったとする説が有力なようだ。 近年の研究では、赤穂浪士は、当事取締りをされはじめていた平和な社会の秩序に反抗する戦国の気風を色濃く残し、ことさらに奇矯な振る舞いをした「カブキ者」ではなかったかと考証されている。彼らは自らの命を軽んじ、武士の一分を通すためには軽々と命を捨てた。赤穂浪士が当初主張した殉死や、天下の法を無視し死罪覚悟の上での吉良上野介の屋敷への討ち入りも、単なる主君への忠義によるものではなく、自らの武士の一分を立てるための行為であり、浅野内匠頭の切腹、赤穂浅野家断絶という不公平な裁定を行った江戸幕府への抗議であった。 討ち入りは忠義にもとづくものではなく、当時のかぶき者として無頼の心性に根ざしたものと考えられているようだ。それにしても、世間から「忠」を実行した義士として見られている赤穂浪士の処遇については、幕府も苦慮したことであろう。江戸時代の刑罰は、今と違い予防効果を重視していた。つまり、処刑は一種の見せしめでもあった。武士に対しての死刑では、切腹か斬罪であるが、赤穂の浪士は、切腹を命じられたことで、武士としての面目は保たれたことになる。 ◇ 妻に無職と言えず…「給料41万円奪われた」と110番(2010年2月3日) 3日午前10時ごろ、神奈川県愛川町の無職の男(25)から「男に現金41万7千円を奪われた」と110番通報があった。厚木署は強盗事件としてパトカー38台、警察官137人を動員したが、同日午後になって嘘と判明し、男を軽犯罪法違反(虚偽申告)容疑で調べている。 同署によると、男は昨年8月、勤務していたレンタカー会社を退職。妻(21)には「日本サッカー協会に再就職し、月給41万7千円」と嘘を言い、アルバイトで得た数万円を「給料」として月々渡していた。嘘の通報をした動機について、妻に「まとめて渡して欲しいと言われ、ばれるのが怖かった」と供述しているという。 男は当初、自宅駐車場で外国人風の2人組の男に襲われ、車から引きずり降ろされ、現金を奪われたと同署に説明していた。被害状況を詳しく聴かれ、辻褄が合わなくなり、嘘を認めたという。男は1月19日にも「ベランダから何者かが侵入し、現金1万8千円と通帳を盗まれた」と同署に被害届を出していたが、これも嘘だと認めている。 |

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