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2月5日、高橋竹山忌

 平成22年2月5日(金)昨日:プリウス新車販売、8ヶ月連続首位も … 。

 日本自動車販売協会連合会などが4日発表した1月の車名別新車販売台数で、トヨタ自動車のハイブリッド車「プリウス」が前年同月比約3.9倍の2万2306台と8ヶ月連続の首位だった。 ただ、プリウスについては、ブレーキの不具合情報が日米で百件以上寄せられていることが判明したばかりで、2月以降も好調な販売を維持できるかは不透明。2位はスズキの軽乗用車「ワゴンR」(1万4620台)、3位はホンダの小型車「フィット」(1万3058台)だった。

 4位にダイハツの軽乗用車「タント」が1万2660台、5位にダイハツの軽乗用車「ムーブ」が1万1571台、8位にダイハツの軽乗用車「ミラ」が8180台。 6位にスズキの軽乗用車「アルト」が9266台、10位にスズキの軽乗用車「パレット」が7669台だった。

 ※ エコカーに乗り換えるよりも、愛用の軽を大切に乗りましょう。


 新型プリウス問題でトヨタは1月生産車から改善していた。(10/02/04)



 ◇ トヨタ 「公表必要なかった」 (10/02/04)

 トヨタ自動車の新型「プリウス」のブレーキが一時的に利かなくなるという苦情が相次いでいる問題で、トヨタの担当役員は記者団に対し、先月から対策をとっていたのは、運転する人の“感覚的”な問題に対応したもので、公表する必要はなかったという認識を明らかにした。

 品質保証担当の横山裕行常務役員が「1月から(該当するブレーキシステムの)設計を見直した」ことを明らかにした。車両の横滑りを防止する「ABS」と呼ぶ電子制御機能が対象で、「路面の状況によってはブレーキが利きにくくなる」という。また、プリウス以外のハイブリッド車についても不具合がないか確認していることも明らかにした。対象は昨年12月に発売した「SAI」やレクサスブランドの「HS」で、プリウスと同じ電子制御式のブレーキシステムを採用しているという。

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 ※ 昔のように機械的制動装置ならば、こんな事は起きなかっただろう。今では、あらゆる場面にコンピュータソフトが使われており、機械的制動では困難な微妙なニュアンスも反映できる代わりに、ユーザーに感覚的齟齬を生じさせる場面もありゆる。だが、原因は“感覚的”であっても、ひと度事故が起ってしまえば、紛れもなく現実の悲劇なのだ。 「公表必要なかった」とは、トヨタの「驕り」なのか、或いはまた、トヨタの「怯え」だったのか?



 2月5日は、高橋竹山忌です。

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 ◇ 高橋竹山(1910年〜1998年)

 津軽三味線の名手。本名は定蔵。一地方の門付け芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者。青森県東津軽郡中平内村(現在の平内町)小湊生まれ。三歳の時に麻疹をこじらせて半失明。その後、近所のボサマ(盲目の門付芸人)であった戸田重次郎から三味線と唄を習い、17歳頃から東北北部・北海道を門付けしたという。

 太平洋戦争の激化に伴い三味線で生活を支えることが難しくなり、1944年、鍼灸師とマッサージ師の資格取得のため県立八戸盲唖学校に入学。一時、芸の世界から身を引くが、1950年から津軽民謡の神様とも呼ばれた成田雲竹の伴奏者として各地を興行した。その際に、雲竹より『竹山』の芸名を授かる。 1954年(昭和29年)からは、雲竹とともにラジオ青森の民謡番組に出演した。

 当時の津軽民謡には三味線伴奏の付いたものが少なく、成田雲竹は高橋竹山に伴奏のみならず、津軽民謡に三味線伴奏を付けるよう依頼する。以後、雲竹の作詞作曲した『りんご節』など、雲竹・竹山のコンビで多くの津軽民謡を発掘・制作し発表する。


 「津軽三味線組曲」 高橋竹山



 1963年、キングレコードより史上初の津軽三味線独奏LPレコード『源流・高橋竹山の世界〜津軽三味線』を発売する。これによって竹山は津軽三味線奏者としての名声を得た。 1973年、小劇場・渋谷ジァン・ジァンに初出演。その後も定期的に開催したライブで多くの若者の心を捉え、津軽三味線ブームの魁となる。

 1975年、自伝『津軽三味線ひとり旅』を出版。 1977年、新藤兼人の脚本・監督により映画『竹山ひとり旅』が製作され、モスクワ国際映画祭に日本代表作品として出品。 1986年にアメリカ公演、これが世界に津軽三味線の名を知らしめる初めとなった。ニューヨーク、ワシントンD.C.、ボルチモア、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ホノルルなど7都市で10回の演奏会。厳しい論評で知られるニューヨーク・タイムズは「まるで魂の探知器ででもあるかのように、聴衆の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」と最高の賛辞を贈った。

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 1998年2月5日、喉頭癌により平内町立中央病院にて死去。享年87。戒名、風雪院調絃竹山居士。晩年は衰えを自覚しながらも現役を退かなかったが、内弟子として師事し最後まで演奏活動を共にした竹与に二代目高橋竹山の名を譲った。他にも弟子はいたが、竹与だけが教授活動を一切せず演奏活動だけで生活していたことを認め、その行く先を心配してのことだったと言う。


 二代目 高橋竹山



 【参照】2月5日、長崎26聖人殉教の日(1597年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/28079093.html

 【参照】2月5日、花村萬月の誕生日(1955年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/40076946.html

 【参照】2月5日、アポロ14号が月面着陸(1971年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46841440.html

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